第39話 絶対と相対
病院前、大量に滴り落ちる赤い血に、肉に似たどろりとした赤黒い塊が混ざり始めていく。向きがばらばらになったまま不揃いの積み木の如く積み上がっていったそれらは、ところどころ人の肌に近い黄色がかった象毛色、白混じりの薄桃色、黒檀を彷彿とさせる茶褐色が入り乱れている。
赤い泥のゼリーに黴のような継ぎはぎのパッチワークがふんだんにあしらわれた、不格好な汚物を極めたそれらは巨大な人型に成り果てていく。
やがて、四つん這いの赤子の恰好で、塔の手足を上下させて前進を始めた。
大地を揺らし、花畑に穴を開けて、ゆっくりと病院に近づいてくる。
『なんだ、あれは……ラトーか!?それとも、別の化け物が新しく来たとでもいうのか!?』
『ラトーなら軍やレトリア様が空の上で追い払ってくれてるじゃない!こんな地上にまで降りてくるなんて……いったいどこから来たってのよ!?』
『こっちに近づいてくる!軍は何してるの!?レトリア様、助けて……いや、いやあああ!』
スタンツが映像繊維を宝物庫の壁に投影すると、リリカのいる病院の監視カメラの映像がリアルタイムで流れ出した。
フラウシュトラス本家宝物庫最奥、螺旋階段を降りてダンテの声紋認証をクリアして、床ごと暗黒の通路を下っていく。
「あれが見えますかなダンテ様?いや……もうダンテ君でいいか。元より君は私にへりくだられる度に嫌そうだったからな。面白くてつい余計にへりくだってしまったものだ。お互い猿芝居はもう終わりにしようじゃないか」
酷薄そうな鋭い笑みをこぼすスタンツの足元で、尋問を受け続け心身ともに疲労の限界に達したダンテが床に座り込んでいる。
「どうして、こんなラプセルを破壊するような真似を、フラウシュトラス家のあなたが……。鍵を渡せばリリカに危害は加えないと言ったじゃないか……」
「君が悪いのだよ。君が早く私に聖典を開け渡していれば平和に新世界に移れたのに。だから強硬手段で傷口をこじ開けるしかなかった。十年前、この地におびき寄せられた哀れなラトーたちがやっとの思いで遺した汚染、呪詛、穢土。浄化されてもなお海の底に残っていた残骸、私はそれをあの手この手で密かに集めて神が救済の目を向けてくださるのを待った……。どうか神の目に届きますようにと……」
「スタンツさん、さっきから何を言ってるんだ……。あなたはラトーをいったい何だと……?」
「聖典にラトーは何と書かれていた?」
「え?」
「聖典にラトーの名前が始めて記されるのは終わりの章、黙示録。空から天を汚す悪魔が降り注ぎ、人は最後の戦いに挑む。だが、その前からラトーが現れていたことには数々の聖職者も聖典研究者も気づいてはいない。聖典は嘘をつかない……が、全てを語ってもいない。始まりの第2章で、生まれたての人の国は底の国の病にかかり、薬によって洗い清められたとある。その後、浄化された底の国は人の国と一体化して花を咲かす土になったとあるが……この状況、今と似ていると思わないかね?」
「……」
地下の底へと降りていく通路でスタンツは話し続ける。
「人の国、底の国、とは誰が、どこの視点から観測して決めているのか?ラトーたちから見たら、我々人の国こそが底の国なのではないかね?この節を思い出したまえ。『昇ることは降りること、降りることは昇ることであり、地に花が種を落とすのも、人の魂を埋めるのも天に向かうためである。』天が上にあり、地が下にあるというのは、我らの偏った視点からの思い込みに過ぎない。もし、天と底が繋がっているとしたら?ラトーの正体がはるか昔に底の国に追いやられた古代の病人たちの成れの果てで、先の世界大戦がそれを掘り起こしてしまったのだとしたら……」
「そんなの、何の証拠もない……。書かれていない行間を膨らませた妄想だ、スタンツさん、あなたは気がおかしくなってしまっている!!第一、エンデエルデの建設にはあなただって関わってきたはずだ。もし地底からハダプの向こう側の宇宙に飛び越えられるとしたら、我々人類は何のために心血注いでエンデエルデを完成させようとしているんだ!」
「よりによって君に妄想狂と罵られる日が来ようとはね。証拠なら君の家がずっと隠し持っていたじゃないか。ほうら、見えてきたぞ」
木琴を叩いたときに近い凛としているが柔らかい音が、上下の区別もつかない暗い空間に響き渡る。
床と壁の間の隙間から、まばゆいばかりの光が漏れてきた。
床全体が点滅して、内蔵されていたドッキング用センサーが発動する。
ダンテとスタンツを載せた床は、暗黒から光の中に放り出された。
文字がびっしりと刻み込まれた巨大な石板が何行何列にも渡って無数に連なり、下へ行くほど光の渦に霞んで見えなくなる。
ぽつりぽつりと点在する観測者用の小さな柱、そこへのドッキングを目指して粛々と床は点滅を続けて降下していった。
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