第38話 ふるさと
『一切のものは枯れて、腐りて、破壊されていく定めにあった。それすなわち天へと続く道であるがため。
──聖典 第2章 第17節
「三……二……一……はい!もう大丈夫ですからね~そのままゆっくりと目を開けてください」
精神科医が手を叩く音で、視覚と聴覚がクリアに開ける。
これで催眠療法とやらは終わりか?
睡眠と一緒で、目を閉じた瞬間終わったように感じる。
「ふわぁ……なんかまだめっちゃ眠いです」
「それは完全に気のせいですね、睡眠とはまた違いますから。どうも暗示にかかりやすい体質のようです。こちらとしてはやりやすくて助かりますが……」
「で、なんか分かりました?」
俺は軽い感じを装って聞いてみる。
「そうですね、子供の頃については、方言でしょうか?不明瞭な言語が混ざってほとんど聞き取れませんでしたが、現代に近づくにつれて重要な手掛かりになりそうなのがいくつか出てきました。再生しますが、ご気分が悪くなりましたらいつでも止められますのでおっしゃってください」
そう言って医者は飛行機のブラックボックスのような記録装置のスイッチを押した。
自動的にチャプターがつけられていて、モニターに浮かんだ一から十までの数字のうち五、八、十を指で軽く叩く。
「まず五番目、あなたの職業は何ですか?と聞いたときの反応です」
『ただのビジネスマンですってば!ほらビザにもちゃんと書いてありますよ。っておい高田!何出してんだしまえバカ!あっ、子供用の玩具ですよ、危ないものは一切……』
「ところどころ聞き取れませんが、玩具の販売関連でもされていたのでしょうか?このタカダ、というのは人の名前かニックネームでしょうか。何か心当たりはありますか?」
「いえ、何も思い出せないです」
高田というのは大学時代から俺がパシ、じゃなくて面倒見てやってた子分、じゃなくて後輩だが、俺はしらを切り通す。許せ高田、カラクタに罹ったままスパイ容疑で牢に入れられたくない。
「次に八番目、あなたが大人になってから最もショックを受けた出来事は?と聞いたときです」
『くそっ……血が止まらねえ!なんで、なんで俺みたいなクズ庇ったんだよ馬鹿野郎……!』
録音された己の声というものは、やけに気持ち悪く耳に届く。
偽ることもできない、腹の底から自然と出た声は特に。
「体格的にも前線での戦闘経験はないと、過去の治療でも推測されていますが……おそらく八番目の記憶は十年前のラトー襲撃時の記憶かもしれません。もちろん、人間同士でトラブルがあった可能性も捨ててはいけませんが」
「ま、待ってください。でも俺が記憶喪失と診断されたのは去年末ですよ?なんで十年前の事件のショックで、今さら記憶喪失になるんですか?」
「まれにあるんですよ。本人はトラウマを乗り越えたつもりでも、何かをきっかけにトラウマが再発して、耐えられなくなった心が記憶障害や精神障害になってしまうことが。あなたの場合、去年末に何かトラウマに関わるようなつらい出来事が起きたかもしれな──顔色が悪いですが大丈夫ですか?お疲れでしたら今日は一旦これで……」
「……大丈夫です。続けてください」
「では、十番目に移ります。十番目は最近一番印象的だった出来事は?と聞いたときです」
『一切のものは枯れて、燃えて、破壊されていく定めなれば。それすなわち天へと続く道であるがため。我は鋏なり、世界を刈り取るための鋏なり……』
「聖典の一節に似てますがところどころ違ってますね。『腐りて』が『燃えて』に、『薬』が『鋏』になったりしています。これを聞いて何か思い当たるようなことはありますか?聖典を読んでいて何か気分が変わったりとかは」
「うーん、全然分かりません」
「そうですか、では今日はこれまでにしておきましょう。手掛かりは出てきましたが、やはり身寄りになる人物が現れていないのは心細いですね。身内の人と再会できると記憶を取り戻せるケースも多いのですが」
催眠療法……うっかり高田の名前を漏らすわ地球の思い出したくないことまで喋るわ、ろくでもないことばかりだった。
ラムノに繋がり次第問い詰めないといかん。
それにしても最後の聖典擬きのフレーズは何だろう。
俺がラプセルで目を覚ますまでの間に、誰かが吹き込んだ?
俺にフラル手術を仕組んだのもそいつが?何のために?
「催眠療法は数回に分けて行うべきなのですが、精神的負担も大きくなるため途中でやめられる患者さんも少なくありません。マツバさんは継続と中止、どちらにされますか?予約がとれるのは遅くなりますが、中止して後から再開することもできますよ」
俺は喜んで中止を申し出ようとした。
が、そのとき激しく地面が揺れ始めた。
固定されていない小さな器具が軒並み床に落ちて、耳障りな音を立てる。
「な、なんだ?地震?」
床にへばりついて俺と医者は揺れが収まるのを待つ……が、一向に収まる気配はない。それどころかどんどん大きくなっていく。
これは地震じゃない。
何か途方もないものが、大地を揺らして近づいてきている。
〇 〇 〇
「ちょっと、変なとこ触らないでよ!おばさま名前は?同じ女性でも許さないんだから!」
今日も今日とて、フラルという武器がないリリカはあっけなく捕獲される。
「あーら、乱暴して悪かったわね。だったら優しく連れてってあげる」
悪しざまに怒鳴られた女医は、隠し持っていた注射器を素早くリリカに突き刺す。
「あ……」
リリカの首、それと獣の耳が力なく垂れて気を失い、なすがまま女医に抱えられた。
「全く、この忙しい時期に面倒ったらありゃしない。スタンツ様はいつになったら外してくれるのかしら」
(ふふん、バカな女!作戦成功ね。もっとも、それだけアタシの身体が変わってしまったってことだけど……)
以前は効いた麻酔注射が効かなくなっている。そのことに一抹の不安を覚えながらも、リリカはじっと気絶したフリを続けた。
全ては懐かしい我が家に帰り、ダンテに会うため。
あの日、一方的に血の繋がりはないと告げられて以降かれこれ一ヶ月近くも会えずにいる。
周囲は正体がバレたから捨てられたんだろうと囁き合っているが、リリカはそんな噂は一切信じなかった。
(アタシがスタンツの病院に閉じ込められてるように、きっとお父様もスタンツの奴に閉じ込められてるんだ……。だったらアタシが脱出して会いに行かなくちゃ。家の中ならスタンツだって入れないから一旦家に戻って……)
リリカは神経を張り詰めて周囲の様子をうかがう。
曲がり角の向こう側で空になった移動用ベッドを引いて、看護師が通っていった。
(今だ!)
リリカは自分を抱えている女医の掌に思いっきり噛みついた。
「痛っ!!」
思わず緩んだ女医の手を振りほどいてまたリリカは走り出す。
「このガキんちょ……!こら!待ちなさい!」
飛び乗った移動用ベッドは幸運にもフラル搭載式だった。電源を入れて、全速力で走り出す。
「アッハハハハ!このまま一直線に出口まで行ってやるわ!」
驚いて目を白黒させる医者たちを置いて、リリカは搬送用エレベーターにベッドを突っ込ませる。
が、そのとき激しく地面が揺れ始めた。
エレベーター内で停電が起きて、リリカは真っ暗闇の中に閉じ込められた。
「キャッ!何なのよもう……」
せっかく後少しのところまで来たのに地震だなんて、リリカは下唇を噛んで悔しさを堪えた。
けれどもう、さっきの女医も他の者たちも、リリカのことなどすっかり頭から抜け落ちていた。
病院中の人々が窓の外に釘付けになっている。
空から血のような、粘ついた赤い雨が降り注いでいた。
窓を汚し、遠くの山を汚し、どんな花畑も赤く染まっていく。
それは十年前、空から黒いラトーが降り注ぎ、全てを塗りつぶしていった光景にとてもよく似ていた。
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