第30話 嘘つき




『満開に咲いた毒の花が散った。空から悪魔が降り注いだ。

 一つだけ神の花が咲いた。人の世を守り、天に届けるために』


                         ──聖典 第12章 第20節




 ツピラ名物、白蜜棗のスモモ酒漬けアーモンドパイを頬張っているとラムノから通信が入った。


「私だ、今話せるか……って、き、貴様……!大事な話をしようってときに、おやつなんか食べてる場合かっ!」

「な、なんだよ……そっちがかけて来たから急いで出たのに」

「いいから画面に映すな!集中できない!」

 糖分不足でイライラしているのか、歯を剝き出しにした機嫌の悪い子犬のような顔で吠えてくる。

「あ~キルノさんも言ってたなぁ。姉さまは白蜜棗が大好物なんです~って。今度会うとき持って来るわ」

「は……?キルノ……?」

「それにしても大佐も酷いな~妹さんがいるなんて話、全然聞いてなかったぜ。もうちょっと信頼してくれてるかと思ったけど」

「ま、ま、ま、待て、マツバ、キルノと会っただと?いつ、どこで?」

「ツピラ砂漠のフラル調査で。そういえばこれもキルノさんから聞いたんだけど大佐って小さい頃砂漠でサソリにビビッて~」


 耐えきれなくなったラムノが耳を塞いで叫んで、ポニーテールがぶんぶん揺れた。

「わーっ!キルノの奴!もういい!やめろ!……それより話だ!ウロヌス社が無人戦闘機の改修に向けてノウゼン社に協力を要請しているという情報が入ってきた。……マツバ、私に隠れて何か動いたか?」

「別に何も?ウロヌスに偶然会ったって話はしたろ?でも俺が思うに、前からノウゼン社に興味あったんじゃないかな~タルタン社の奴より話分かりそうだったし、やっぱ大物は違うね。下請けでも尊重して使ってもらえるようになるのは有り難いこった」

「……そうか」


「それより大佐、この前の大規模演習の新開発兵器でトラブルが起きたんだって?確かアンテナの送受信で不具合が起きて、旧仕様型を代替して何とかなったとか」

「そうだが、それがどうかしたか?」

「あの子会社には気をつけた方がいい。これはただの勘だが──今度は事故が起きるかもしれん」





 〇 〇 〇





「降りてください」


 たくましい大人の腕が、リリカを強引に車から引きずり降ろす。

 憔悴しきったリリカは抵抗もできずによろよろと転がり出た。

 白いタイルの地面と、厳めしく見下ろしてくる警視庁の建物と、バリケードのように急で刺々しい階段。

「おい、リリカだ!リリカが出て来たぞ!」

 柵越しに無遠慮に眺めまわしてくるやじ馬たち。誰かからのリークをつかんだマスコミが、リリカが車から出たところをカメラに捉えた。

「えー、たった今、リリカ様が車から出てきました!あっ、確かに頭から獣のような耳が生えてます。フラルが使えなくなったとのことですが、それと何か関係があるのでしょうか?」


 病院で訳の分からない検査をたらい回しにされたリリカに、噛みつく元気は残っていなかった。


 ──やっぱりあのとき、ドアを開ければよかった。こんなに長い間会えないなんて……。血が繋がってないとか急に言われたって、訳分かんないよ、お父様……。


 屋敷から連れ出され、病院に閉じ込められ、たった三日間だがリリカには永遠に続くような長い責め苦の時間だった。

「お父様は……?お父様に会わせてくれるんじゃなかったの……?」

「ダンテ様がいらっしゃる建物にお連れするという意味です。これから貴女様には事情聴取にご協力いただき、ダンテ様の罪を詳らかに──」

「お父様は、お父様は悪いことなんかしてない!あなたたちが勘違いしてるだけよ!偉そうに口を──」


「黙れ、嘘つきリリカ!親子そろって国中騙しやがって!」

「そうだそうだ!何が神に選ばれたフラルだ!魔女の娘のくせに!」

 リリカの叫び声を、群衆の怒鳴り声がかき消す。

「魔女……?何を言っているの、お母様は考古学者で……」


「フラウシュトラス家を誑かしてよその男の種を産むなんか、魔女以外の何者でもない!そんな奴の娘にへこへこしてたなんて、全く情けないよ!」

「何が考古学者よ!歴史を改ざんしようとしてたんでしょ、証拠まで捏造しようとして……」


「捏造なんかしてない!これから見つけようとして、お母様は──」


「罰が当たったんだ!あの事故も、獣の耳も、ラプセル中を騙した罰だ!親子そろって報いを受けろ!」


 あの事故も──

 その言葉で、リリカの中の何かが折れた。腰から崩れ落ち、地面に突っ伏しそうになる。


「やーいやーい嘘つきリリカ!リリカも嘘つき、両親も嘘つき!親子そろって嘘つきだ!」

「うちの子があんな風に育たなくてよかったわ。ほんと教育って大事よねえ、みっともない」

「聖典がこんな化け物に乗っ取られるところだったなんて……許せない!」

「化け物!化け物!」


 それでも不満が溜まっていた人々の罵詈雑言は止まらない。リリカの指が地面を力なく引っかく。

 駄目よリリカ、泣いては駄目。

 泣くもんか、決して……。




「お前たちは、いったい何をしている?」

 騒がしかった警視庁前広場に、鋭い声が一閃飛んだ。


 リリカが見上げると、目の前に自分とほぼ同じ背丈のレトリアが堂々と立っていた。


「レトリア!」

「レ、レトリア様……!」

「ダンテ・フラウシュトラスが裁かれているのは、虚偽によりラプセル中を騙していたことについてだ。嘘をついたのはダンテであって、リリカではない。お前たちのしていることはただの弱い者いじめだ」

「……」


「獣の耳が生えただけで化け物扱い?奇病はラプセル人民移民関係なく発症した。歴史の勉強をサボったか?」

「……」


「お前たちが不安に駆られる訳は知っている。聖典の守り手であるフラウシュトラス家の当主が国民に嘘をついていた。その娘リリカは難民の血を引いていて、跡継ぎの資格に疑問が生じた。国を裏切るかもしれない……と疑うには十分すぎる材料だ」

「……」


「だがよく聞け。この娘に行き場なんてもうどこにもない。裏切ろうにも裏切れない。お前たちの怒りは騙されていたことの怒りではなく、自分より弱い者をいじめるための、娯楽の怒りだ。一人ずつ自分の顔を鏡で見てみろ」

「……」


「今から私がダンテに話を聞く。罪状が確定してからは人間どもに任すが、勝手に暴走して無関係の娘まで巻き込むな。お前たちもとっとと帰って頭を冷やしてこい」

「……」


 静まりきった群衆に背を向けて、レトリアが警視庁の階段を上がっていく。

「レトリア!」

 レトリアのワンピースの裾に、階段下のリリカがしがみつく。獣の耳がふるふると震えた。


「レトリア……お願い、お父様を、お父様を助けてあげて……今までのケンカ、全部謝るから……。もうワガママ言ったりしないから、野菜も全部食べるから、お願い……」


「寄るな。鬱陶しい」

「え……」


 冷たく見下ろすレトリアの目は、群衆を諫めるときと全く同じだった。

「私の裁きにお前の私情を挟む理由はない。ダンテを助けたいなら事情聴取で正直に話せ。病院でおとなしく治療を受けろ。後は私の知ったところではない、放せ」


 淡々と吐き捨てて、容易く足元のリリカを振りほどく。

 リリカの手が空しく宙を舞った。

 何もかもに見捨てられたリリカが最後に絞り出した声は、自分でもどこから出てるか分からない、遠い記憶に呼び覚まされたような声だった。


「レトリアは……アタシが知ってるレトリアは、だよね……?」

「……」


 何も答えないまま、レトリアは扉の向こうに進む。

 取り残された人々の、しらけた空気だけが残った。





 〇 〇 〇





「やった、やったわ!私たちの聖典と同じ年代に書かれたって特定できた……もう一つの世界は存在してる!そしてそれがこうして混ざり合う現象が起きている!これでいろんな謎の説明がつくようになる……!」


「喜ぶのはまだ早いよマリヒ。今のままだとせいぜい当時の人のイタズラだと扱われて終わりだ。これが別の宇宙から来たと証明する方法を探さないと。“穴”か“ヒビ”か、見つけ出すか理論上再現できるようにしよう……物理学と天文学、いろんな専門家に意見を聞いて、それから……」

「ダンテ……ありがとう。あなたがいてくれたから、私たちここまで来れた。なのに、あなたが苦しんでるときに何もしてあげられなかったなんて……!」

「やめろマリヒ!君らしくもない。君たちが勇気をくれたから、僕は立ち上がれたんだ。大丈夫、今は皆の理解が得られなくても、いつかきっと僕たちの思いが届く日が来る……あっ、こらリリカ!駄目じゃないかまた仕事場に勝手に入って……」

「そうよ、大事なお話してるんだから。絵本なら後で読んであげるから、おとなしく部屋に戻りなさいな」



 もちろん母そっくりで好奇心の塊のリリカが、言うことを聞くわけがなかった。

 フラルのケーブルをこっそり伸ばし、リリカは息を殺して先端のカメラから古代文字の一つ一つを読み込んでいく。


 カラクタが跳ね上がりそうなほど胸の中がざわついたのは、禁忌を犯している隠微な興奮から?

 それとも寝転がっているふわふわのベッドが足元から崩れていきそうな、得体の知れないものに触れた恐怖から?


 今となっては何も思い出せない。一番幸せだった日々も、安穏と守られていただけの日々も。

 脳裏に刻まれているのは、無感情で機械的な文字面ばかり。



『満開に咲いた毒の花が散った。空から悪魔が降り注いだ。

 一つだけ神の花が咲いた。人の世を守り、天に届けるために』


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