第7話 エンデエルデ




『はじめに花が咲いた。すべての命は、花から生まれた』

                         ──聖典 第1章 第1節



 ラトーはどこから来るのか?

 残念ながらその研究はほとんど進んでいない。

 ラプセルの人類は、高度20km(キラマリタ)より上に行くことができないのだ。

 オゾン層が最も濃いこの高度には、見えない壁“ハダプ”が存在している。


 風や光や電磁波は通り抜けられるが、人類などの生物に限らずある一定の密度以上の液体固体になると途端に見えない壁にぶつかってしまう。


 通り抜けられる生物はラトーだけ。


 ラプセルの科学力は地球のそれをかなり上回っているが、この壁のせいかおかげか宇宙開発だけは地球の勝ちだ。

 人工衛星はないから当然GPSなんてものもない。


 まあ正確に言えば人工衛星を打ち上げるだけの技術力はもちろんあるが、物理的に不可能な今では全て停止してしまっている。

 海底には他国の大都市と一緒に無数の人工衛星も沈んでいるとかなんとか。


 このハダプを破ってラトーへの一転攻勢に出るのが人類の悲願だった。

 ところがこのハダプという透明な壁、こちらからの物理的干渉は一切受け付けないのでどういう物質なのか調べようがない。

 電磁波を放出せず肉眼や望遠鏡等による光学的な観測が不可、にも関わらず質量があることが推測される。

 現在の人類には計測出来ない素粒子……いわゆるダークマターに近い未知の物質ではないかという説が最有力だ。


 この素粒子を逆に利用して加速させて超強力なエネルギービームを発生させ、素粒子自身に穴を開けさせろ……というのが“聖典”に書かれていた預言の内容なんだとか。


 まとめると、ラトーは通れて人類には通れない見えない壁が空高くにある。そいつを破るためには素粒子を加速させる必要がある。

 そのための超巨大粒子加速器エンデエルデをラプセル国は最重要プロジェクトとして鋭意建設中であり、それももうすぐ完成間近だ。


 その大きさなんと直径約20km全周約63km!!


 学生時代にSFアニメで宇宙にまで届くエレベーターなんてのを見た覚えがある。あれよりもだいぶ低い高度だから成層圏粒子加速器と呼ぶべきか。


 それでもスカイツリー634m約31個分の高さ!

 この何とも言えない絶妙な高さが想像を煽って俺は生唾を飲み込む。

 ちなみに富士山だと約5個、エベレストだと約2.2個だ。

 え、余計にイメージ分かんなくなった?……話をエドフィック・ローレンスに戻そう。


 俺が読んだ本の中では、エドフィックはエンデエルデの設計担当の中心人物として紹介されていた。

 粒子加速器でビームを発生させるには非常に大量の電気が必要だ。

 エドは発電用の疑似植物同士の接続方法を改良し、高さ20kmの送電を一気にスムーズにした。

 本には世紀の大発明と書かれてあった。





「で、そんなすごいお偉いさんがなんで油売り……じゃなくて薬売りなんかしてたんで?」

「……お前こそ何者なんだよ。軍人たちに囲まれて、俺に近づこうって魂胆のくせして、ニュースの一つも見ねえときてる。先にお前の素性を話せ」


 俺とエドは夕闇の紺とオレンジ混じりの光の中、電車に揺られていた。

 ラプセルの朝焼けと夕焼けは青空とオレンジピンクのグラデーションが地球より長い間続き、濃い赤や橙に染まる時間はほんの一瞬しかない。その後幕が落ちるようにさっと闇夜に切り替わる。

 特にこれについて書いてる本はなかったが、これもハプダが関係してるんだろうか?昼でも夜でもない、淡い狭間の時間が長く続く。


「素性ね~、話そうにも俺にも分からないんだよそれが。気づいたら軍基地のベッドで目が覚めて、ラトーに襲われたかなんかで記憶が全部抜け落ちてんだ。だからあんたがすごい発明をしたまでは知ってるけど、そっからどうなったかは全然知んないわけ」


 のんきに言う俺を、エドは眉根を寄せてじろじろ見回す。

「……記憶喪失ねえ、本当にか? 疑う訳じゃないが、それだけじゃ俺の話はできん。確かに、俺はお前に借りがある。在庫処分をさっさと済ませて、勝手に金まで増やしてくれた。しかし、同時に貸しもできた」


「貸し? 今夜の宿代のこと?」

「違う。今日お前が売りさばいたアレは、他にはない特殊な材料で出来ている。お前はまた売ると宣伝しやがったが、そんなホイホイ大量生産できるもんじゃないんだ。誇大広告を出したお詫びに、その材料をまず調達して来い」


「調達して来い、と言われましてもねえ……どこにある何なのかを教えてくれないと動けねえすよ」

「特殊、っていうのはな、人には言えんって意味だ。俺はまだお前と手を組むと決めた訳じゃないから、手の内は明かせん。嫌だって言うならバックレてもらってもいい。俺は全く困らん、また出店するって宣言したのはお前だけだからな」


「えっ、何犯罪系? あれヤクとか入ってたの?」

「薬物系ではないからそれは安心しろ。これがまずヒント1。家には泊めてやれんが、納屋なら好きに使っていい。これがヒント2。後は自分でどうにかしろ」


「はい! 挙手! メシや風呂はどうしたらいいでしょーか!」

「……これ降りたら駅前施設にいろいろあるからそこで済ませてこい」


 という訳で、俺は謎の材料を調達しろという無理ゲー入社?試験に挑戦する羽目になったのだった。






〇 〇 〇




「美容クリーム?」


 ツユの報告を聞いてラムノはきょとんとした。

 あの男が美容クリームの販売?確かに口が回る男ではあったが……。


「はい! お店の人と意気投合したみたいで、あっという間に売れちゃいました! 私も一つ買ったんですけど、なんだかいい感じです! サフラスにまた売りに出すみたいですよっ。大佐もいかがですか~?」

「いや、いらん。報告書をくれ」


 ツユから渡された報告書にラムノは目を走らせる。

(エドフィック・ローレンス? 聞いたことがあるような……後で調べないと)

 マツバと今後どうするかについて話し合いたかったが、年末の仕事納めまでにラムノがやることは山積みだった。


「それからこちら、ご依頼の書類でございます!」

 年が明けたら陸海空軍大規模合同演習が控えている。エンデエルデ完成直前を想定したラトー討伐作戦と、エンデエルデ完成直後に実施される超高度連携作戦。

 討伐作戦第一殲滅航空団の司令官に任命されたラムノは、これまで以上に身が引き締まる思いだった。


「私、来年はぜ~ったい尉官に昇進して戦闘機に乗ってみせます! 早く大佐のおそばで戦闘に貢献したいです!」

「ならば操縦基礎課程に集中しろ。そんな風に浮かれていては、終戦に間に合わないぞ」


 エンデエルデがいよいよ来年の初夏に完成予定と発表され、誰も彼もが来年こそは戦争が終わると信じている。



 聖典の預言は絶対だから。


 聖典は世界大戦を預言し、ラプセルだけが生き残ることを預言し、悪魔ラトーの襲撃を預言した。

 そして神の化身レトリアによって国は守られ、神と人が力を合わせて壁を破壊し、平和が訪れるのだと……。



「ええ、がんばりますとも! プフシュリテ大佐の名に懸けて、スノータス大佐の子分どもをギャフンと言わせてみせます!」

 腕を振って張りきるツユの声で、ラムノは我に返った。

「ではそんなお前に名誉ある仕事だ、分隊の訓練成果報告書をさっさと仕上げて少佐に提出しろ。今日中にできたら明日ケーキをおごってやる」


「あ~、忘れてた~!」と頭を抱えるツユを置いて、ラムノはブリーフィングルームを出た。脳内でタスクの優先順位を組み立てていく。


 コージロー・マツバ……職業選択は自由に任せたが、あまり勝手な真似をされても困る。

 そもそもまだ信頼のできる男だと決まったわけではない。

 早急に会って今後どうするか方針を立てる時間を作らなくては。


 しかしその前にまず軍医の元へ向かう。

 ナノマシンでの治療はあくまで一時的な応急処置に過ぎない。マツバとのネクマによって継ぎはぎされた肋骨はまだ脆く、大演習に間に合わせるには集中治療ポッドに缶詰めにされる必要がある。

 その期間をどれだけ詰められるか、今日は最後の直談判だった。




 廊下を足早に歩いていると、声が飛んできた。

「大佐、お体の具合は? もう出歩いても大丈夫なのでありますか!?」


「見え透いたおべんちゃらはやめろ。口元がにやついているぞ」

 ラムノに突き放すように言われたパトリック・ヘルマルヤー少佐は、もう我慢できないとばかりに高笑いを始めた。


「ハーハッハッハ! いや、これは失礼!大佐の勇猛果敢な戦ぶり、モニター越しに拝見しても興奮の収まりようがございませんので!」

「お前……私の技の練習台になりに来たのか……?」

 腹部の痛みをこらえながら、ラムノはこめかみを震わせて怒りを滲ませる。


「前もって警告してくださるご慈悲、この身に有り余りまする! そう我々分析機関とて武人の端くれ、敵に遅れをとったことを恥じ、総動員で頂いたデータの研究に取っ組みました。すると大変興味深い結果が出ましたので、まず真っ先に功労者であるプフシュリテ大佐にご報告したくて馳せ参じた訳であります!!」

「興味深い?」


 マシンガンの勢いで早口でまくし立てながら、ヘルマルヤー少佐は映像繊維を取り出して画面を広げる。


 3Dモデル化されたラトーの全身像が出てきた。

 漆黒の身体と、あちこちから無軌道に伸びた触手。ラプセル襲撃時に取り込まれた体内の植物が、呼吸する度に透けてぐちゃぐちゃに映る。

 その横で電波のグラフが非常に小さく波を打っている。


「観測データからの解析結果ですが、通常誤差として切り捨てられる範囲の超微弱な電波が、巨大型ラトー出現直前に一定のパターンを刻んでいることが分かりました。つまり奴はあれだけの巨体をほとんど全て隠して、レーダーをすり抜けてきたのであります!」


「では奴はステルス性能を持った新型ということか? 自爆型でもあり、かつそれを偽装できる性能すら持つ……」


「以前にもステルス型は出現しましたが、これほど見事に我々の対策を突破できたものは過去にありません! それにこの巨体! 攻撃開始するまで肉眼でも観測不能だったとは! 電波観測と光学観測両方を逃れる恐ろしいステルス機能! 現在はティルノグからご提供いただきました複製残骸のデータを元に、別周波用のレーダー開発および赤外線・音波レーダーの改良を進めていく次第であります! しかし私に言わせればこれでもまだ足りません! 敵がまだまだ武器を隠し持っていることを想定すれば、さらにその上を行かなくては! 私は最終決戦にこそ無人機を実用化し、大量投入すべきだと考えております! ここだけの話ですが、新開発の自律制御システムを申請中でして、それが認可されれば夢にまで見たラトーへの先制攻撃も可能になるかと! ああ……ステルス型の次は何が来るでしょうか……? 分裂型? 追跡型? それともそれとも超音波型ぁ!? こうしてはいられません、あらゆるパターンに対応できるレーダーを考案しなくては! ではこれにて失礼!」


 パトリック・ヘルマルヤー少佐、通称ラトーオタクは一方的に喋りまくると駆け足、ではなくあくまで早歩きでタタタと去って行った。


(全くあいつは……優秀なのは認めるが、少し喋っただけでどっと疲れる……)


(ステルス型、か……)

 軽く首を振って、ラムノもまた颯爽と歩き出す。



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