第9話 ラプセル不思議発見




『やがて花の咲かぬ土来たりて、人もまた苦しんだ。』

                         ──聖典 第6章 第4節




「ラ~♪」


 また鳴いた。聞き間違いじゃない。

 ここにはラトーの幼生がいるんだ。

 声がした方を振り向くが、石柱と木々以外何もない。


「ラ~♪」

 さっきより大きい鳴き声。近いが……どこだ?


「ラ、ラ、ラ~~~!」

「うわっ!?」

 ダウンジャケット越しでも感じる衝撃。見えない攻撃?違う。

 これは見えないハグだ。

 恐る恐る腹のあたりを撫でてみると、透明な何かが腹にくっついている。


「この大きさと触り心地……もしかして……お前あのときのラトーか!?」

「ラ~~~♪」


 リラックスした感じの、のんびりした鳴き声。透明だった体が徐々に元に戻ると、俺のことを覚えていてくれてたのか盛んに二又尻尾と四つの耳を振って喜んでいた。

「大佐に処分されたと思ってたぞ~。なんでこんなところに……っていうかなんで透明になってたんだ?」


「こらっ危ない、走り回るな! 戻れ~!」

 さっきまで時が止まったように静謐だった遺跡が、一気にドタバタしてきた。

 なんということでしょう。

 タイトニットにフレアスカートの私服姿のラムノ大佐が、こっちに向かって駆けてくるではありませんか。


「もど、れ……!?」

「あ、どーも。こんちわ」

 俺に気づいた途端、大佐はひきつった顔で静止した。


「なっ、なっ、なっ、なんでこんなところにいる!?」

(いやちょっとエドさんに頼まれて探し物をしてて~)

「髪下ろしたら雰囲気変わるな~」

さすがの俺も、つい脳内と発言が逆になってしまった。

「うっ、うるさい!! 私の質問に答えろー!!」


「そういうラムノ大佐……いやラムノさんはどうしてこんな人気のない森にいるんで? ペットのお散歩?」

「えっ、えーとととっ……らっ、ラトーの幼生の目撃情報が出たから、たまたま近くまで来ていた私が、処分に……」

「っていう言い訳を用意してたんすね。はいはい、そういうのいいから」

「くうっ……軍に報告したければしろ! 私は逃げも隠れもしない、正々堂々と裁きを受ける!」

「落ち着けよ、それで一番困るのはあんたじゃなくてこいつでしょ。大丈夫だって、俺は人に言うつもりないし、俺以外誰もいないから」

「……」

「でも処分するって言ってたラトーの幼生を保護してたのは何故か、教えてくれてもよくない?」


「……お前に説明するのは面倒だ。お前はラトーの脅威を、何も知らない。お前にとっては子猫に見えても、こいつはいつか全身の触手で大地を荒らし、風を汚し、草木を毟り取っていく……。そして私は空軍大佐でありながら、そんな脅威の可能性を地上に隠し持ったままでいる大罪人だ……」


 そこでふうっとため息一つつくと、意を決してラムノは話し始めた。


「……初めてラトーの幼生を目撃したのは16の、士官学校に入って間もない頃だった。そのとき私は戦闘支援に出ていた。実戦見学が一番の勉強になる、そう言われて。といっても現場からは遠く離れた、出撃アルヴァ・ゲートでの荷物運びや食事作りぐらいだったが。

 けれど帰還した兵士の一人にタオルを渡したとき、その兵士の首元が真っ暗に染まっていたのを間近で見てしまった。すぐに騒ぎになり、その幼生は駆除された。そのときは、ただただ恐怖しか感じなかった。

 次は18と19、実戦にも出るようになってから一年に一回ずつ見た。最初と同様に一匹はすぐに駆除された。もう一匹は、しばらくの間逃げ回っていた。網に捕まった瞬間にその幼生と目が合った。そのときの真っ白に見開かれた両の目が、しばらく瞼から離れなかった。

 次に見たのは去年、戦闘ではなくここと似たような人里離れた遺跡でだ。そいつは放っとけば死にそうなほど衰弱しきっていた。黒い体のあちこちが破れて、息も絶え絶えだった。

 そのとき私は、とっさにその幼生を抱えて持っていた水筒から水を飲ませてしまった。そいつは人類を殺戮してきたラトーなのに。いずれ大きくなったら、私の首を刎ねようと襲いかかってくる化け物なのに。」


「……」


「そいつは水を飲み終えて、少し元気が出たようだった。軍に連れて帰ったら、即座にセンサーに引っかかる。私は持っていた菓子をそいつの口元に置いて、立ち去った。翌日戻ったときには、。死んだ後に、消化できなかった水と菓子だけが残ったんだ。

 自分でも、あのとき何がしたかったのか分からない。ラトーは全部殺すべきだ。殺さなければ、人類が殺されてしまう。でも、あのとき私の膝の上で丸まった幼生は、とても人を殺すような怪物には見えなかった……。

 それから私は休日になると、なるべく人が寄り付かないような遺跡を探索するようになった。今年の最初にもう一匹目撃した。そいつは最初今のこいつぐらい元気だったが、だんだん衰弱して、一週間も持たなかった。最期は私の手から餌を食べてすぐ、動かなくなかった」


「それで、こいつも保護しようと思ったのか……」


「滑稽だろう。偉そうに人類を守ると言っておきながら、今の私の行為は人類への裏切りだ。しかし私に人類を裏切るつもりはない、それは本当だ。生まれたてのラトーは、とても人を襲うような生き物ではない。きっと、何らかの原因があって凶暴に変異するんだ。私はそれを突き止めたい。その謎を探ることが、戦争の終結に繋がると信じてる」


 田舎の娘のような素朴な格好をして、真剣なまなざしで話すラムノ大佐は、この国の歴史を凝縮しているかのようだった。

 戦争で荒廃しても、力強く生き抜いて復興を遂げ、未来を勝ち取ろうとしている。


「ラ~」

 俺の肩に登ってた幼生がするすると降りて、今度はラムノ大佐の足元に擦り寄った。長いスカートの裾がふんわり舞う。


「こ、こらやめろ! くすぐったい……!」

「なるほど、だいたいの事情は分かった。でも同じことは当然軍や研究所がやってるんじゃないのか? 敵の生態を知るのは勝つための基本だろ?」

「もちろん、軍も動いている。しかし研究者ではない私が志願したところで、与えられる役割などたかが知れているだろう。そこからやっと得られる情報の量よりも、なぜラトーの幼生に興味を持ったのか、説明しなくてはならないリスクの方が大きすぎる。私たちに求められているのはラトーを殺すことであり、知ることではない。聞いてみたところで、すでに民間にも発表されている情報ばかりだ」


「ラッ……」

「ラトーを殺す」のところで、ラムノに抱き上げられた幼生がぶるっと震えた。


「民間人の俺からすれば、こっそり幼生保護してる方がリスクでかいけど……ここにずっと隠しておくつもりだったのか?」


「う、うるさい……こうでもしないと分からないことはいっぱいあるんだ。今まで幼生に接してきて、推測できることは三つ。

 一つ、幼生は必ずしもラトーの襲撃にくっついてきて現れる訳ではない。前に見つけたときの場所は一ヶ月以上の間、半径100km以内でラトー襲撃がなかった。まだ証拠はないが、何らかの事故等の原因で幼生だけが落下する場合があると考えられる。

 二つ、幼生はラプセルの環境下では通常長く生きられない。

 三つ、ある条件がそろえば、ラプセルの環境下でも幼生が生き長らえる……ことができてしまう」

「ある条件?」

「下がっていろ」


 それだけ言うと、ラムノはさっきの五本目の柱に近づいてしゃがみこんだ。根元の溝数本を、意味ありげに順番に押していく。

 カチリと音がして、地響きのような轟音と衝撃が響き渡る。遺跡中央の地面が少しずつ凹んでいった。

 下から何か出てきたと思ったら、地下へと続く階段だった。

「おお……」


 上の神殿とはまた違う材質の壁に、至る所に転がる機械のスクラップのような塊。

 遺跡の下にあったのは、更なる別の遺跡だった。



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