第4章 救世主さま

第40話 起動




 ダンテとスタンツを乗せた床が、観測台とドッキングした。

 スタンツはダンテを無理やり立ち上がらせると、指紋認証のセンサーにその右手を押し付ける。

 静止していた“聖典”の石板が起動し、円形の壁の隙間から青白く強い光が漏れ出す。

 戯れにスタンツが観測台のスイッチを押すと、目線の高さにある壁がレールと共に前に突き出して、その真下の壁と位置を交換した。


 聖典、大小多様なサイズに切り分けられた壁の石板を製造番号ごとに分類して確認するのが、フラウシュトラス本家代々の長の役割だった。

 遥か下まで連なる壁がどこまで続くかは、保全用のヒカリゴケフラルの発光が眩しくて肉眼では到底確認できない。


 聖典の支配権を得たスタンツは満足そうに頷いて、ダンテに質問を出す。

「ときにダンテ君。十年前、世界大戦終末時の地殻変動で、いくつの国が海底に沈んだか覚えているかね?」

「……百九十七ヶ国」


「よろしい。ではそのうちいくつの国の難民が、ラプセルに逃げ込んで帰化した?ああ、この難民という言葉はこっちのラプセルではなくて向こう側のラプセルでの意味だよ」

「!?ス、スタンツさん、何を言って……」

 ただでさえ真っ白だったダンテの顔がさらに血の気を失う。


「質問は続いているぞ。沈んだ国の死体は、なぜ欠片一つたりとも上がってこなかった?なぜラトーとレトリア様は同時に現れた?」

「そ、それは……」

「聖典に預言されていたから?では何故聖典の作者、我らがフラウシュトラス家のご先祖様は遠い未来まで預言することができたか?神の御言葉を聞いたから?では神が未来を見通されていたのか?否!それ以上だ。神こそが未来を造る。はっきり言おう。聖典は未来を見るための予測装置ではない。神が望まれた未来を実現させるための命令装置なのだ」


「そんな……。ではあなたは世界大戦も、ラトーも、ハダプも、カラクタも……全部神が仕組まれた御業だって言うんですか!?」

「話は最後まで聞きたまえ、君はすぐ不敬な方向に行きたがるねダンテ君。神が君ではなく私を選ばれたのも必然という訳か」

「何?」


「天の国と我らが人の国はあまりにも遠い隔たりがある。愚かにもすぐ荒れ狂う人の国を、神は遠隔操作でどうにかして善き姿に戻そうと励まれた。神樹、預言者、預言者に書かせた聖典によって……。しかし直接神の手が届かないこの世では、どう努力しても神の教えからずれが生じてしまう。聖典とは言わば危機マニュアル、そのずれを解消するためにあるのだ。完全に防ぐことはできないが、対策はとれる。飢饉が起きたときも、大陸から侵略者が押し寄せたときも、疫病が流行ったときも、大戦で世界中の人々が殺し合ったときも、ラプセルは生き延びてその都度発展を遂げてきた。しかし聖典の歴史が終わり、神が顕現される直前の今こそが、最もずれが生じてしまっている」


 浮かび上がるスイッチを次々押して、スタンツは下の方から石板を浮上させる。

 既に突き出ていた上の石板とぶつかり、擦れた金属音が響くがスタンツは意に介さなかった。


「“天の花”によって救われるのは我々生き残った人類だけではない。世界大戦で抹殺された死者の魂は底の国で澱み、歪み、腐りて生者に仇なす悪霊ラトーと化す。そんな迷える死者の魂も浄化し、人々と同じ天の国へと導く……。本来ならば、レトリア様がその御役目を全うされる筈だった。しかし大いなる力には、常に陰が付き纏う。かつて分家の先祖が謀反を起こし、聖典の最奥の鍵は本家と北南分家の三つに分けられた。神によって造られた無敵の兵器レトリア様……いやレトリアもまた、人類の破壊兵器によって毒され、殺戮兵器に成り果てた。神の望みから逸れて人類とラトーの殺し合いを望み、死骸を貪り食う邪神に……その結果、私たちが運ばれてきたこの世界まで汚染され、カラクタに蝕まれてしまった」


「運ばれてきた……?この、世界……?」

 ダンテの眉がぴくりと動いた。


「誰も疑問に思わない。難民を始めとした多くの言葉の意味が変わっても、突然空に見えない壁が出来ても、聖典の言葉が少しぐらい変わっても、世界が地続きにあると思っている。それこそが次元を超えて繋がる聖典回路のご加護……小さな一個人の脳にある神経回路が描き出す、脆弱で曖昧な記憶なぞ到底太刀打ちできん。神が緊急避難用にコピーされた世界の空気、光、水、神樹の残りカスに触れている間に、初めからここが元のラプセルだったと信じ込むように出来ている。そしてラトーが病んだ人類の成れの果てだと知らされないまま、次元を超えても世界大戦から殺し合いは続いている……」


「では、あなたは知っていたのか……!?もう一つの世界の存在を、知っていながら、それを証明しようとした私とマリヒを嘘吐きと糾弾したのか!?」

 ふらつきながらも立ち上がり怒声を放つダンテを、スタンツは無視して話し続ける。

「君の“お友達”についてはもちろん調べさせてもらったよ。ほとんど情報は得られなかったが、それこそが答えだ。大方、君たちを勝手に動かした代償にエラーが起きて他の死者同様元の世界に置き去りにでもされたのだろう。底の国に堕ちた我らがふるさとで苦しみの末にラトーに成り果てて、レトリアか軍に狩られているのがオチだ」


「貴様……!うあっ!」

 気迫だけで飛びかかって来たダンテを、スタンツは蹴飛ばす。既に衰弱しているダンテの身体は観測台の端まで追いやられた。落下を防ぐ見えないシールドが靴底をじりじりと温める。


「口のきき方は気をつけた方がいい。君の大事なは既に私の掌の上だ。見てごらん、ラトーの幼生……それより前のラトー誕生の瞬間だ。底の国に置き去りにされたあらゆる動植物が混ざり合っている。そのままでは動きづらいから自然とちぎれていく。塊が大きければ大きいほど強さも憎悪も大きく膨れ上がる……どこかを目指しているようだね、お仲間でも見つけたのかな?」

 再び映像繊維を映し出して、スタンツは生物の教師のように淡々と喋る。

 巨大な継ぎはぎの赤子が、肉をこぼしながら病院に向かって直進していく。

「そんな、まさか……」


「そのまさかだ。古き世の血を持つ者は、それだけラトーに近くなる……。もしかするとリリカは我々人類よりも既にラトーに近いのかもしれない。どうする?このままだと君たちが可愛がってきた愛娘のせいで病院中皆殺しだ。しかし君が跪き、私に忠誠を誓い命を捧げるとさえ約束すれば君たち親子を救い、カラクタの無い新世界へ導くと約束してやろう。どうするかね?」


 冷たく脂ぎった目で見下ろしてくるスタンツを、ダンテはやっとの思いで睨み返す。


「信じないぞ……僕がどう動こうが、始めから救うつもりなどないくせに!たとえラトーの正体がお前の言う通りで、この戦争が人間同士の殺し合いの延長だったとしても、神が全人類の生殺与奪の権をたった一個人に委ねたりするものか!!」

「まだ言うか!私は神から力を授かった。カラクタも取り除かれた。壊れたレトリアに代わってこの世界を救うためにな。しかし全員は無理だ、新世界には限りがある。ラトーも人類も出来る限り多くを救いたいが……貴様ら親子には真っ先に消えてもらうとしよう」


 スタンツがスイッチを上下左右忙しなく連打すると、石板が次から次へと壁から滑り出て光の渦の中を回り出した。

 ありったけの石板を吐き出し続ける中、石板が埋まっていた空洞の奥で何かが一瞬大きく点滅して消える。


「見せてやろう、聖典の真の力を。裏側に眠る浄化の力!世界を書き換える力を!」

「やめろ、何をする気だ……ううっ……」

 ダンテはスタンツの足を掴んで制止しようとしたが、真下から吹きすさぶ突風に目が眩んで力尽きた。


 スタンツは体内のナノマシンから白い水仙を咲かせると、その葉で己の人差し指を切った。血を花の中に垂らして光の渦の中に投げ込む。

 それから懐からまた血のような赤い液体の入った試験管を取り出し、それも投げ入れた。


「一切のものは枯れて、燃えて、破壊されていく定めなれば。それすなわち天へと続く道であるがため。我は鋏なり、世界を刈り取るための鋏なり……」


 真下を見つめてぶつぶつと呟くスタンツの目に、眩しかった光の渦がぐにゃりと歪み、どす黒い靄のようなものに覆い隠されていくのが映った。

 歴史を刻まれた石板たちが陰っていく。





 〇 〇 〇





「こちらが原初の重力波発生地点になります。現在観測できるのはラピツ砂漠のみですが、そこを塞がない限り歪みが広がり不特定箇所でワームホールが大量発生し続けます」

「間違いないな?」


「はい。それから遅くなりましたがラピツ砂漠一帯管理の水道会社と、ウロヌス社への捜査令状許可がようやく出ました。私からの特命も出しましたので、もはや令状の意味はありませんが……地下遺跡のあれは先に差し押さえます」

「ラトに憑りつかれていたのはスタンツの方だったか。私を殺せると本気で信じているようだが、もう隠すつもりもないらしい。もっと早く見くびってくれれば早いうちに芽を摘めたのだが、余程の理由がなければ殺せないから人間は面倒だ」


 全速力で進むティルノグのデッキで、レトリアとユークは天文台と軍部への連絡を一旦打ち切った。

 中将以上の軍関係者と首相には予め極秘で伝えていた事項だが、大混乱は避けられない。

 確証が持てるまでは何も動けず、一たび動き出せばあっという間に叩き潰すしか対処はできない。

 それがこれから先の、突然次元の壁を破ってくる闖入者たちとの戦いだった。成層圏で観測ができ、先回りすることができたラトー相手とは訳が違う。


「各地で複数発生したラトー前駆体には機動部隊を向かわせています。見かけより殺傷能力は低いですが、既に目撃者が多数出ており精神的被害は避けられない状況かと……」

「悠長に避難させている暇はない。無人機には無人機だ。GC(神樹模倣型航空機)用の陣は敷いたか?」

「はい、陸海空それぞれに枝を渡して指示も出しております」

「人間のおりは軍とお前に任せる。前駆体の核とラトは全て私が殺す。くれぐれも人間どもに邪魔をさせるな」



 指示を出し終えるとレトリアは目を閉じて手を合わせ、祈りのポーズを取った。

 手と手の隙間から赤い花弁が次々咲いて、散っていく。

「群団体型、移行」


 格納庫から飛び出してきた鎧が全方向に鋭い切っ先を向けて、花開く形になった。





 〇 〇 〇





「ねえ、私たちどこに進んでるの!?」

「分からん!とにかく緊急避難だ!ラトーじゃない怪物が降ってくるらしい!」

「ここ地下壕の方角だよね!?爆弾でも飛んでくるわけ!?」

『市民の皆さん!落ち着いて指示に従ってください!赤いエリアから離れれば低所・高所関係ありません!押し合いにならないように進んでください!』


 避難に急ぐ人々の群れに紛れながら、シフォンは朧げな記憶を思い出す。


 黒くどろどろとした液体で、ラトーだった頃の自分を。

 強い苦痛、癒えない悲しみ、消された過去と自我。

 それら全てを拭い去る優しい声が降って来た日。



『思い出して……。貴女の本当の心……。貴女は、こんな化け物なんかじゃない……人間だった……』



 この肉体の少女は、安らかに天の国に行けただろうか。


 余っていた肉体とはいえ、奪った体の主への罪悪感がちくりと沸いた。

 ラトーの頃にはなかった心を次々に取り戻している。

 違う、ラトーこそが仮初めの姿。

 私は人間だ。ラトーになってたのは、今逃げ惑ってるこの人たちの方だったかもしれない。

 それを知ったらこの呑気な世界の人々はどんな顔をするだろうか。


 世界を取り戻す術は神が握らせてくれた。

 シフォンがワームホールによる連続ワープで、向こう側からラトーを引き連れてくる。

 最初の何割かは犠牲になる。悲しいが仕方がない。

 とにかくラトーをどんどん降らせて、レトリアの力を消費させる。何が何でも剪定までこぎつける。

 レトリアを殺す唯一の方法、それを握るのはスグルだった。


「スグル……どうかあなただけは、生き延びてね。そして、私たちが信じた新世界へ……」


 後ろを走っていた小さな子供が、シフォンにぶつかり転んだ。

 シフォンは謝り、その子の手を引いて一緒に駆け出す。

 柔らかくて、温かい手だった。



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