第33話 地獄への道は
「なんだって!?ウロヌス社に技術売却するって……?」
ノウゼンから話を聞かされたエドは呆然と口を開ける。最近徐々にラーメン屋以外の本業の仕事も増え、絶え間なく動き続けてきた工場の機械の音が今日はやけに静かだった。
「そう驚かないでくれよエドさん。CFRF全部を手放すって訳じゃないよ、ただウチだとこれ以上の開発は負担になるから大きい会社に役立ててもらおうってだけだ。買収騒ぎになってた去年に比べればずっとマシさ。何もウチの強みはCFRFだけじゃない。これで代わりにハリドラの研究を進める余裕ができたし、長期的にはプラスになるだろうと判断してね……」
去年よりは元気が出てきたノウゼンだが、それでも曲がりつつある腰がどこか頼りない。止めるにも励ますにも躊躇いが出る、何とも尻切れトンボな結末だった。
「俺がどうこう言える筋じゃねえが……」
そう簡単には割り切れなくて、エドは腕組みして考え込むのだった。
〇 〇 〇
お咎めなしだと!?
スタンツは歯ぎしりを繰り返した。
聖典の守り手がその権威を否定しかねないもう一つの別世界の存在を吹聴し、どこの馬の骨の子かも分からない娘を跡継ぎに擁立しようなど、あってはならない大事件の筈だ。
家族というものにほぼ法的拘束力が存在せず、人工子宮や養子制度、保育・養護施設が充実しているラプセルにおいて、両親がたどれる子か孤児かというのは右利きか左利きかぐらいの違いでしかない。
しかしそんな中でもフラウシュトラス家とかつてのオンリン家の血統は、聖典と神樹それぞれの歴史を象徴するものとして特別視されてきた。
それを裏切ったダンテは即座にレトリア直々に処分、とまではいかなくても終身刑、禁固刑、精神病院に幽閉、どれかにはなるとスタンツは踏んでいた。
完全に無罪放免となった訳でなく、今後も人の手による勾留と裁判が続くわけだがレトリアが放っておいても脅威なしと判断した以上は、司法の処分も手ぬるくなるだろう。既にダンテは聖典の成立時期についての自分の学説を、検証性に乏しいと取り下げていて情状酌量の余地が出てきている。リリカを後継ぎから外せば不起訴で終わるかもしれない。
国家転覆罪はおろか、聖典の管理権限がスタンツに転がり込む可能性はほぼ潰えた。
ただでさえポソネムのためのお膳立てや後始末で苛立っているスタンツに、この状況は大打撃だった。
「……やむを得ん。計画を早めるか、ちょうど鍵以外の“道具”も揃う頃だ」
それからあいつも置いていこう。曲がりなりにも甥、利用価値があるうちはかわいがってやったが今となってはお荷物でしかない。
我が新世界にはふさわしくないから。
環境省舎最上階。縦長に区切られたガラス向こうの空中庭園にモンステラの穴あき葉や木々が繁茂するエメラルド色の大臣室で、スタンツとウロヌスは大テーブルに向き合って座っていた。
「スタンツ様の預言されました通りに、例の遺跡からお探しの物が出て参りました」
「やはりか、礼を言うよウロヌスくん。大変だとは思うがもう少し押し留めておいてくれたまえ」
「調査隊を止めておきますのも限度がございますため、なるべく早く次のご指示を頂けましたら……。採掘の影響で神樹跡保護局や巡礼者からの苦情も増えてきまして……」
「すまんが、私もこれでも急いでるんだ。後払いになるのは心苦しいが私がこの世を書き変えて首相の座に就いた暁には、君の方が領土が多くなるように取り
「ありがたきお言葉で……」
ケッ、素直に謝ればいいものを。困ってるのは未来じゃなくて今なんだよ今。
なんてことはウロヌスはおくびにも出さなかった。ウロヌスが献金をし、スタンツがウロヌスの稼ぎやすいように便宜をはかる共生関係はこうして長い間続いてきた。
「それから例の技術の入手にも成功いたしました。早速装甲の製作を進めております」
「おお、そうか!あれがあると心強いからな。先見の明を持つ中小企業がいたもんだと驚いたが、どうやら神とは関係ないようだったか」
「ええ、社長も営業の若造も買収されないし仕事も増えると聞くや否や大層喜んで……。特に若造のバカ面と言ったら……」
「よしよし、君には本当に世話になった。今すぐ労働法の改案のために動いてみせよう」
そう言うとスタンツはどこかに忙しなく通信をかけ出した。
次元を駆ける船か……五年前はそんなこと考えもしなかったぜ。
五年前に初めて話を振られたときはウロヌスも、この爺さんとうとう耄碌し始めたかと怪しんだ。
あの写真を目にするまでは。
『レトリア様やティルノグの動力源は何だと思う?ウロヌスくん』
『何と言われましても……レトリア様は天の国と繋がってるのでしょう?地上の物理法則は完全には通じないし、人の国の科学では説明不可能とだけなら聞いておりますが』
『では次の質問だ。レトリア様は何故我らをお守りくださるのだと思う?』
『それは……人の国と天の国が密接に影響し合っているからでは?人の国が荒れたら天の国も荒れて、死者の魂も安らげないと言いますし』
『レトリア様は、本当に天の国と繋がっておられるのだろうか?』
『ど、どういうことでしょうか?』
『これを見たまえ』
そう言ってスタンツがテーブルの上を滑らせて寄こしてきたレントゲン写真は、ウロヌスが腰を抜かすには余りにも十分だった。
心臓の位置、今やラプセルに住む誰のレントゲンにも平等に映る正八面体の棘の如きカラクタが、そこにはない。柔らかな人間の肉で出来た心臓のシルエットがはっきりと映っている。
『ス、スタンツ様!?この写真は……』
『私だ。天の国と直接繋がった証明として、神が消してくださったのだ』
『そ、そんなことが可能なんですか!?どうやって……』
『まあ落ち着いて、これから私がする話をよく聞きたまえ。全国民にはできない、私が選んだ者にしかできない話だ。パニックになるからな』
ラトーによる混線で、天の国と人の国の距離は広がった。それを見越して神はレトリアを目覚めさせたのだが、人の国で生まれた以上神の力を持つレトリアでさえも既にラトーの毒に感染しきっていた。
何よりも毒されたのはその心だった。天の国と繋がりを絶たれたレトリアは力を保つために、あるものを摂取し続けている。
亡くなった人間のカラクタから得られるエネルギーである。
全ての人の魂はレトリアの餌であり、ラトーを殺して回るのも人の国を守るためではなく家畜泥棒を憎んでいるだけに過ぎない……。
この話をスタンツは数ヶ月前に病院の緊急治療室の中で聞かされた。生死の境目で存在が曖昧になったからこそ、繋がれたのだという。車同士の衝突事故、打ち所が悪くて死の淵に立たされたスタンツの脳に舞い降りた、その優しい声は最後にこう締めくくった。
「残念ですが、救世主レトリアは壊れてしまいました。代わりにあなたにこの世界を救ってほしいのです。この声が狂ったあなたの幻覚ではない証明に、あなたのカラクタを消してみせましょう。今の距離ではまだあなた一人分で精一杯ですが、この世と天を繋げるお手伝いをして頂けたなら皆を救うことができます。どうかあなたの手で、出来る限り多くの人を連れてきてあげてください」
『どうだね、おかしいのはレトリア様かな?それとも私の方かな?』
正直、ウロヌスにはついていけない話だった。
ただスタンツが事故に遭った際、重傷だったにも関わらずあっという間に回復して驚愕したのは覚えている。
スタンツが「神の奇跡だ」「改めて信仰心を強くした」と繰り返し喧伝していたことも。
人心を解さないほどに冷たい目をした少女の姿の人形と、人心の果てに弛みきった皺の肌から濁った目を覗かす老人。
どちらを信じるべきか。
いやそんなことよりカラクタだ。
レトリアでさえ消せないカラクタを、目の前の権力者は消してみせた。
信じる理由はそれで事足りる。
『さあ、共に行こうではないか、新世界へ。命を剪定される側から、剪定する側へ……!』
〇 〇 〇
あ~忙しい忙しい。一昨日は移動中にラムノに事故調査介入の依頼、昨日はいろんな営業、そんで今日はラーメン屋の新店舗探し。ラムノに念押しされたしついでにラーの様子でも見に行くか。
あ~やっぱ北は冬なんだな……神樹跡との温度差で風邪引きそう。
は、は、は……。
「マツバてめえ!ノウゼンさんに何吹き込みやがった!!説明しろ説明を!!」
俺がツリーハウスに入ってくしゃみをするより先に、エドの鉄拳が飛んでくる方が速かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます