第13話 ゆく年くる年




『毒花に打ち克ちし聖なる人々よ、あなた方こそ神に選ばれたのだ。その苦しみを忘れるなかれ、その悲しみを捨てるなかれ。されど剣を持つことなかれ。この世の剣は神の剣一つのみ。

 神いい給う。復讐するは我にあり、我これを報いん。

 人よ、神の裁きをして待て』

                         ──聖典 第11章 第20節



 ノウゼン社長の朝は早い。日も昇りきらないうちにシャッターのロックを解除して社屋に入ると、社員出勤状況掲示で一人の名前が“社内”表示に光っていた。

 工場や室内の電気は消えているが、廊下の電気は既についている。

「おや、クラさんがもう来てるのか」

 出勤ではなく社内表示とは、仕事以外のいったい何をこんな早朝からしているのか。

 そしてさっきから妙に食欲を刺激するこの匂いは何なのか。

 休憩室の灯りが煌々とついているのにノウゼン社長は気付く。

「や、社長。おはようございます」


 覗き込んだ目に飛び込んだのは、古株の社員クランツが朝からラー・メンに懐柔されている姿だった。






  〇 〇 〇




「これを? サフラスで売る?」


「はい! これだけの強烈で馥郁ふくいくたる香りなら、強豪たちが集う飲食販売の露店でもいい勝負ができるかと!」

「う~ん、ハリドラを入れる前と後で全然味が違うねえ……。フー・タルの店主たちがこれ知ったら腰抜かすんじゃないの」

 冷静な口調だが、ノウゼン社長の箸は止まらない。

 地球人の感覚で言うと、トリカブトをラーメンの隠し味に使うようなもんだろうか。毒がないどころか益なのに、よくもここまで嫌われたものだ。


 昨日あれから数種類フー・タルのインスタントやカップ麺を買ってきて、一番ハリドラと相性が良かった奴をノウゼン社に持ってきた。最初に食べた奴はたまたままずかったが、フー・タルにもラーメン同様長い歴史と様々な種類があるらしい。

 好みが細分化されすぎていたらどうしようと思ったが、クラさんとノウゼン社長の反応を見る限り、誰が食べても美味しい王道路線を目指せているようだ。後で社員にも食べてもらおう。


「という訳でノウゼン社長お願いします! 今日から年末年始にかけて、従業員さんを三~四名ほど美容クリームとラー・メン製造および販売のためにお借りしたいです! 言うまでもありませんが、責任は全部ウチが持ちます!」

「きょっ、今日から!? 困るよ、仕事納めにはまだ早いよ」

「あくまで手が空いている従業員さんだけです! 仕事納めまでは終業後のほんの一~二時間程度です!」

 エドたちには猛烈に反対されたが、今日の俺はねじり鉢巻きを巻いてみた。

 昨日の用件とは違いますのアピールだ。会社の今後がヤバいってときに、無関係の事業に手を出そうって馬鹿はそうそういない。


 昨日がまだノウゼン社のお世話になりたいアピールなら、今日はノウゼン社から独立して、対等な関係になりたいアピールをしに来たのだった。


「そしてもしこの販売が成功しました暁には、何卒正式に商品開発に進みたいです! もちろんスポンサーとして御社のお名前を宣伝いたします! 昨日あの後、どうすれば我が社の展望にご理解頂けるか考えた末にたどり着いたのがこのラー・メンなんです! どうかもう一度、もう一度だけお願いします社長!」

 頭を下げる俺とエドをじっと見て、ノウゼン社長は顎に手を当てた。


「うちにもプライドってもんがある。普段ならこんな繊維に何の関係もない変な相談断るとこなんだが……私ももう歳みたいだ。情けないが、社員へのボーナスも今年は全然出してやれなかった。タルタンなんかに食い荒らされて沈むぐらいだったら、その前に一度自分たちでめちゃくちゃにして、一からやってみようじゃないか。その話、乗るよ。何より美味しかったし。上手くいくといいね」


「やった! ノウゼン社長、恩に着ます!」


 許可をもらったので、早速昼休み中にくつろいでる社員に声をかける。

「え~、年末年始バイトで臨時収入が欲しいって人~。露店でバイトやりませんか~? 年末年始はダメでも数時間だけビラ作りビラ配りならできる、って人もいいよ~。美味しい特別フー・タルや美容クリームもついてくるよ~」


 主に若い社員が数人だけだが、ぽつぽつ話を聞きに来てくれた。この日はダメ、この時間ならOK、これならできそう、などを聞き取り、シフトや仕事内容を割り振っていく。


「う~ん、スープの方はハリドラで何とかなったけど、麺はインスタントのままなんだよな。もう少しオリジナリティを出したいが……」


 工場内を見て回っていると、何だか気になる形の小型の機械が目についた。

 ハンドルがくっついたタンクに、いかにもかき混ぜます!って感じのミキサーと受け皿。


「あっ! 社長、これ何すか?」

「ああ、これは混練機と言ってね、二つの材料を混ぜ合わせる機械だよ。今のウチの商品じゃ使わないからすっかり放置しちゃってるけど……」

「よし、エド。これお借りしてラーメンにハリドラ練り込むぞ。小麦粉買って生地作ろう」

「おいおい、そんなことやってたら手間も経費もガバッと増えるぞ」


「いつまでも既存の商品に頼ってる訳にはいかねえ、先行投資だ。この短期間で素人が捏ねても美味い麺が作れたらチェーン店経営だって目指せる! インスタントの企業努力に挑む気でいくぞ、麺もスープも凝って凝って、徹夜で勝負するしかない!」





 〇 〇 〇





 毎年夏と冬の祭りの前には、慰霊式典が開かれる。

 式典は北ラプセルと南ラプセルで一日ずつ、計二日間ある。

 夏は北ラプセルが先、南ラプセルが後。

 冬は南ラプセルが先、北ラプセルが後。


 今日は大晦日前日、北ラプセルの慰霊式典の日だった。


 祭りの前に死者を悼むことで、祭りの日まで生き延びた幸福に感謝し、死者へ終戦への決意を捧げる。


 レトリアが民衆の前に姿を現す、数少ない日でもある。

 この半年の間に戦死した軍人と、カラクタによる無念の死を遂げた者に、それぞれ別種の勲章が贈られる。

 白い祭壇の上で大臣からレトリアに手渡された勲章を、大司教の祈りが施された聖枝に括りつけていく。


 最後に名前が挙がったロドリゴ・クエンシー少尉とルード・スウェントン少尉は死後二階級特進し、大尉と呼ばれるようになった。



 そのとき──


「何よ勲章なんか!!」

 叫び声が飛んできたのは、遺族参加者の列からだった。



 周りの制止を振り切って、女が大階段の下まで進んで叫ぶ。

「あなた神様なんですよね!? 神様なら、どうして息子を死なせたんですか!?」

「……」

「神様なら、どうしてカラクタを治せないんですか!? 夫は、夫は最期にはあんなに苦しんで……」

「……」


「あんたみたいな機械に、我が子を亡くした親の気持ちなんて──」

 そこまで我を忘れて叫んでいた女が、はっと息を詰まらせた。手を伸ばせば届く距離までレトリアが階段を降りてきている。じっと無表情で見下ろしている。


「……」


 何も動かず、何も言わないレトリアに女は怯んだ。

 掴みかかりたい、叫んでしまいたい、息子を返して、夫を返して。

 だが、そうしたところでどうなる?

 こんな心無き神の兵器に、心をぶつけたところで──


「うっ、うううっ……」

 地面に泣き崩れる女を、同じ遺族参加者の女性たちが悲痛な顔色で支える。

 そのまま抱きかかえられるようにして、女は連れられて行った。


「……レトリア様」

 ユークの呼び声を聞いて、やっとレトリアは振り向いて壇上に戻って行った。





 〇 〇 〇





「はいはーい! 傷薬と美容クリームの列はこちら~。新種フータル『ラー・メン』の列はこちら~。順番にお並びくださーい」



 大晦日当日、露店はちょうどいい盛況ぶりだった。

 緊急で1スペース増やしてラーメン屋と長椅子もおまけでくっつけてみたが、お祭りだから当然美容クリームよりもラーメンの方がずっと売れ行きがいい。

 美容クリームの方は主に女性陣、ラーメンの方は男性陣でさばいていく。俺は注文と配膳だ。


「あらあなた化粧品販売の人じゃなかったの? フー・タル屋も始めたの?」

 先日購入してくれたマダムが親しげに声をかけてきた。

「いや~、奥様再度ご来店誠にありがとうございます! 仲良くしてくれてる店主と材料研究の話で盛り上がりまして、今日はこうして店を並べることにしました。私も自然派無添加にこだわりがございますので、いつかは食べれるぐらい体に良い化粧品が作れたらいいなと思いまして! アッハッハ」


 ラーメンの匂いにつられて続々と人が集まってきた。

「こんなうんめえフー・タル食べたことねえ! いったい何で作ってんだ?」

「そこが一番大事な企業秘密ですのでお答えできませ~ん! 野山で手に入る野草の一種とだけ言っておきましょう。ご安心の上じゃんじゃんお召し上がりください!」

 年越し蕎麦ならぬ、年越しラーメンをほおばる人々で賑わう。


 しかし日付変更前になると、一気に食べる人も買い物する人もいなくなった。皆一つの方角に向かって進んでいく。


「人が減ってきたな、ちょっと休憩にするか」

「ふえ~、疲れた~……もうランタンの時間だ~」


 年越しの風物詩は地球でも除夜の鐘やら花火やらいろいろあるが、ラプセルではランタンで祝うのがメインだ。


 それぞれの地域の特別に選ばれた司祭たちが、ランタンにフラルを込めて空に飛ばす。

 夜空に浮いたランタンがやがて光る花へと変化していく姿は、それはそれは絢爛豪華で美しいんだとか。


 聖堂が見える方角まで、人ごみの中をのろのろと進む。

 途中に通り抜けた建物もお祭り仕様になっていて、天井に浮かんだホログラムの水面や星空が人々の影に白い波紋を投げかけていた。


 露店や街灯で照らされた通りから離れると、人の声もざわめきからひそひそ声に移りいく。

 どこの世界でも、年越しの瞬間だけは厳かな空気に包まれる。


 ジュハロを始め、都市の各区域には一つずつ礼拝堂兼病院があり、さらにそれらをまとめる聖堂が存在する。

 ジュハロの聖堂はエンデエルデが見えた位置とは反対の南西、都心を離れた山の上に位置する。

 ラトー襲撃も、世界大戦も乗り越えた重厚さと柔和さを備えた白亜の建物の欄干部分が、黒々とした山の中でも照明に照らされ荘厳に輝いていた。


 ふと俺の横を、ポニーテールの先っぽを結い上げて、簪のようなアクセサリーで留めている女性が通り過ぎた。


 ラムノ?──な訳がなかった。

 集中治療が終わったら、そのままエンデエルデ近く北の基地に向かうと聞いている。寒いだろうな……。


 それにしてもこのお祭り騒ぎ、死病に苦しむ国とは思えない平和さ。

 それとも苦しんでるからこそ、楽しい時は楽しくあろうとしているのか。


 古来から、共通の敵を作り出す戦争や、共通の目的を果たそうとする宗教は、大衆をまとめあげるために度々都合よく利用されてきた。

 しかし今のラプセルの戦争は宇宙人相手で、宗教も神を信じて敵を倒すこと以外特に強制はせず、贄や戒律といったものはない。

 まだまだ知らないことばかりのラプセルだが、過去の戦争を乗り越え、今の戦争を終わらせようと人々が一丸になっている姿はとても輝いて見えた。


 それは俺が地球の戦場で取り引きしてきた腐った目の政治家や、死んだ目で殺し合う民衆たちとは大違いの姿だった。



 そのとき、防犯用のわずかな街灯以外の灯りがほとんどフッと消えた。高層ビル、道路、中央広場の提灯……このときのために設定されていたタイマーが発動し、街が大都会の光の渦から徐々に原始の頃の海のような静謐に包まれていく。

 囁き揺れ合う黒い人影が海流に吹かれる海鞘のようで、近いのに遠くに離れたように感じる。

 雲一つない一面藍色の夜空で、ラプセルの月、衛星ラダがよく見える。

 見えない壁ハダプに阻まれているのが、嘘のようなくっきりとした満月だ。

 ほんの少し残った灯りに照らされた街路樹の花海の向こう、聖堂の燭台の光の存在感が増す。


 りーん……と儚げな鈴の音が一つ鳴った。

 人々が夜空を指さす。

 聖堂からランタンの群れが舞い上がると、白い光が互いに結び合い、天に巨大な花の形を描いた。

 スケート選手が氷の盤上を走るように、夜空を流れ星の如く駆け巡る白い光の線そのものが美しく、後から葉や花がすーっと生えてくる。


 やがて花同士も結び合い、それらが2378と数字を描いた。

 空砲が鳴り、タイマーの切れた街灯がまた灯されていく。



「2378年! あけましておめでとう!!」

「「あけましておめでと~!」」



 たちまち新年を祝う光の洪水と歓声で、街が一時忘れていた喧騒を一気に取り戻していく。

 それでも遥か高くに舞い上がったランタンは霞んだりしない。人々の生活の光を受け止めて、尚も彩り鮮やかに花を描き続けるのだった。


 ところが突然、ピコンとエラー音のようなちょっと間抜けな音が鳴った。


「お、おい!? なんだあれは!」

 皆が一斉に空のランタンを指さす。

 なんと華麗に飛び回っていたランタンが、撃たれた鳥のように次々と急落下しているではないか。

 ラプセルの年越しを見るのは初めての俺も、人々の反応から何か異常事態が起きているのは十分理解できる。


「フラウがジャックされてるわ!」

「こんなことができるのはレトリア様かユーク様か……いや、こんなことやるのはただ一人……」

 戸惑う人々を尻目に、どっか音程のずれたファンファーレが鳴り出す。

 どこからともなく新しいランタンが飛んできた……が、それは聖堂の方角からではない。

 これ見よがしに派手で複雑な形の花を描いた謎のランタンを押しのけて、最後に現れたのは巨大スクリーンだった。

 桃色髪の少女が、にまにま顔でジュハロ中を見下ろし、そして叫ぶ。


「愚民の皆たち~! あけましておめでとーーーっ!! 今年こそ戦争終わらせてレトリアなんかじゃなくてこのアタシ! リリカ様の年にするわよーーーっ!! みんな、応援よろしくね~♪ ウフフフ、キャハハハハ……♪」


 フラウシュトラス本家次期当主、リリカ・フラウシュトラス九歳のけたたましい笑い声が夜空中に響き渡った。



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