第11話 樹上取引




『信じる者のみ救われた。』

                         ──聖典 第7章 第6節



 陸海空軍大規模合同演習が実施されるスモア演習場は、極北エンデエルデと最北都市スモアの中間地点、壁の如く立ちはだかる雪山へと続く荒涼とした平原に位置する。


 今、その最地下にある会議室にて、陸海空のトップである大将三人が円形の大テーブルで顔を突き合わせている。

 壁一面のスクリーンは既に電源を切られ、暗く落ち着いた静けさが空間を包み込む。


 レトリアがティルノグに乗って帰還していくのを見送ると、大将の地位に立つ彼らであっても一段落のため息をつきたくなった。

 彼らの上に位置し、指揮権を持っているのは最高司令官であるユークと、さらにその上の元帥であるレトリアしかいない。


 合同演習当日、レトリアは直接現場には来ない。中継映像で演習の様子をチェックする傍ら、ラトーの急襲に備えて軍の守りが手薄になっている地帯を巡回する。


 今日が本番前の軍事基地にレトリアが直接足を運ぶ最後の日となった。

 新兵器の視察と演習の流れの打ち合わせに参加し、問題点や不備が解決できているかどうかの最終確認を行った。


 レトリアは特にラトーの再現にこだわった。

 ラトーの代わりを演じるドローン同士の連携はどこまで強固で正確か、それは戦闘機と同様に次の大演習で想定されるエンデエルデの頂点高度20kmでも耐えられる仕様か……。


 漆黒のロングワンピースの幼い姿は軍事基地において一際異様な存在だったが、異を唱える者は一人としていなかった。




「ほんじゃあ、模擬ラトードローンの速度は戦闘員たちには内緒で、あるタイミングで予定より一段階はよーに上げるよう上官と管制塔のみに伝える。これでええか?」


 のんびりゆったりと茶飲み話のように話すのは海軍大将コマナ・ツルノヤマ。ゴムボールのようにまん丸い身体をゆっさゆさと揺らしているが、そのほとんどが筋肉だと言われている。


「ただ速くするだけではレトリア様はご満足せぬ、と私は思う。急変化も入れてみよう。部下に今までの演習……いや、戦闘とは訳が違うと思い知らせなくては」


 両手の指を組んで厳めしく答えるのは空軍大将アーモット・モネネム。最も味方機の窮地を救ってきた男として、その名は武勇と共に優しさの象徴として子供たちの憧れの的になっている。


「サプライズは大事だけど、事故が起きないようにしなくちゃね。伝達事項を再調整するよう皆にもう一度お願いするわ。大変だけどドローンの映像位置特定技術の限界を確かめる絶好の機会になるでしょう」


 滑らかな低音で語るのは陸軍大将シュナイダー・ゲンシャフト。三人の中では一番高齢の男性のはずだが、妙齢の女性のような雰囲気を醸し出している。

 柔よく剛を制すを称する彼、引退するまでは彼の予定、の体術(※フラル無使用)に勝てた人間は未だに現れておらず、タイマン最強と称えられている。


「いんや~。しかしいつお会いしても、レトリア様のあの目は肝が冷えますわ~! 軍人なのに自分が情けのうて嫌やわ~部下たちに示しがつかん」

 離れ島の少数民族から立身出世を遂げ、かつても今も『海の嵐』と恐れられてきた巨体のツルノヤマが、真冬だというのに暑そうに扇子を振る。


「肝が冷えるのは信仰心の証だろう。あの目は神の目、人間の欺瞞や怠慢など通用せん……。私も脚が震えないよう耐えるのがやっとだ」

 九年前の夏、軍人として最も近くで“奇跡”にまみえた男としても知られるモネネムが組んだ指に力を込めた。


「本当に、レトリア様の目を平気で見つめ返すことができる人なんて……」

 そこでゲンシャフトが薄く笑みをこぼす。


「リリカ様ぐらいね」


「では、最後に聖核輸送航空宇宙隊の新兵器発表についてだが──」


 暗く冷たい地下で、粛々と大将会議は進行していった。






 〇 〇 〇




 幼生をダウンジャケットの中に入れると、「ラ~」と一声気持ちよさそうに鳴いてすぐおとなしくなった。腹いっぱいで眠くなったようだ。

 ラムノに夜にまた会う時間を作ると約束してもらい、俺はエドのツリーハウスまで戻った。



「お待たせ。傷薬の原料っぽい植物見つけてきた」


「こんな早く見つけてくるとは……で、どこで見つけてきた?」



「地図にあった印を辿ったら、森の奥の遺跡に着いた。そこの柱に白い粉がついてたから、あちこち弄ってみたらさらに下に遺跡があった」


「あれを一発で開けるとは……お前本当に何者なんだ?」


 そう言いながらも、エドはリモコンでツリーハウスへの梯子を下ろして中に入れてくれた。


「こいつの名前はハリドラと言う。俺はこいつで、カラクタを治す、あるいは緩和する研究をしようと思った」


 俺が渡したハリドラをテーブルに置いてエドは打ち明ける。

 ラムノの説明を聞いたときもしや?と思ったが、やっぱりカラクタ関連だったか……。


「こいつがなぜカラクタで死んだ人間の跡に生えるかは分からないが、何らかの効き目があるんじゃないかと俺は睨んだ。すり潰したり、液体にしてみたり薬品と混ぜたりして、こいつが皮膚の腫れや切り傷に効果があるってとこまでは実証できた」

「ほうほう」

 俺は大げさに相槌を打って感心してる感を出す。


「……だったんだが、そっから先が全然進まん。カラクタを使った人体実験・治験となると国の医薬品局の承認が必要だが、先に大企業・中堅企業がずらっと順番待ちしてる状態だ。俺は今個人事業主という体である会社と契約して結構好きにやらせてもらってるんだが、そこも経営が芳しくない。資金が尽きかけている」

「ふーん……でもさぁ、それ本当か? 本当に人体実験したことない?」

「……そんなことで嘘ついたってどうしようもないだろ」

「そもそもカラクタを治す研究をしようにも、カラクタが使えませ~んじゃ研究しようがないっしょ。本当にしてない? 人体でなくても猿とか犬や猫とか生物実験も?……そういえば、なんでカラクタが出来るのって人間だけなんだろうな。犬や猫だって哺乳類で近い系統なのに」


「……敵の狙いはある水準以上の知能を持った生命体、つまり人間のみだと言われている。犬や猫は相手にしてないんだろ」



「へ~。ところでさ~、ハリドラ見つけたところに変な猫がいたんだけどさ~なんか懐かれちゃったみたいで~」

「……変な猫?」


 そこでようやく俺はダウンジャケットを脱いで、ごろんと丸まって眠っている幼生を取り出した。

「ラ~……?」

起こしてしまったようで、眠たげな声をあげてからぱっちりと両の目を開く。


「お前……こいつは……!見つけてきたのか!?あの遺跡で、生きたまま……!」

 血相を変えたエドが前のめりになって手を伸ばしてくる。


「な、何だよ四つ耳の猫ってそんなに珍しいのか?」

「珍しいも何も、そいつはラトーの幼生だバカ! 持ってるだけでムショにぶち込まれて軍に一生マークされるぞ!」



「えっ、まさか〜。こんな人懐っこい子猫がラトーな訳ないっしょ。それに遺跡の奥深くで見つけたんだから、ラトーは空から降ってくんだろ? ラトーか子猫かってどうやって判別すんの?」

「……こいつが本物のラトーの幼生なら、“アレ”ができるはずだ」


 そう言うとエドは別室から、瓶やら顕微鏡やら試験管やらごちゃごちゃ持ち出してきた。

 それからハリドラを幼生の目の前に持ってくる。幼生がくわえて噛みちぎった断面を切り取って、何か粉をかけたり顕微鏡で見たり試験管を振ったりしている。

 幼生があくびをすると同時に、エドが大きな声で唸った。


「やっぱり! 反応が出たぞ、こいつはラトーの幼生で間違いない!」

 そう言ってエドは紫に変色した試験管を突きつけてくる。


「科学者のあんたが言うなら信じよう……と言いたいところだが、嫌だね」

「何だと!?」

「俺は素人だから、試験管なんて見せられてもさっぱり分かんね。あんたがいろいろすごい科学者だってのは分かったけどさ、でもラトーの専門家って訳じゃないだろ? 駅前行くついでに保健所にこいつ持ってって、ラトーか子猫か鑑定してもらうわ。子猫なら俺が引き取って飼うし、ラトーなら始末してもらう。発見場所も教えていいよな?」


「ま、待て待て待て! 聞いてたか俺の話? これは幼生でないと出ない反応だ! 保健所に調べてもらう必要はない!」

「だって持ってたら逮捕されるんだろ? 正直に引き渡して白黒はっきりさせた方がいいじゃんか」

「て、てめ……!」

 今にも掴みかかってきそうなエドを俺はなだめる。


「これで分かった。あんたは幼生の何かを欲しがっている。だからこいつを殺したくないし、保健所に渡したくない。俺も同じだ。俺だって本当は保健所になんか連れていきたくない。俺はこいつがただ単にラトーの幼生に似てるだけの子猫だと思ってる。殺されるような真似は避けたい。悪く思うな、ただあんたの本音を聞きたかっただけだ」

「ぐっ……」

「教えてくれ、持ってるだけで危険なラトーの幼生を欲しがる訳を」


「……幼生がハリドラを食べるときに出る涎は、カラクタをわずかに小さくする効果がある。まだデータは少ないから断言するのは危険だが……」


「……! でもあんたさっき人体実験はできないって……」


「俺と、俺の娘の二人で試した」


 エドはぽつりぽつりと話し始めた。


「俺がこの研究に手を出したきっかけは、妻の“発症”だ。とっさにアムリタを飲ませて何とか一命をとりとめることはできたが……それだけだ。ずっと昏睡状態のまま、何ヶ月も病院のベッドから出られずにいる。いつ容態が急変してもおかしくない。

 ……昔の俺は、高慢で、自信過剰だった。エンデエルデは俺の最高傑作だ、本気でそう信じていた。

 だが実際に俺が作ったのは傑作でも何でもなく、最低な欠陥品だった。一個数値を書き間違えただけで、大勢の働きもんを怪我させてしまった。それから後は堕ちる一方だ。禁固刑を終えてやっと入れた転職先ではろくな仕事を与えられず、窓際に追いやられ、苦労をかけてきた妻はカラクタで……」


「じゃあ、なおさら金が必要ってわけだ」


「そうだ……。傷薬を商品化できたら少しは繋げるかと思ったが、協力先に採算性が見込めないと言われてな……。何も言い返せなかった……」

「なんでだよ、ちょっと売り方変えただけで一気に売れたじゃねえか! 品質は十分なんだ……足りないのは宣伝と工夫だ!」

「協力先も俺も、欲しいのはカラクタの治療薬なんだ。ちゃちい傷薬や化粧品なんかじゃない。さっき言った通りそこも業績が芳しくなくてな……専門外の研究に協力してくれる余裕もなくなってきた。いつかは幼生の話を打ち明けようとも考えてたが、今はとても巻き込めそうにない。研究は一旦休止して、資金繰りを……」


「何言ってんだよ! 思い出せ、昨日のこと! あんたが丹精込めて作った傷薬、誰が金に変えたと思ってる? 餅は餅屋、研究は研究者、だったら商売は商売人に任せろ!」

「……しつこい野郎だな、お前は」


「そりゃしつこいさ、自分の命に関わるからね。いいか、ここまで聞いたからには俺も共犯者……もとい社員の一人だ。露店であんたの顔を見たとき、天才科学者とお近づきになれたらラッキー! ぐらいにしか思ってなかったが、今の話を聞いて神の思し召し、巡り合わせって奴を確信したよ俺は。

 昨日も言ったが俺は記憶喪失だ。自分が何者で、何がしたかったかも思い出せない、あるのはただいつ発症するか分からないカラクタのみ……。何も分からないまま突然死ぬなんて、そんなの嫌だ! 強くそう思った。だから戦争の終わりを口開けて待ってるんじゃなくて、自分でカラクタをどうにかしたいんだ。俺は、俺のやり方で戦いたい!」

「……お前、本気で言ってんのか」


「俺はいつだって本気だ! 今は記憶喪失で何を売ってたかも覚えちゃいないが、きっと商人だったって確信はある。客に喜ばれる快感、望むものを渡してやれたときの達成感は格別だ。エド、科学者のあんただって研究が行き詰ったときの苦しみが大きいほど、成功したときの喜びは最高だろ?それと同じなんだ! 二人それぞれのやり方で、カラクタの治療法を探そう!」

 熱弁を振るってる内に、自分自身本気で記憶喪失だったと錯覚しそうになる。我ながら恐ろしいもんだ。

「……しょうがねえ、だったらとことん働いてもらうぞ。買い物前に今から行くとこにちょっと付き合え」


 そう言うとエドはツリーハウスを降りて車に向かった。


「今から行くとこはそのハリドラの研究に協力してくれた企業だ。幼生についてはまだ話していないからくれぐれも言うんじゃないぞ。知っているのは俺と俺の娘と、お前の三人だけだ」

 それとラムノで四人、と俺は心の中で付け足す。

 枯れ葉を踏みしだいて、車が走り出した。




 一方その頃。


「ふえぇ……」


 ニーナ・ローレンスは針の筵の気分だった。

 母のために始めた父との研究は上手く行かず、協力してくれてる会社に詰められる覚悟で報告に行ったら、その会社が取引先に詰められているところだったのだ。


「もう少し、もう少しだけ時間をください! この通りです!」

 白髪頭をテーブルに擦りつけるノウゼン社長に、タルタン重工開発本部長ハイフォンは冷たく言い放つ。

「何度言ったところで同じですよ、諦めなさい。いいですかノウゼンさん、努力するだけなら誰だってできるんです」


 そこで煙草の輪を一服大きく吐いて一言。


「結果が出ないのなら、消えてもらおう」



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