第18話 殻VS人




「なめるな!」

 とっさにマックスが機体をロールして機銃掃射する。怯んだように破片の速度が鈍った。しかしこれが自爆機能の模倣であることは忘れていない。アランとマックスは破片たちが爆発して今度こそ塵になるまで、全速力で逃げ続けた。


 間もなくレーダーに十数個の点が映る。マックスたちには右、ラムノたちには左、ホルネオたちには中央、各々のレーダー可視可能範囲に、各々の敵が映る。

 もはや互いに連携を取り合う時間は終わった。ここからは個々のエゴが剝き出しになる。でなければ到底生き残れない。


 目視可能範囲に入る頃には、頭上一面を覆わんばかりに赤い殻の群れが広がっている。レトリアの“鎧”“殻”は本体を離れて増殖することも容易だった。


「いよいよ対集団戦の始まりってわけか……」


 数が増えたからと言って、その数の分難易度が上がったという訳ではない。対ラトー集団戦の肝は先手必勝一網打尽にある。

 そして一網打尽にするには、敵が頭上にいる間に、囲まれる前に叩くしかない。


「この僕が意味もなく大廻りして距離を稼いでいただけと思うかい!誘いに乗ってくれて嬉しいよ……!」

「投網も間に合ったぞ!一気にやれ!」


 アランの“森”が空に逆さまに根を張ると、続けざまにマックスの菌糸ネットが発動した。



 新型TMR機の大きな特徴の一つに、フラルリンク(媒介による接続)機能の向上性が挙げられる。これまでリンク用の媒介風を機体だけで放出するにはかなりの時間がかかった。だから個人のフラルをリンクする際は、風防を開けて直接外の風を使う方が格段に早かったがそれだと危険度が跳ね上がる。


 TMR機は兵器搭載スペースに新たに大規模な送風リンクスペースを増設した。これによりエンジンの爆風や他の豪風にかき消されることなく、効率よくリンク用の風を内部で完成させた状態で撒けるようになり安全性と戦闘速度の両立が可能になった。

 ただしその分機体が大きくなり機動力は低下した。ミサイルよりも圧倒的な破壊力のフラルを個人で出せる、ラムノやアランほどのエースパイロット専用の超特別機だと謳われている。


 MR機は従来機の改良型だが小規模な送風リンクスペースを内蔵、TMRには格段に劣るがリンク風の速度向上と機動力の両立に成功した。

 その分操作にも繊細なテクニックが要求される。



 マックスの丈夫で密な菌糸網が殻たちを封じ込めて、アランの森が瞬時に串刺しにした。空軍最速の貴公子とは単なる速度の話ではない。空一面を丸ごと支配する無尽蔵なフラルの威力をも指すのだった。

 電流が走るような縮れた爆発音が炸裂し、コア部分を貫かれた大量の殻が瞬時に散った。茶灰色の幹に、真紅の殻の残骸が纏わりつくさまは晩秋の散る紅葉の森を彷彿とさせる。

 しかし無尽蔵の欠点は野放図でもあることだった。僅かな隙間に逃げ込んで、コア部分の損傷を免れた数個の殻がすぐに回復して急降下してくる。


「爪があめぇぞ大佐!宇宙最速を名乗るんじゃねえのか!?」

「これは面目ない……でも安心したよ、僕の森にはまだまだ伸びしろがある……!」

 巨大な森を生成するアムリタの消費量は莫大だが、もちろん余力は残してあった。

 飛びかかってくる残党に向けて、正確な軌道の槍根が放たれる。

 今度は一つ残らず逃がさなかった。





 ラムノとソフィアは弧を描く形で急降下しながらフラルの準備に入る。

「前のような失敗はしない……距離を保ってまとめて仕留める!」

「大佐、足止めはわたくしが。フラルにご専念くださいませ」

「この規模だがいけるか、中佐?」

「お任せあれ!」


 高らかに宣言するとソフィアは主翼の後部からミストを撒いた。風に頼る必要のないオーロラの如き薄紫の霧が、追ってくる殻の群れを包み込む。動きが鈍り、距離がどんどん開く。

 その隙にラムノは腹に力を込めると、操縦桿を引いて急上昇した。同時にもう片方の手でリンク用の媒介桿を握って送風準備に移る。


 後方の護衛に気を配っていたソフィアだったが、自分も続けて上昇しようとして前方視界の違和感に気付いた。霧を逃れたごく一部の殻がソフィアの前に立ちはだかる。


(私としたことが、大佐との間に割り込まれるなんて……!)

 慌ててフラル内蔵型ミサイルを撃とうとしたが、この間隔だとラムノを巻き込む恐れがある。攻撃に自信が持てないから、誰にも真似できない霧の技を磨き上げて中佐になるまで戦果をあげた。その霧を容易く突破されるなんて。

 ソフィアの茶色の瞳が殻を映して真っ赤になった。


「抜けろソフィア!」

 ラムノからの怒号の通信で我に返る。

 そうだ、霧を撒く前に自分はまず戦闘機乗りだ。操縦桿を強く握りしめて歯を食いしばる。

 上へ下へ、右へ左へ、それは蛇行というより蝶の舞の鮮やかな急旋回の連続だった。

 ソフィアが触手の猛攻を潜り抜けるのを確認したラムノは、媒介桿のスイッチをぐいと押し込んだ。



 機体下部から殻の群れ目がけて、青い色をした梅の花が吹き荒れる。ラムノの髪と瞳と同じ色、決して空の青にも宇宙の藍にも馴染まない。その鋭い青が殻のコア部分を次々と貫いて仕留める。

 マックスがスケールと一撃の巨大さなら、ラムノの武器は機転と手数だった。どんな方向から迫られても、どんなに触手がうねろうとも、フラルリンクの風を感じれば恐れはない。速く、的確に、力強く、梅の列が伸びて敵を染めていく。

 二年連続ラトー単独浄化数一位(軍人内)、『ラプセルの誇り』『勝利の女王』が幾許かのプライドを取り戻した瞬間だった。


「キャタピーの中にいたままで、こんなに自由に咲けるなんて……これがTMR……!不安もあったが、やはりシミュレーションと実戦訓練では大違いか……。お前に部品を再利用された旧機も、きっと喜んでくれているだろう……」

「……はぁ」

 恍惚とした吐息が出るラムノに比べて、ソフィアのため息は重かった。

 それは少し、去年ティルノグに助けられたときのラムノに似ていた。





 ホルネオとスフィーはまずフラル内蔵型ミサイルである程度戦力を削る作戦に出たが、巨体の集団相手に効果は今一つだった。

 殻たちに距離を詰められてもさらにその倍の距離をすいすいと広げて、追いかけっこを楽しんでいるようにさえ見える。


 海軍新型戦闘機X──別称“海を平らげる蛇”には、TMR機のようなフラルリンクの特別な仕掛けはついていない。


 潔いほど無駄を削ぎ落した流線型の白い機体最深部に設置されたのは、短期未来予測計算に特化したレーダーと自動運転制御システム。

 パイロットの判断を超えるほどの性能にはまだ届いていない、いやパイロットの安全を補助するためにはいずれ欠かせなくなる、との議論が開発当初以来から続いている。

 特にスフィーとのシナジーは危険すぎて逆に相性が悪いのではないか、という意見も出て危ぶまれた。X-1のレーダーには、スフィーのフラルとリンクできる仕掛けが施されている。

 他のパイロットなら無用の長物になるだろうレーダーとの直接リンクが凶と出るか、吉と出るか。

 演習五日目の今日、ようやくその真価が発揮される。

 空軍のラムノやアラン同様に、ホルネオたちも大勢のパイロットたちについてこられると派手にフラルを使えない。今日のスフィーはこれまでの鬱憤を吹き飛ばすように、まずは飛ぶことを楽しんでいるようだった。


「なるほど硬さも巨大ラトー級。ちまちまやってたらコアまでたどり着けないや」

「…………」

「じゃああれ、使ってみよ!大佐、いいでしょ?」

「………─…」

 微かに乱れる呼吸音だけの通信を聞いて、スフィーは不平を漏らす。

「え~特別な訓練なんだよ!手抜いたら死んじゃうよ?ねえ、半分だけ!」

「…………」


 無言の許可を得たスフィーは意気揚々とヘルメットの隙間から浅葱色の前髪をかきあげると、ウィンクして右の義眼のスイッチをセーフモードで入れた。

 水色だった眼がみるみるうちに橙色に染まる。

 十年前ラトーの毒波に抉り取られた右眼は、神の眼に生まれ変わってスフィーの頭蓋に還って来た。


「ん~、今日もいい感じ♪」


 神と呼ばれる所以はその攻撃性にある。

 スフィーの体内に流れるアムリタが持つ限り、その視界にほんの一瞬でも入ったラトーは全て溶けて死ぬ。


 蠱惑的な眼光に導かれて、殻が一気にスフィーの正面に集まってきた。

 その一挙一動を、ヘルメットのミラー越しにスフィーは偽の眼に焼き付ける。

 恐ろしく俊敏だった殻の動きが、次から次へとぴたりと止まる。それは粘着テープに絡めとられた哀れなハエによく似ていた。


「しまっ──」

 しかし敵の的になりながら、無敵と化した正面以外の攻撃から回避や旋回を続けるのは極めて難しい。“眼”の反動とレーダーとのリンクの負荷に耐えながら、とあっては猶更なおさらだった。

 スフィーの操作と半自動運転システムの間に齟齬が生じ、機体が大きく傾く。弾丸と化した殻の群れが側面に突っ込んでくる。

「…………!」


 太い煤けた黄色の蔦が、ホルネオのコックピット内から機体表面を駆け抜けた。近づいてくるなら、ラトーだろうが神の鎧だろうが何でも巣食ってしまう。

 ホルネオの蔦が殻に寄生し、巨大ラトー並みの装甲表面を侵食していく。蔦は殻を伝ってスフィーの機体さえ鷲掴みにし、戦闘機の猛烈な力と重量すら無視して安全な方角に引っ張り上げた。

「大佐〜ありがとうだけど放してよ〜。もう子供じゃないんだから〜」

「…………」


 いやいやと首を振るスフィーの元に、まだ粘着に引っかかってない殻が突っ込んできた。

「あれ、まだやるの?好きだね〜」

 雲より遥か上、雨雲なんて存在しない成層圏に、一滴の雨粒がぽつんと落ちる。

「でもボクは降りるよ。だってこの、最初から終わってるし」


 途端に消化液のどしゃ降りが、容赦なくあたり一面の殻に降り注いだ。



 スフィーとホルネオのフラルに、外へのリンクは必要ない。

 必要なのは果てしない空の海を読む力、蔦の踏み台になる敵が、眼の餌になる敵がどこにいるか教えてくれる海図だった。

 そして機体正面からはややタイムラグがあったがほぼ360°の殻が粘着地獄と、その領域上下から挟み込んで降り注ぐ消化液に沈みきった。

 X-1のレーダーはスフィーの貪欲な期待に応えて、肉眼の限界を超えたのだった。


 全てのラトーを溶かしたい……全てのラトーを平らげる巨大な眼になりたい……。


「…………」

 何も残さず溶かし尽くした領域内雨が静かに止んだのを見届けて、ホルネオはハーネスになっていた蔦をゆるゆると解いた。

 通信からスフィーの無邪気なはしゃぎ声が響いてくる。

「ふ~ん、Xと合わせたらこんな感じになるんだ。いいね!早くラトーにいっぱい使いたいな!最後の一匹まで、ボクが見届けてあげるんだ!」


 スフィーの長い睫毛が、食虫植物の捕虫葉のように楽しげに跳ねた。

 まだまだ食い足りないと言わんばかりに。



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