第12話 命名の儀




『「神はどこへ行かれたのですか、我らを見捨てられたのですか」

 「いいえ、神はいつも我らと共にいます。ただ天の国はあまりにも近く、ゆえに遠い。もうすぐです。もうすぐ神の花が咲き開き、我らを天の国へと導き給います。ですが決して天の国について尋ねてはなりません。神の花は人の心へ寄り添うべく、人の国へ行くべく、天の心を消し去られたのです」』

                         ──聖典 第8章 第10節



 エドに連れられてやって来たのは、ところどころトタン板が赤錆びてるのが哀愁漂ういかにも町工場ですって感じの会社だった。

 入口の看板には『ノウゼン繊維工業』と墨のような擦れた文字で塗りたくられている。

「ここがあんたらに協力してる会社?てっきり薬品とか生物系かと思ったけど……」

「体の外で着たり身につけたりするもんばかりが繊維じゃないんだ。まあ入るぞ」


 ベルを鳴らすと、結構年配な男性がひょこっと出てきた。


「クラさん直々のお出迎えとは。一体どうしたんだい」

「いや……それが今もう大変なんだよ、とにかく中に入ってくれ。そこの方も」


 中に入って部屋に通してもらうと、社長室の様子が中継で見られるようになってた。

 社長と幹部の男性二人が向かい合ってタルタン社の男性二人と面談をしている。聞くところによると、後で何か問題があったときのために社長が直々にカメラとマイクを仕込んだらしい。

 仕事が手につかないほどの内容なのか、数名の社員が椅子を並べて画面にくぎ付けになってる。


「ノウゼンさん、この数ヶ月いったい何をしていたんですか? おたくが呑気に編み物をしている間に、別の優秀な会社がもっといい素材を開発してくれましたよ。タルタンとしては、これ以上ノウゼンさんとお付き合いしていてもデメリットが嵩む一方だ。時は金なりという言葉をご存知でない?」

「そ、そんな……! あれの実用化が遅れたことは謝罪します! ですが順調に行ってる他まで破棄だなんて、製造ラインがめちゃくちゃになる! それどころか、他社とも契約して競合させていたことを教えてもくれなかったなんて……!」


「正当防衛ですよ。うちだって国を背負ってる一角ですから、おたくと違ってのんびりしてられないんです。あなた方の選択肢は二つ。一つは我が社との契約を解消したまま、ひっそりと後ろ盾無しに事業を続けていくこと。これは大変険しい茨の道だ。長く続くとは思えないね。そしてもう一つが……タルタンに持ち株を譲り渡す代わりにタルタン重工繊維部門ノウゼン社として華々しく生まれ変わり、新兵器改良の名誉ある一角を担うか……だ」

 タルタンの提案に、ノウゼンと幹部たちは息を詰まらせた。


「……それは、つまりおとなしく買収されろってことでしょうか……!?」

「買収?とんでもない。我々はノウゼンさんを救済に来たんですよ。確かに我々も厳しい選択を迫られて、ウロヌス社に買収されました。しかしそれは形ばかりのこと、ウロヌス氏は実に話の分かる方でね。私がかねてより進めていた機体軽量化計画を空軍に推薦してくださった。買収と言うと悪いイメージを持たれるかもしれませんが、実際には対等な協力関係ですよ」

「……それはあなたが裏で手を引いて、ウロヌス氏に根回ししてきたからでしょうが……! 一体その陰でどれだけの社員が……」

「人の努力をそんな風に悪し様に言うとは。こんなぬるま湯のような会社で燻っているせっかくの技術が、ますます可哀そうになってきますよ」


「ハイフォンさん、あれをご覧になってもらえませんか……。そうすれば進捗についてもご理解をいただけるかと……あれは決して燻ってなんかいません……」

「やれやれ、こんなところでゆっくりしている時間はないんだが……まあタルタン社はここと違って懐も広い。ちょっとだけなら拝見してやりましょう」


 ノウゼン社長とハイフォンたちが社長室を出ていくと、社員もため息ついてモニターの電源を切った。何人かはそのまま社長たちの後を追う。

 俺たちも聞き耳立てにこそこそついていく。


「ふえっくし!」

 ところでここに来てから、何故かやたら鼻がむずむずする。風邪ひいたかな……。

「お前、フラル持ちか? たまに慣れない環境下で、中の疑似植物が軽くバグる奴がいるんだ」

「そこにマスク置いてるんで良かったら使ってください」

「すいません、使わせて頂きま~す……」

 社員の人に言われた通り、俺はおとなしくマスクをつけた。


 製造工場内を歩いていると、クリーンルームのガラス越しに見える巨大な鍋のような機械をエドが指さす。

「あれは元々衣料の染料を作る機械だったんだが、最近医薬品製造用に改良してな。傷薬はあれで試作してもらった」

 エドの解説付きで見て回る機械はどれもユニークで、一部で社員が動かしている姿は規律正しく美しかった。



 最後にたどり着いたのは一際大きな機械の一群だった。

 二階から見下ろすそれは、繊維を取り出す輪っか状の機械と、キラキラしてる液体状のプール部分と、そこから出てきた繊維を巻き付ける用のまた別の輪っか状の機械、それから最後にCTスキャンの装置に似た巨大な加熱装置で成り立っている。


「こちらが現在開発中の融合排出物と、海洋生物の結晶体を素材へ転化した結晶融合強化繊維CFRF試作品になります。現在強度テストの80%をクリアしています」


 融合排出物とはフラルの発電で発生する、フラル自身で分解・消化しきれない枯れた植物のようなゴミのことだ。人間の体内で発生する程度ならトイレに行くだけで十分だが、発電量が増えれば増えるほどゴミも増える。

 自動車もゴミを撒き散らさない用にタンクが内蔵されており、ガソリンスタンドならぬフラルスタンドで適宜新品と取り換えてもらっている。


 ケースの中のサンプルを、ハイフォンはせせら笑う。

「何度見てもキラキラしてるだけの子供の玩具だ。宇宙線耐性の課題はどうなっております?」

「そ、それは……海洋結晶体の部分がネックになっておりますので、フラルなしでもナノ単位で選択変形できる強みを活かして、成形の配列を複数パターンに分けてテストを行っております。テスト結果のフィードバックに時間がかかっておりますが……しかし! 徐々に手ごたえは掴んでおります!」

「徐々に? 私の話を聞いておられましたかノウゼン社長? 一刻一秒を争う戦闘機・戦闘スーツ開発で、徐々になんて言ってたら戦死者が増えるだけです。ゴミを強化繊維にという発想は買うが、それだけだ。立派な夢には立派な実現性を添えてやらんと。こんな悠長な会社だと知ってたら、最初から仕事なんか回さなかった。先に期待を裏切ったのはあなたたちの方です」


 顔が見えなくても分かるぐらい、ピリピリと重い空気が流れる。

 肩が凝りそうだと体勢を変えようとしたら、隣の小柄な女性の長いスカートの裾を踏んでしまった。


「ぴゃあ!」


 甲高い奇声をあげて女性がコケてしまう。

「ニーナちゃん! 静かに!」

「あっ、ごめん、俺が裾踏んだから……大丈夫?」

 手を出して引っ張り上げるときに目が合った。


 薄い眉にぎょろりとした三白眼に尖った八重歯。

 ほとんど化粧をしていないのに、アイシャドウとマスカラのごとき強烈なまつ毛と血相の悪い青白い肌に、思わずヘヴィメタやってらっしゃいます?と聞きたくなる。


「うぅ~顔見、見ないでくださいぃ……!」

 物凄くガンを飛ばしてるようにしか見えないが、本人的には照れ顔のつもりらしい。慌てて茶髪をばさばさ動かして顔を隠してしまった。

 うーむ、顔はハードでロックでキツめのクールビューティなのに、まるで妖精さんのようなキンキン声と小柄でちょこんとした背丈におどおどびくびくした小動物感……。

 ニーナ・ローレンス。このなんともアンバランスな印象の女性がエドの娘さんか……。


「ぶえっくし! ふぁっくしょ!!」

 フラルもびっくりしたのか、またくしゃみが出てきた。

「ああ、ぶえっくし! 口からフラルが止まらない!」


 そこに来た道を引き返してきた社長とハイフォンたちがひょっこり出てくる。

 激しく咳きこんだ拍子に、俺とハイフォンは強かに頭をぶつけてしまった。

 こんなに嬉しくない「曲がり角で遅刻遅刻~!」があるか?

「ぐあっ!」

「痛っあっ、すみませ……べくしっ!」

 マスクがずれて、唾が思いっきりハイフォンにぶっかかる。

 わざとじゃないんだよ、いや本当に。


「お……おのれ! いったい何なんだね君は!! こんな奴と同じところにいられるか! 今日はもう帰らせてもらう!!」

 そう言ってハイフォンは部下を連れてどたばたと社屋を飛び出していった。最後には門の敷居に足を引っかけてつまずきそうになったりもした。




「すみません、こいつがとんだ馬鹿してしまいまして……」

「かまわんさ、どうせうまくいかない話だったし」

 平謝りする俺とエドに背を向けて、ノウゼン社長はヒラヒラと手を振る。


「今日は例の傷薬の今後について話したくて……」

「ああ、さっき聞いたよ。売れたんだってね。よかったねえ、うちの分ならいいからエドさんが取っときなよ。奥さんの入院代大変だろ?」

 優しい声色だが、生気がない。

「いや、そういう訳には……あれから俺、やっぱりいろいろ考えてみたんだが、あともう少しだけ続けてみたいと思うんです」

「何だって?」

 珍しく強気なエドの声に、ノウゼン社長が驚いて振り向く。


「年末年始のサフラスで、あれをもっと販売して勝負したいんです! 確かにカラクタの研究には行き詰ったと前に言いましたが、今度こそ活路が開けそうなんです! 今はまだ詳しく言えないが、ハリドラの有効利用ができそうなんだ。それをもっと世に宣伝して会社の名を売り出せば、研究に協力してくれるところも増えるかもしれない。ノウゼンさんだってあんな奴に頭を下げなくてよくなる! 頼む、この通りです! 最後にもう一度だけ力を貸してほしい!」


 懇願するエドの迫力にノウゼン社長は気圧されたようにも見えたが、すぐに首を横に振って疲れたと言わんばかりに目を閉じる。


「エドさん……さっきのハイフォンさんとうちのやり取り、聞いてたんなら分かるでしょ。そりゃカラクタを治したいさ、宇宙に行ける素材を作りたいさ。でももう限界が来てるんだ。出店で日銭を稼いだところで、起死回生なんかできないだろう。どうしてもって言うなら一日だけ協力してやってもいいけど、それきりにしてもらえるかな」


「社長……」

 とりつく島もなく、俺とローレンス親子はすごすごと車に戻ったのだった。






「お前のしょうもないくしゃみのせいで、今後の話がパーだ!! やっぱりサフラスの出店はお前一人でやれ!」

「はぁ!? 俺のせい!? パーになったのはあのハイフォンって奴のせいだろ! 会社がある程度ヤバいってのは聞いてたけど買収されるほどの危機かよ!? あ〜、エドが載ってた本に他誰が載ってたっけ、今からでも別の奴に乗り換えるか……!?」

「こ、こいつ……! 車に乗る前と真逆のことを言いやがる……!」

「うわぁ……」


「だいたいノウゼン社が技術開発投資に見合った収益上げられてないから、そこにつけ込まれるんだよ。ハイフォンって奴の言うことも一理あるぜ。プライドばっかり高くて非効率的な経営者ってやだね〜」

「……そんなに文句言うなら今からでもタルタン社に鞍替えしたらどうだ。お前だって中小企業で汗水流して働くより、大企業でぼんくらな取引先騙くらかしてる方が向いてるんじゃないか?」

「フッ甘いな……かつては大企業にいたあんたなら分かると思ったが。大きな組織に入ってから活躍するために一番必要なのは、言われたことをきっちりこなせる、人と足並み揃える協調性だ。俺はそれとは正反対! 短気! ワガママ! 自己チュー! 自営業になるために生まれてきた人間! ついてこれる奴だけついてこい!」

「胸張って誇ることじゃねえだろうが!」

「パパ……どうしてこんな人拾ってきちゃったの……?」


「「「ぐぎゅる~~~」」」とそこで三人一斉に腹の音。

「……飯屋通り過ぎちまった。帰ったらインスタントでも食うか」






 インスタント麺『フー・タル』は麺がぶよぶよでスープも酸っぱいだけ、全然美味くなかったが背に腹は代えられない。


「最初に言っておくが俺は事が大きくなるまで、幼生(仮)の秘密をできるだけ他に打ち明けたくない。極論カラクタの特効薬が大完成してラプセル中が『救世主様~! あなた方の薬なしでは生きていけません~!』ってひれ伏すようになるまで隠しておきたい。中途半端なところでバラして袋叩きされるぐらいなら、幼生なしではいられなくなるほど依存させるまで粘るぞ。こいつを疫病神から救い主に変身させるんだ」

「スヤ~…♪」

 俺の壮大な計画に巻き込まれているのを露知らず、足元の幼生はすやすやイビキをかいて寝返りを打った。


 ニーナが震え声でおずおずと聞いてくる。

「……あ、あの~、質問なんですけど、いったいどうすればそんなに上手くいくんでしょーか……。第一私たち……」

「わーってる! 分かってる! 金がない、だろ?資金は当分ハリドラ頼みだ。傷薬と美容クリームがダメなら代わりに何売ろかな~。ノウゼン社に頼れたら正式認可や大量生産見込めるかと思ったけど、あっちもあっちで大変だし。天下の科学者エド様も案外顔が狭いね」

「……ノウゼン社長は俺が事故やらかした後も、態度を変えずにいてくれた数少ない一人だ。何も知らん奴がこれ以上好き勝手言うな」

「サーセン。あ~だらだら食べてたら麺が伸びちまった。ところでさ、ハリドラって人間が食っても美味いの? 肌に塗れるぐらいだし毒ではないだろうけど」

「食えんことはないが、しょっぱくてかなり変わった味だ。美味ければとっくに品種改良されて食われてる」

「そりゃそうか」


 俺は椀を抱えて台所に向かった。

「おい、何してる。まさかハリドラ入れる気か」

「ちょっとだけ、ちょーっとだけ……」

「お、お腹壊しても知りませんよ~」


「お! いけんじゃん! なんだこのダシ、やばっ、一気にラーメンっぽくなった。なんか醤油と煮干しっぽいかも」

「……」


 俺がハリドラを細かく刻んでふりかけたスープを温めなおし、その匂いにつられて二人がふらふらと台所に来るのにそうそう時間はかからなかった。









「……というわけで、できたのがこのラーメンだ」

「ラー・メン? 南方料理のフー・タルだろう? 変わった匂いだが……」

「俺の星ではラーメンって呼ぶんだよ! いいから食べてみ」


 恐る恐る匂いを嗅いでから、ラムノは一口麺をくわえる。

「……!」

 そこから先はするすると、流れるように椀の中が減っていく。


 エドたちにはハリドラ獲りに行くと言って来た遺跡の中、俺はフラルでちゃちゃっとお湯を沸かして自分の分も作る。自分の手から火が出るようになるなんて想像もつかなかったけど、ちょっとずつ慣れてきたぞ。

「あ~、フラルって便利~。どこの誰だか知らないけど手術してくれた人ありがと~」

「……くれぐれも悪用はするなよ、除去されるからな。それからアムリタがないところで無闇に消費──」

「おかわりする?」

「する!」


 湯気でお互い顔がろくに見えないまま話を進める。

「そうか、こいつがカラクタの研究に役立つとは……」

「ああ、エドは快く了承してくれたよ。実験に使う代わりに匿ってくれるってさ。エドの研究が晴れて世に認められるようになれば、こいつは悪役から一転してヒーローだ。いつか堂々と外を歩ける日も来る」

「……幼生のこと、くれぐれもよろしく頼む。不甲斐ないが、お前の力を借りる他ない」

「任せとけって。大佐の方こそしっかり休んで、ご紹介よろしく頼むよ」

「うぅ……お前と喋っていると調子が狂う……」


「ラ~?」

 見ると、ラトーの幼生が涎を垂らしてつぶらな瞳でじっと見ている。

「お前も食べるか?」

「ラッ! ラッ!」

「何を言っている! 腹でも壊したら──」

「こいつの好物で作った麺だぜ。食べ慣れてるもんで壊しようがないだろ」


 過保護なラムノは放っといて、取り皿に麺とスープを入れてやった。


 ……そういえばニーナも同じこと言ってたけど、今の俺ってもしかしてエドが拾ってきた犬みたいな扱い?


 俺の悲しい気づきをよそに幼生は頭を突っ込まんばかりの勢いで、ちゅるちゅると一本ずつ噛み締めていく。


「美味いか?」

「ラァ!」

「や、火傷はしてないか? 大丈夫か?」

「ラ♪」

 俺とラムノを交互に見て、幼生はにっこりしてみせる。まるで言葉が分かるように賢い。

「飼うと決めたし、こいつにも名前つけてやらないとな。よし! 今日からお前はラトーじゃなくてラーメンのラーだ!」


「ラ~~♪」

 ラーが全身を揺らして返事をしてみせる。

 ネコウミウシっていうよりは、ネコプリンに見えた。



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