第18話 バイオレンス菜由里

 

 風に舞う桜の花弁はなびらが目に眩しい今日この頃。


 真上にあった太陽はもうすでに西へ傾き始めている。あと数時間もすれば斜陽によって空は茜色に染まるだろう。

 気温は15度前後。一年を通しても暑すぎず寒すぎず、ベストな環境だ。まさに平穏。


 そんな日常の最中、とある学校の一角に咆哮が響く。


 場所は神和崎第一高等学校体育館、第一体育倉庫。


 その中には影が2つ。一人は女性。仁王立ちした状態で、もう片方の人物へと右手人差し指をビシッとキメポーズ。

 片やもう一方は男性。クッション性の高いスポーツマットの上に尻もちをついたかのような体勢で、呆けた顔を晒している。


 女性の名は土岐菜由里ときなゆり。今年神和崎第一高等学校に入学した高校一年生。なんとJKだったのだ。これは朗報である。


 アラゴンオレンジに近い橙色の眼が特徴的なおっとりとした可愛らしい女の子である。


 そんな彼女の悩みは、中学に入学して以降ほとんど身長が伸びていない事だが、まだ成長期が来ていないだけと自らに言い聞かせている。一見ロリと勘違いしそうになるが、実は出るところはしっかり出ており年相応の女性であることを主張している。


 最近はお菓子作りにハマっており、その目的は自分が食べるためではなく、いつか愛する想い人へ食べてほしいという何とも健気な乙女であった。



 ちなみにだがその想い人というのは、なんと彼女の目の前で阿呆ヅラ晒している男であったりする。


 この男の名は上城蓮斗わいじょうれんと。彼女と同じくして神和崎第一高等学校に入学した高校一年生である。こちらはJKではないので需要はない。


 そんな彼は最近「甘いのと塩っぱいのが合う」と有益な情報を得たのだが、何を思ったのか「甘いのと塩っぱいのが合うなら、苦いのと酸っぱいのも合うんじゃね?」と前者の組み合わせを試さずに、未知の開拓地を求めた冒険家である。


 思い立ったが吉日と早速彼は、甘味類が一切混入していない抹茶にレモン汁をこれでもかと垂らし喉を潤す。これが意外と合う!——とはならずにあまりの不味さに吹き出してしまいトラウマになっているのは記憶に新しい。

 余談だが彼は苦いのも酸っぱいのもあまり得意はでは無い。ただの阿呆である。


「その耳の穴かっぽじってよーく聞け!……ね?」


 未だ蓮斗へ向けていた人差し指を菜由里は引っ込めると、意地悪な笑顔を向ける。


 その一連の動作の後も蓮斗からの反応はない。阿呆ヅラを晒し菜由里を見上げているのみ。

 礼儀作法云々が重要だと言っていた数分前の彼は、今ではアウトローと化し無作法者に成り下がっている。これから先彼に待っているのは毎日に怯える逃亡生活かもしれない。


「まず、私彼氏いないからッ!」


 先ほどとは違い、憤りを露わに菜由里が間髪入れずに言い放ったのは、我が身のフリー宣言。

 事実、菜由里は生まれてこの方一度も恋人なる人物を隣に置いたことはない。正真正銘の処女である。なんならキスもまだだ。


 昨今における学生の恋愛事情を加味すれば、これはかなりの希少種であることは間違い無いだろう。見た目ロリロリな彼女だが、出るところはしっかり出ている——いわばロリ巨乳なる種族に分類される彼女だ。国が知れば、即刻絶滅危惧種に認定され保護されること間違いなし。


「私、彼氏いないから」宣言を受けた蓮斗は、やっと頭の理解が追いついたのか口を開いた。

 だが未だ驚愕の表情は隠しきれていない。普段無表情のため、表情筋が死んでいる彼の顔は明日筋肉痛は免れない。


「彼氏は……いない?」


 復唱するように呟く蓮斗からは、疑念を抱いているように見える。

 無理もない、なかなか思い込みの激しい彼は自分の勘違いだったことに気付けていないのだろう。

 なんならこの期に及んで、あぁ彼氏さんと別れたのかと考えている。


「そうだよ!なんなら私、今まで一度も彼氏できたことないから!」


 今度は思考を読まれたかのように、蓮斗の今し方想像していたことを彼女は否定してきた。

 先ほどの爆発でアドレナリンが分泌しているのか、未だ勢いの増す彼女。

 そんな食い気味に迫る彼女の真剣さに、流石の蓮斗も理解する。


(自分が一方的に勘違いしてただけ……か)


 こうなると自ずと自分の犯した誤ちも視えてくる。


「……菜由里、すまない————いや、ごめん。どうやら俺が勘違いしていたようだ。本当にごめん」


 未だ壊れたままの彼だが、素直な性格が消えたわけではない。


 スポーツマットから腰を上げた蓮斗は、自分の誤ちをしっかりと受け止め、心の底から菜由里への謝罪の言葉を口にする。さらにお辞儀もしっかりと忘れない。綺麗な45度をキープしている。

 実は以前小鳥遊さんにバトルを挑み敗北した彼は、あの日からこっそりと努力を重ねていたのだ。


「……れんくん」


 その声色やいつもとちょっと違う口調に、菜由里も彼が誠心誠意謝罪しているのだと理解する。

 物心つく前から仲の良かった2人である、今までの彼の態度などを垣間見るに、今回の真剣具合はかなりのものであるとすぐに結論付く。


 今までの彼女ならば、彼のその態度を観てすぐに謝罪を受け入れ、もういいよ。私もごめんね。と彼女の見た目からは、考えられないほど広大な心で受け止めていただろう。


 その広さはまさにモラヴィアの大草原。


 しかしながら今の彼女はいつもの彼女ではない。先ほどの締まらない言い方も相待って、未だに蓮斗に対する悪戯心が抜け落ちていない彼女。

 どういじわるしようかなと思考を巡らせた彼女は、ややあってニィと笑顔になることも束の間、すぐに深刻そうな顔を作る。


「れんくん。あの時も私の話、聞いてくれなかったよね」


「……すまない。気が動転していた」


「あの後、お家まで行ったんだよ?」


「……申し訳ない」


「連絡先も、ブロックしてたよね?」


「…………」


 糾弾するようにマシンガンな弾丸は蓮斗に次々に撃ち込まれていく。それは彼女に対して続く言葉が出てこないほどに。


 矢継ぎ早に責め立てられる彼だが、こればかりは致し方ない。どんな理由があろうとも、一方的に拒絶したのは彼なのだから。

 人の話を聞かずに捲し立て上げた末、即刻逃亡とはとんだ早漏野郎である。


 困窮極まった彼は、できることなど一つしか残されていない。

 シュンとした顔になったまま菜由里に再び許しを請う。


「繰り返しで申し訳ないが、本当にすまなかった。突然のことで頭が回らなかったんだ。その後の対応も少し考えればやりすぎだと今更ながらに気づいた。これで許されるとは思っていないが、俺にできることならばなんでもする。本当に申し訳なかった」


 やや言い訳チックな彼の言葉だが、なんでもするというその真意は正真正銘本物である。

 変人と言われ生きてきた彼ではあるが、その誠実さは未だ健在であった。


「本当になんでもしてくれるの?」


「……あぁ、俺にできることならなんでも言ってくれ」


「————じゃあ内臓、売ってもらおうかな?」


 再び謝辞と共に頭を下げていた蓮斗に、ニヒルに口角を上げた彼女はとんでもないことを言い放った。

 どうやら今までの蓮斗の対応に辟易していた彼女は、悪戯心と共にここで鬱憤を晴らそうという魂胆のようだ。


 おっとりしていて、周りに小鳥さんや蝶々が舞っていた心優しき彼女はどこへやら。

 バイオレンス菜由里の爆誕である。

 伊達にバイタリティを上げていない。

 今や上げすぎて明後日の方向へ急上昇中だ。


「……なるほど」


 だがそんなバイオレンス菜由里の冗談も通じないのがこの男、上城である。

 彼女のヤクザ紛いの臓器売却発言にも彼は真摯になって考える。


 顎に手を当てカッコつけたようなポーズで悩んでいた彼は、決心がついたのか菜由里に賛否の結果を言い渡した。


「わかった。菜由里が望むのならそうしよう。ちなみにだが、売却する臓器の種類はこちらで決めてもいいだろうか。心臓などは困るのだが、腎臓は1つ失っても片方が正常なら生きていけると聞く。一度精密な検査をしなくていけないが、きっと大丈夫だろう」


「……冗談だよ?」


「…………」


 蓮斗の性格をほぼ把握している彼女に弄ばれたようだ。

 俺の純粋な心を返してくれと切実に思う蓮斗であった。

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