第21話 取り戻させてあげる


 倉庫事件同日の夜、菜由里は自室の机に突っ伏していた。

 その右手にはスマホが握られている。


 昨今における情報社会において、この薄い板は今時のJKには命に変えても護らねばならないものである。これがなければ死んでしまう。


「はぁ……どうしよう」


 これで何回目かもわからないため息を外気へと吐き出す。


 ため息の数が増えるごとに反比例して、気分は沈んでいく。

 まるで一回ため息が出る度に、活力も一緒に出ていっているみたいだ。


 椅子に座る彼女は、脚をぷらぷらしながらスマホを眺める。

 中学校へ入学を機に買ってもらった勉強机。当初グラマラスな自分の将来像に胸を膨らませた彼女は、両親に少々大きめな机を所望したのだ。

 だが結果はこの有様。未だ彼女の脚が地面を踏み締めることはない。


「……はぁ」


 再びため息が洩れる彼女。

 ここ小一時間ほどこの調子である。スマホの電源を入れては画面に表示されるそれを眺め、かと思えば電源を落とす。それの繰り返し。


「んんぅ〜ッ!」


 やがて顔を机に伏せジタバタともがく。側から見れば駄々をこねる子供そのもの。

 彼女の支配から逃れたスマホは、重力に逆らうことなくゴトンッと机に倒れる。

 その液晶には、SNSアプリ「PINON」のトーク画面が出力されていた。


 相手は本日昼、約一年ぶりに会話をした愚か者こと蓮斗の文字。


 しばらくして衝動が収まった彼女は、机に備え付けられている小さな本棚に視線を移す。そこには蓮斗と菜由里のツーショット写真が入ったフォトフレームが立てられている。

 中学2年、体育祭時に一緒に撮ったお気に入りの写真だ。菜由里が所持している中でこれが一番新しい部類に入る。


「れんくん……」


 フォトフレームを手に取ると、写真の中の蓮斗をそっと撫でる。


「やっぱり、いきなりは不味かったかな」


 そう呟き、記憶に蘇るのは今日の蓮斗とのやり取り。


 ーーーーーーーーー


「……冗談だよ?」


「…………」


 吹っ切れた私はれんくんとのやり取りに自然と高揚していた。


 一年も好きな人に避けられ続けたんだから当たり前なのかもしれない。他の基準がわからないけど、少なくとも私にとってはそうだった。


 でもそんな不安定な関係も終わった。

 誤解が解けた今では、ちゃんは視線を合わせてくれている。私を観てくれる。

 こんなに嬉しいことはない。


 嬉しすぎてついつい思ってもいないようなことをつい口に出してしまった。

 でもれんくんを揶揄うのちょっと楽しいかも。クセになりそうなんて思っちゃったり。


 その後も、れんくんとしばらく似たような会話が続いていく。


「——なるほど」

「——あいわかった」

「——それは本当か!?」

「——やはり、な」

「——…………」


 まるで先ほどの事など忘れたかのように、私の冗談に毎度の事真摯に考えては真面目に応えるれんくん。


 それがなんだか面白くて。

 今までできた溝を埋めるかのように、言葉を交わしていく。

 もちろん、ブロックされたSNSのアカウントも解除してもらう。(その時にまたいじった)


 一日中こうしていたいなんて、そう思うのは贅沢なのかな。


 いつの間にか私には笑顔が灯る。れんくんは相変わらずの仏頂面だけど、私にはそれがとても懐かしく感じた。


 あぁ、やっぱり好きだなぁと改めて実感する。

 れんくんに対するこの想いが、チョコレートのように甘くじんわりと溶けて心に染み渡る。


 でもそこで脳裏をよぎるのは、この前見たあの身長の大きな女の子。運動部なのか肉付きのいい身体に、可愛らしい笑顔が特徴の黒髪の子。


 まだ入学二日目にも関わらず、親しそうに話す彼女には疑念を抱かずにはいられない。

 それもそのはずだ。

 れんくんには、私の他に仲の良い子なんて見たことがなかった。しかもその相手が女の子なんて尚更だ。


 だから初めて目撃した時は、まるで青天の霹靂だった。


 一体、どういった関係なんだろう。

 もしかして付き合ってるのかな。

 流石にそれはないよね。

 中学校は違うはずだし、それに……etc


 頭の中で自分自身に言い訳をずらずらと並べいく。


 きっとれんくんがたまたま彼女の落とし物か何かを拾ったりして、それでお礼でも言いにきただけだろう。

 大した仲じゃないと思う。

 たまたまだよね。たまたま。

 そうだ。そうに違いない。



 ————でもあの笑顔は本当にそうなのかな。



 疎いれんくんは気づいていなかったけど、彼女の彼を視る目、彼に向ける笑顔、仕草は本当にただお礼を言いにきただけなのか。他に他意はないのか。


 ぽたりと滴り落ちた不安は、大きな波紋を描く。

 どこまでも広がっていくそれは、私の不安を煽るに十分なものだった。


「……んくんは……の人のこと好き……のかな」


「?すまない、よく聞こえなかった」


 いつの間にか深く思案していた私は、いつの間にか口に出していたようだった。

 しかし、幸いにもれんくんには聞かれていなかったようだ。


「えっ、あ、ううん!なんでもないよ!」


「そうか。それで決まったか?」


 急かしているわけではない、と付け足してれんくんは訊いてくる

 決まったかとは、償いのことだろう。

 正直、鬱憤も晴らし満足した今、ほとぼりは既に冷めている。


 だから今まで通り普通に接してくれれば、と思い至ったところで再び一考する。


 このまま元通りの幼馴染の関係に戻るのは悪いことではない。寧ろ壊れていた関係が修復されるのはプラスだろう。


 だけど、今更ただ幼馴染に戻るだけで本当にいいのか。これは一歩を踏み出すべきではないのか。


 私の脳に思い起こされるのは、今し方考えていた彼女の存在。

 先日、れんくんと楽しそうに話していた彼女の笑顔がどうしてもこびり付いて落ちない。


「れんくんは、付き合ってる人とか……いる?」


「どうした、藪から棒に」


「ちょっと気になっちゃって」


「……ふむ、残念だが“今”はいないな」


 勿体振った後、やたらと「今」という文字を強調するれんくんに笑いそうになりながらも、安堵してしまう。


「そうなんだ」


「あぁ。残念ながら……な」


「じゃあさ」


 不安や緊張の中に勇気をひとつまみ。


「———私と恋人になって欲しい、な。」


 本来ならもっと前に伝えていたはずの言葉。

 もう無理だと半ば諦めていた言葉。

 それが今、一年の時を経て放たれた。


 いきなりなのはわかっている。本当はもっとシュチュエーションを考えて、告白するつもりだった。こんな湿気の多い場所でする予定なんて微塵もなかった。


 でも彼女の存在が。どうしようもない焦りが。つい考えるよりも先に口走ってしまった。


 ドクンドクンと鼓動が波打つ。

 段々と顔の火照りを感じる。

 恥ずかしさから、れんくんの顔が上手く見れない。


 はっきりと響いた声は、心中で数回反響したあとゆったりと霧散する。


 後に訪れた嫌な静けさが私の耳を覆った。


 その居心地の悪さは、教師に苦手な問題を解けと当てられた時のよう。


「……俺は……」


 それからさらに数秒後、れんくんは口を開いた。


 これから伝えられるであろう返答に、さまざまな可能性が導き出されていく。


 今はやや不安が勝るといったところ。


 それでもどうか、



「……菜由里」



 ————どうか神さ……



「……………すまない。」


 言い渡されたのは拒否の言葉。

 聞きたくなかった言葉。

 それでも自分でも不思議なくらい、その言葉が私の中にストンと落ちた。


 あぁ、やっぱり。

 彼はあの子が好きなんだ。


「そっか。ごめんね」


「謝るのはこちらの方だ」


「ううん。いきなり言われても困っちゃうよね。今日仲直りしたばかりだもんね」


 やや早口で言う私。今の彼の顔を直視することは憚れた。


「いいや、そんなことはない。菜由里に想いを伝えてもらえたことは素直に嬉しい」


 こんな時でも感じる彼の優しさが今は酷く痛い。


「一応だけど、れんくんはあの子のことが好きなのかな」


 ここで確信を突く私。


「あの子?」


「先週、朝教室の前でれんくんと話してた身長の大きな女の子」


「あぁ、小鳥遊さんか」


「小鳥遊さんていうんだ」


「あの人のことは好ましいとは思っているが、恋愛感情などの好きではない。寧ろ好敵手ライバルが正しいかもな」


「ラ、ライバル……?」


「あぁ、彼女とはお辞儀バトルで熾烈を極めた仲だ」


「そ、そうなんだ」


 ライバル?お辞儀バトル?

 理解不能な言葉が淡々と積み重なっていき、深く考えることをやめる。

 どうやら杞憂だったのかもしれない。


「じゃあれんくんに今好きな人はいないの?」


「……そうだな……いないと思う」


 再度問われた私の質問に、れんくんはやや含みのある様子で肯定する。

 彼女のことが好きだという予想が外れて安堵したという気持ちと、じゃあなんで?という疑問がぶつかる。


「私のことは、嫌い?」


「いや、嫌いになったことなど今まで一度もない」


 即答されたことに嬉しさが募るが、そうなると疑惑はさらに深くなる。


「れんくんは、私じゃ……嫌?」


 先ほどから質問ばかりで申し訳ないなと思いつつも、真実を確かめられずにはいられない。

 今どうしても彼から聞きたいのだ。


「……わからない」


 顎に手を当て、思案顔にれんくんの口から出たのは曖昧な返事。


「わからない?」


「あの日から、俺はそういう感情がわからない。菜由里と関係が治り、普通に話せるようになった今も。まるで零れ落ちたかのように」


 それに対し、今の私に返せる十分は返事は見当たらなかった。


 小鳥遊さんという人のことを好きならば、将又私のことが嫌いならばまだどうにかなったかもしれない。しかし、「感情がわからない」と言われてすぐにどうこうできる程、臨機応変な対応力は生憎持ち合わせていない。


 ただ言えることは。


 ———私のせい、ということ。


 彼の心情を聴いた瞬間、どっとれんくんに対する申し訳なさが込み上げてくる。

 理由はどうあれ、招いてしまったのは私だ。

 そう思うと急に居た堪れなくなってしまい、俯いてしまう。乾いた唇をキュッと噛む。


 ややあってせめて何か言わないと、と口に出そうとした瞬間。


「や、やや、やっとみ、みちゅけたぜ!」


 ガラリと扉が開くとともに、台詞全て噛んだ神宮寺くんがやってきたのだった。


 ーーーーーーーーー


 あれから私は、すぐに逃げるように出ていってしまった。


 私が教室について5分ほど経って、れんくんたちも教室に戻ってきたけど、あれから二人に何かあったのかはわからない。


 そのままずるずると、結局放課後も声をかけることはできずに今に至る。


「はぁぁ……」


 再び出ていくバイタリティ。

 ため息ロボットと化してしまった私。


「でも……」


 そんな憂鬱な気分の中、再度脳裏で再生されるのはれんくんの言葉。


『俺にはそういう感情がわからない』


 再びフォトフレームに視線を戻す。目に映るのは先ほどと同じ蓮斗と菜由里のツーショット写真。

 この写真以外にも彼との思い出は沢山作ってきた。そしてこれからも作っていきたい。



「…………」



———なら


——————わからないなら。零れ落ちたなら。


 まだ取り戻せる、いや、取り戻させてあげる。


 同情なんかじゃない。私はれんくんが好き。


 今日だってやっと仲直りできたんだもん。


 そうだ、まだ間に合う。全てが壊れたわけじゃない。


 そう思うと、再び活力が湧いてくる。

 伊達に中学の時に始めたテニスでバイタリティを上げていない。


「ならまずは……」


 れんくんに接近することだけではなく、あの小鳥遊さんという人。まずは彼女とコンタクトを取ってみるべきだと私は思う。


 れんくんに直接訊いても教えてくれるだろうけど、変な勘違いをされると困る。

 クラスの友達か誰かに聞いてみようかな?それか探せば見つかるかもしれない。


 今後の方針が決まったところで、菜由里はぴょんと椅子から降りる。


「よーし!」


 フォトフレームを握ったまま声高らかに気合い一丁。


 こうしてまた一人、蓮斗の感情を取り戻すために勇敢な戦士が誕生するのだった。

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