第17話 愚か者
彼女の言葉を飲み込めずにいた。いや、頭ではすでに消化できている。自分の隣に座ってもいいかとただそれだけ。だが頭で分かってはいても、心は理解できていない。
俺は未だ彼女の発言が頭の中で高解像で反射し、ハウリングが起きている。
そんなことなどいざ知らず、未だ
「隣……座るね」
まさかの実行宣言。
彼女の中でどのような会議が開かれたのかはわからないが、俺への質疑応答は中止したのち、座ると判決したのは確かなようだ。
「そんな横暴な」と悪態をついてしまいたくなるが、彼女も彼女でその声はいつもより上擦っており緊張している様子が窺える。
結局飲み込めなかった俺は、石像のように鎮座したまま菜由里が座ることに抗議できず、ウェルカム状態だった。
腰を下ろした菜由里はそのまま体育座りの体勢になり、膝に頭をコテンと乗せ、こちらの様子をチラチラ覗いてくる。
そんな彼女などガン無視し「私、魔法少女になっちゃった!」と持ち前のパッシブスキルを発動することも可能ではあった彼だが、仮にも男子高校生、いくら変人と言われてもこの時ばかりはその仕草の可愛さに無力になってしまった。
これが惚れた女の弱みということなのかは、彼には何も理解できない。
現在進行形で早くなっている鼓動が、嫌悪感などの負の感情からなのか、
「ねぇ、れんくん」
名前を呼ばれた俺は心中で深呼吸一つ。精神を整える。
無視することも可能だが、ここは日本だ。相手が呼んでいるにも関わらず無視を決め込むなど言語道断。
そんな失礼なことを行えば礼儀作法取締法違反により、即現行犯逮捕の後死刑は免れない。
流石、礼儀作法を重んじる国日本。
無作法者は即刻死刑とは———これがcool japanってコト!?
死刑は嫌なので、俺は口を開く。ちょっと口が震えてるのは秘密だ。
「どうした」
「私、ずっと謝りたかったの」
「謝る?」
「あの時のこと……」
「あの時」とは去年の春、ショッピングモールでのことだろうか。
俺は見当違いの可能性もあるため訊き返す。
「あの時?」
「去年、私とれんくんが……」
そこまで言って菜由里は言い淀む。だがこれで言いたいことは理解できた。
「……あぁ、大丈夫だ。謝る必要などない」
「でも——」
「本当に謝る必要などない。俺達は確かに小さい時から一緒にいたが、別に付き合ってるわけでもなかったからな。恋愛は自由だとよく言うだろう?」
「っ……れ、れんくんは私が他の子と付き合ってもなんとも思わないの?」
「思うことがないと言ったら嘘になる。だが、先ほども言った通り恋愛は自由だと言っただろう?自分が嫌だから付き合うな、などと相手に自分のエゴを押し付け、束縛し、無理矢理支柱に収めたところで手に入れらるのは肉体だけだ。俺はそんなことはしたくない」
「それは……」
「逆に俺がいることで迷惑だと感じていたなら謝る」
「れんくんが謝る必要は……むしろ私の方が——」
「これからはもう二度と迷惑をかけないと誓おう」
「ちょっと待ってれんく——」
「俺たちは
蓮斗のこの発言に悪意は一つもない。実際幼馴染な二人は、お互いの想いを伝えたことはない。
「相手も好きなはずだ」「この気持ちは伝わっている」そんな相手任せの信憑性のない想いを信じた結果、菜由里は他の男と付き合っていると思い込んでいる間抜けである。
以心伝心、
少しでも菜由里から事情を聞けば万事解決なのだが、今現状でさえ全く相手の話を聞く気がない阿呆である。
間抜けで阿呆とはこれはもう救いようがない。
しかしながら彼がここまで愚か者になっているのは、一種の防衛本能であるということも理解してほしい。
彼は自分でも気づかないうちに、菜由里の口から本当のこと聞くのが何よりも怖くなっていたのだ。
無意識とはいえ痛痒から逃げるのは、皮肉にも彼もまた
「っ…………」
蓮斗の「ただの幼馴染」と言う言葉に菜由里は体育座りのまま蹲る。自身の左右の太腿から膝までを密着させてできた脚の隙間に顔深く埋める。
隣の愚か者から「大丈夫か?」と声がかかるが、今回は無視を選択。
昔の彼女だったら先ほどの言葉を聴いただけでショックを受け、何も言えなくなっていただろう。
しかしこの時の彼女は違う。一年前から避けられ続け、誤解を解こうにも一方的に拒否された彼女。高校に入学してからも声をかけるチャンスを伺い、実行しても強行突破された彼女。
そんな彼女の心情は
(なんでいつまでも人の話ろくに聞かないの!?っていうかあの時私が持ってた紙袋、れんくんへのプレゼントなんだよ?告白しようと思ってたんだよ!なんか真逆の関係になってるんだけど、どういうことかな?かな!?っていうかこの前朝来てた女の子誰?私知らない!!!)
荒れに荒れていた。それはもう大荒れである。台風の到来である。地震発生である。津波も押し寄せている。天変地異である。
蓮斗への好きという想いが募りに募った結果、いつまでも話を聞かない蓮斗に無自覚にも憤りを感じていた菜由里は、ここに来てキャラ崩壊をも起こす勢いで爆発したのである。
菜由里は体育座りで蹲っていた状態から、顔を勢いよく上げると同時に、地面にこれでもかと力を入れ立ち上がる。
そんな彼女の行動に驚愕した蓮斗は、何事かと目を
いつも無表情を決め込んでいる彼も、珍しく動揺を隠せないようだ。
立ち上がった後少しばかり俯いていた菜由里は、長袖の裾を両手でキュッと握る。先ほどとは違い今回は両手だ。
軽く息を吸えば、体操着から愛すべき想い人の匂いが鼻腔をくすぐる。鼻から香ったそれは瞬く間に身体全身へと渡り、スゥーッと心が落ち着いていく。もしかしたら菜由里にだけ効果のあるアロマ成分でも入っているのかもしれない。
しかしながら今の彼は想い人ではなく愚か者。落ち着いてばかりいられない。愚か者の目を覚まさせるべく彼女はその名を呟く。
世界中で彼女だけが口にするその
「……れんくん」
名を呼ばれた本人は未だこちらをただ無言で見上げているだけ。
先ほどの礼儀作法を重んじる国と豪語していた彼は一体どこへ行ってしまったのか。
呟いた彼女は間髪入れずに大きく息を吸い込み始めた。
空中を舞っていた埃が、待ってましたと言わんばかりに咥内に侵入を果たす。
だがキャラ崩壊を成し得た今の彼女には無意味。
十分な空気を肺へ送り込んだ彼女は咆哮する。
「私 の 話 を 聴 い て っ て 言 っ て る で し ょ ー ! ! ! ! !」
先ほどとは打って変わって、その怒号とも言える彼女の叫びは、蓮斗にはまるで頭をバットでフルスイングされたと錯覚するほどの衝撃であった。
菜由里は普段は大人しい性格の子である。誰にでも優しく、おっとりしており密かにクラスの癒し枠として人気上昇しているほど。
そんな彼女だが、中学のとき始めたテニスにより運動神経はもちろんのこと、昔よりもバイタリティが増えてきているのもまた事実であった。
人生で一番と言っても過言ではない咆哮を思う存分放ち満足したのか、ブラ袖のまま腰に当て仁王立ちをキメている彼女はフンスと鼻を可愛く鳴らす。
正々堂々たるその立ち振る舞いを表すなら、まさに「勇ましい」だろう。
伊達にバイタリティを上げていない。
彼女はブラ袖になっている右腕を伸ばし蓮斗へ向けると、反対の腕で袖を目一杯たくし上げ始める。数秒苦戦の末、白く華奢なおててがこんにちわ。
彼女はその華奢な手の人差し指だけを蓮斗へビシッと立たせると、先ほどよりも音量は落とし、蓮斗にだけ聴こえる声で告げる。
今までの口調とは違い、ちょっと強気な語尾で言ってみようかななどと蓮斗へのちょっとした悪戯心を靡かせながら。
「その耳の穴かっぽじってよーく聞け!……ね?」
どうやら彼女にはまだちょっと早かったようだ。
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