第32話 蛇の道は蛇




「で、で、で、できました〜……!」


 キルノと出会って四日後、上ずった声で叫びながらニーナが取り出したフラル保護フィルムは前よりほんの少し分厚く見えた。


「司祭様のお話に出てきたプラントの逆浸透膜からヒントを頂きました……。普通水の中の物質は濃度が濃い方から薄い方へ流れて均等になっていきます。逆浸透膜っていう小さい物質だけ通す膜を水中に入れて外部から圧力をかけると、膜の内と外で水だけの部分と不純物を含んだ水に分けることができます……。逆っていうのは、自然だと均等になるところに偏りが生じるからです……。今までは砂の粒子を排除することばかり考えてきましたが、これは逆に砂の重さを利用する方向に切り替えました……。フィルムの中に散りばめられた結晶繊維がさっきのお話の逆浸透膜、砂が圧力、フラルが水にあたります。結晶繊維を二重構造にしたので分厚くなりましたが、これなら砂が入っても流れ出ていっても内側のフラルには影響がありません……」


「実験の結果も上々!三十六時間経過していますが、フィルムを貼った範囲のフラルだけは無事です!これまでの最高記録がムールス社の四日間、一週間達成できれば採用間違いなし!ニーナさんと我が社の開発力は間違いなく世間に轟きます!」

「CFRFの課題だったフラルとの共存もクリアできます!これならあらゆる素材への応用が効くかと!ノウゼン社長たちに連絡しましたら、新しく特許を別途申請できるんじゃないかって会社中もう大盛り上がりです!」


「おお~すげえじゃん!おめでとう。じゃあ皆は引き続き実験に専念しといて。俺は営業とラーメン屋に戻るから」


 一通り拍手して、すっと椅子から立ち上がる俺をニーナがきょとんとした下がり眉と三白眼で見上げる。

「ていうか~……マツバさんってはるばる神樹跡まで何しに来たんですか……?冷麺配りに来ただけ?観光?」

「何だその言いぐさは、一緒にオバケに足引きずり込まれたりアーモンドパイおごってやったりしただろうが!」

「それ仕事と関係あります……?」

「かーっ、これだから損益度外視研究職どもは!あのな、営業も研究と一緒で地道な下積みが大事なの。成果が出るまでは言えんから黙ってるだけで、あちこち顔売りに行ってんだよ。今日もこれから挨拶回りだ!」




 砂の丘をいくつも超えると無限に続く悠久の砂の海から一転して、崩れ落ちたバラック街の廃墟とずらりと並んだ灰色の団地が見えてくる。


「また計画停電だってよ。最近多くない?」

「お上がフラル枯死直す気ないんじゃなあ。実験区域も補助金巻き上げるためのパフォーマンスだろ?」

「うちの人がフラル心臓でさえなければ、もう少し都心に引っ越したいんだけどねぇ……。どうにも都会の土と空気が合わないみたいで……いつカラクタが発症するかと思うと怖くて……」

「でも保障が手厚いのはこっちって言うじゃない?家が建ったのも一番早かったし、ぶっちゃけラトーが来る前よりは停電以外マシな生活だし。何もかも望むわけにはいかないものねえ」


 住民の会話をBGMに妙にじめっとする団地の廊下を練り歩き、俺は隅っこにあるドアのベルを押した。

「すみませーん、多分あやしい者ではないのですが……」





 〇 〇 〇





『基地南東30km、上空15kmにラトー五十体超の群れの侵入を確認。第一飛行隊から第五飛行隊まで第一種戦闘配置。繰り返す、第一飛行隊から第五飛行隊まで第一種戦闘配置。直ちに出撃せよ』


 クラウス・ニューウェンハイゼン中尉は仲間と共に汎用機に乗り込んだ。エンジンノズルの前を通った時に、その暗がりにいつもにはない不気味さを感じたのがまず最初。乗り込んで管制官の通信を聞きながら、いつもの足癖でペダルを踏んだときに妙な抵抗を感じたのが二つ目。三つ、エンジンスイッチを入れたときに、轟音の中に微かにちりちりと紙が擦れ合うような音が紛れた。


 昨日のプフシュリテ大佐の訓示が脳裏をよぎる。

『我々の敵はラトーだけではない。慢心せずに、常に臆病に安全を確保しろ。武勇は後からいくらでもついてくる』


 他の皆がてきぱきと飛び立とうとしている中、ためらいを起こす前にクラウスは管制官に呼びかけた。

「こちらC11。出撃前だが、エンジンに不具合が発生した可能性あり。至急指示を求む」





 〇 〇 〇





『……という事態が発生した。とっさに中尉が出撃前に気付いたから大事に至らなかったものの、あのままエンジンが開花していたら開花室からフラルが溢れ出て即座にタービンを巻き込み墜落していただろう。もうすぐニュースにもなる筈だ』

「ほうほう、で原因は?」

『隔壁のボルトが緩んでいたのが原因だ。機体が破損する前に調べたからすぐに分かった。今ボルトの担当会社と整備員に事情聴取を行っている』

「……本当にそれで解決すると思うか?」

 俺が溜めてから言うとラムノの声が小さくなった。今日は音声だけの通信だ。

『……どういう意味だ、マツバ?』


「だって変じゃない?この前のアンテナトラブルも、タルタン社と下請けの情報共有ミスでフラルの強度設計が確認不足だったんだろ?どうにもタルタン絡みの事故が多いと思わないか?」

『それくらいなら事故調査委員会も当然把握している。タルタン社には厳重注意の末、各担当会社との連絡体制を一新する改善策も提出してもらっている』


「ふーん、次はウロヌス社系列のどこで起きるかな~。やっぱりまたタルタン社まわりかな~」

『……さっきから何なんだ、軍の調査に不満があるならはっきり言え』

「たとえば、たとえばの話ね?タルタン社が隔壁の設計図を下請けに渡しました。下請けがそれに従ってボルトの生産準備をしました。でも途中でタルタン社がこの前のやっぱりなし!って言い出して、直前になって設計図の差し替えを行いました。当然生産するボルトも違う奴になって、下請けのコストとストレスは跳ね上がります。さてこの場合、責任はどちらが重いでしょうか?」

『そういう事実関係の確認は、これから各社関係者に細かく聴取してだな……』


「それじゃ今まで通り逃げられる。これもたとえばの話だが、ウロヌス社に上から押さえつけられてるんだ。罪を被ってくれたら今後も優遇して仕事を回す……従業員一人丸め込めば社名に傷はつかないようにする……とか何とか言って」

『……お前の妄想だけでは私は動けない。そう考えた根拠を示せ』


「根拠は一人いる。四年前にある建設現場で大事故が起きた。完全匿名を条件に、自分が知っている当時の状況を話すと言う人が一人出て来ている。今回の事故と直接の関係はないかもしれないが……それだけに何か突破口になるかもよ」

『四年前って……お前、まさかエンデエルデのあの事故を探ってるのか?』


「ああ、エドフィック・ローレンスとその娘ニーナ・ローレンスは間違いなく天才だ。エドは口こそ悪いが研究となると誰よりも神経質で注意深い奴だし、とてもそんな大へまをやらかす奴には見えねえ。当時は慢心してたから……とか言ったって、他に慢心してる奴がのさばってるのを見たらどうにも茶々を入れたくなってきた。頼む大佐!例の研究のためだ!力を貸してくれ!」

『むぅ……』


「頼むよ~大佐だってアレを預けてる奴が、もっと信頼できる男だって分かったら安心できるだろ?だろ?」

『むぅ~~~……!』


 通信の向こう、ラムノが職務遵守と職権乱用の狭間で頭をぐりぐり抱え込むのが容易に目に浮かんだ。



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