第13話 サキュバス
「ふぅ……ふぅ……姉さん俺、もう……」
小鳥遊さんからお礼をしてもらったその日の夜。俺は今、自分の部屋で汗だくになっていた。
ちなみに母さんはまだ帰ってきていない。
「ふふっ。どうした、蓮斗。もう限界なのか?」
そう笑みを浮かべ、目を細めた表情の姉さんは俺を煽る。
「だって……俺……くっ……」
「情けないぞ。ほら、もう少しでいくから。がんばれ蓮斗」
「姉さん……もう、ほんとに……無理……んあぁ」
限界を迎え果ててしまい、力無く床にうつ伏せに倒れ込む俺。
「やったな蓮斗。新記録達成だ。私が座っている状態で腕立て伏せを30回超えるとは。偉いぞ」
姉さんは自分のことのように嬉しそうな笑顔で俺の頭を撫でた。
「ありがとう、姉さん。でももう腕がパンパンだ……」
弱々しく呟いた俺は改めて全身の力を抜く。そう、俺が今していたのは日課の筋トレだ。
えっ?なに変なこと想像してんだよ!このえっち!ヘンタイ!スケベ!
話を戻そう。なぜ俺が筋トレをしているかと言うと、中学の時は水泳部に入部していたのでそこそこ筋肉はついていたのだが、部活を引退してから今まで全く運動をせずだらけていたからだ。
ちなみに水泳部に入った理由は、皆俺を腫れ物扱いし関わろうとしなかった為、練習でも競技大会でも完全個人でやっていけるからだ。水は俺を腫れ物扱いしないしな!!
あと高校では今のところ部活に入る気がないというのも理由の一つではある。
そしてどうして姉さんも一緒にいるのかと言うと、俺が筋トレをすると知り、サボらないように見張り役兼サポート役を買って出てくれたのだ。俺は甘党だからな、自分にも甘い。
ミドリムシの俺にも慈愛を授けてくれるなんて、姉さんはなんて優しいんだ!姉さんが異世界に転生したら絶対に職業は聖女様だろう。俺?俺なんかそこらへんの農民になってジャガイモでも植えて土と戯れているんじゃね?
今日は俺の背中に姉さんが座った状態で腕立て伏せをしていたのだが、これがまたいい感じにきつい。
別に姉さんが重いというわけではない、今までゴリゴリのマッチョになろうと意気込んで筋肉をいじめていたわけではない俺にとって、誰かが乗っているか否かで天と地ほどの差が生まれるのだ。
まだ筋トレを再開してそんなに日が経っていないので、無理に筋肉に負荷をかけすぎるのもあまり良くないのだが、つい熱が入ってしまう。
今日はなんとか新記録を叩き出すことに成功はしたが、今しばらくは動けないだろう。
パンパンに張った腕と全身の疲労で、大の字になって床にうつ伏せで力尽きていると、突然背中に座っていた姉さんが俺に重なるように密着してくる。
「姉さん……?」
いきなりどうしたのだろうと疑問に思った俺は、首だけを動かしなんとか後ろに視線を送る。
無理に首を捻ってしまったのか、ちょっとした痛みが走りつつも振り向くと、俺の目に映り込んだのは姉さんの顔だった。
目と鼻の先、目睫の間、鼻と鼻が触れ合ってしまうほどに近いことに驚いた俺は慌てて顔を床にめり込む勢いで伏せる。
「ね、姉さん!?いきなりどうしたの!?」
パニックになってしまった俺はなんとか声を上げ、姉さんに疑問を投げかけた。
「ん?そんなに慌ててどうしたんだ蓮斗」
しかし姉さんから返ってきたのもまた疑問。先ほどよりも密着し吐息混じりに耳元で放たれた姉さんの凛とした美声は、俺の外耳道を通り、鼓膜をすり抜け、脳を破壊しようと進軍してくる。
「べ、別に慌ててないよ!?振り向いたら姉さんの顔があまりにも近くにあったから驚いただけで……」
「ふふっ、ならなんの問題もないだろう?」
ワントーン下がった声で囁かれた姉さんの言葉に、俺は今の意味のない見栄は逆効果だったと瞬時に理解した。
姉さんは耳に「ふぅ〜」と息を吹きかけてきた後、軟体動物の触手のようにぬるりと俺のシャツの中に手を忍ばせる。
ビクッとした俺は疲労で動けなかったのが嘘のように、両肘を床につけ、うつ伏せのまま反射的に腰を浮かせてしまう。まるで体幹トレーニングをしているみたいだ。
「ちょうどいい、このままトレーニングといこうか蓮斗。そのままの体勢を維持するんだぞ」
イタズラっぽい口調で姉さんは囁くと、シャツの中に入れた手を動かし俺の体を弄り始める。
(ま、まずいまずい!このままじゃ色々と……ほんとにまずい!)
先ほどから背中に伝わる控えめな柔らかい2つの感触が、薄いシャツを通して鮮明に伝わってくる。
密着されたからか、ラベンダーのようなフローラルな甘い香りが息を吸うたびに蓮斗の嗅覚が刺激され、意識が持っていかれそうになる。
「ね、姉さんっ……そ、そろそろ離れてくれると……ほ、ほら汗くさいだろうし……」
途絶えそうになる意識をなんとか繋ぎ止め、声を震わせながら姉さんに懇願する。
「まだダメだ。私がいいと言うまでやめてはだめだぞ?それともこのまま床に倒れてしまっては私の手が潰れてしまうがいいのか?」
自分の腕を人質に取った姉さんは、腹筋あたりをさわさわと撫でながら俺の要求をあっさりと切り捨てる。
必死の懇願を却下されてしまった俺はもうすでに理性が限界を迎えようとしていた。
(いや、ダメだ。母さんがいない時寂しがっていた俺を、本当は自分も寂しいのに面倒を見てくれた姉さんに悲しい思いをさせるわけにはいかない!)
家族だと、血の繋がった姉弟だと、尊敬する姉さんを失望させるのかと蓮斗は自分を奮い立たせる。
(そうだ。これは試練なんだ。俺の貧弱な精神力を鍛えてくれているんだ!)
そんな意図あるわけないのだが、自己暗示にも似たその思い込みは蓮斗の理性を保つために必要なことだった。
「蓮斗、また逞しくなってきたな。腹筋が割れてきているぞ。どれ、胸の方の筋肉はどうかな?」
ペロリと舌で唇を舐めた後、再び目を細め、蓮斗に見られていないことをいいことに妖艶な笑みを浮かべた朱音は蓮斗の胸板の方へと手を伸ばした。
「ほう。こっちも随分育ってきたじゃないか。前よりだいぶ厚くなってきているぞ」
嬉々とした表情で、ぺたぺたむにむにと蓮斗の胸板を弄る朱音。
「あ、ありがとう……姉さん……」
美人の姉に密着され、耳元で囁かれ、細い指先で身体を弄られるという生き地獄にも似た状況に、それでも蓮斗はこれは試練だと耐えている。
そんな弟の思いなどいざ知らず、当の姉はというと
(はふぅ〜、あぁ……蓮斗蓮斗蓮斗。蓮斗のこの汗と混じりあった匂い、好き。すぅ〜はぁ〜。今日は他の女と遊びに行くって言っていたから、たっぷりお姉ちゃんの匂いで上書きしてやらないと。それにしても蓮斗のこの身体、小さい頃と比べてこんなに大きくなって……ずっと触っていたいほど癖になりそう)
アホの弟にして、この姉である。常日頃はこんなことをしないのだが、他の女と遊びに行くと言う蓮斗の発言に、我慢していた自制心が抑えられなかったのである。
(もう少し、もう少しだけ……)
この後も下心しかない姉の試練を蓮斗はしばらく耐えるのであった。
「ハ、ハァ……ハァ……やっと終わった……」
(やったぞ!俺はついにやったぞ!!)
数十分後、辛くなった蓮斗は朱音の手が潰れないようにと、両膝だけをつき楽になったことで、姉に離れるよう促すのだが聞いてもらえず、結局姉が満足するまで耐えることになってしまった。
無事姉の試練を達成した蓮斗は心の中でガッツポーズをし、自分で自分を褒め称えていた。
「よく頑張ったな蓮斗。明日からのトレーニングにも採用しよう」
「…………ぅえっ!?」
突然の朱音からの死刑宣告に蓮斗は思わず裏返ったへんな声をあげる。
「どうした?蓮斗は嫌なのか?」
しゅんと悲しい顔をする朱音。以前
「う、ううん!嫌じゃないよ!俺もこのトレーニングは名案だと思う!でも毎日だと疲れちゃうからたまにがいいな!」
だが雑魚にも意地がある。流石に毎日こんなことが続いてしまっては、あっという間にあの世行きだ。蓮斗は姉の要望を呑みつつ、自分の要望も伝える。
「そうだな。確かに毎日は大変だろう。では2日に1回取り入れることにしよう」
「み、3日に1回ではダメですか……?」
蓮斗は新たに姉が決めた要望に食い下がる。
「却下だ」
「どうしても?」
「どうしてもだ」
「…………」
「…………」
「………………わかったよ。姉さん」
「あぁ、それでこそ蓮斗だ」
なにがそれでこそなのかわからないが、どちらにせよ朱音の一歩も引かない態度に蓮斗が折れるしか未来はなかっただろう。
果たして2日に1回がたまにと言えるのかは怪しいところだが、これ以上なにを言っても自分の要望は通らないと感じた蓮斗は大人しく頷くのだった。
「あ、それとだな蓮斗」
明後日からまた始まる生き地獄に怖気付いていると、自分の部屋へ戻ろうとした朱音が声をかけてきた。
「どうしたの?姉さん」
「今日、楽しめたか?」
「うん!初めてプロのパンケーキを食べたけどあれは美味しかったよ!ふわふわの生地と、チョコとバナナの相性が最高で!また食べたいくらいだよ!小鳥遊さんには感謝しなきゃ!!」
「………………そうか」
姉さんはどこか考え込むような態度で返事をした。
「今度、私とも行くか」
「うん!もちろんいいよ!」
「ふふっ。ではまたな。早く寝るんだぞ」
「わかってるよ!」
姉さんは止まっていた足を再び動かし、そのまま部屋に戻って行った。
誰もいなくなり、静かになった部屋で蓮斗は考え込む。
(それにしても小鳥遊さんといい姉さんといい今日は誰かにくっつかれる日だったな……もしかして……)
今日の出来事を思い返し振り返っていると、一つの結論に至った。
(やっぱり小鳥遊さんは女スパイで、姉さんはサキュバスだったんだ!)
なんと妖怪鳩女に続いて、新たなモン娘少女と命を狙う女密偵の誕生である。
先ほどの姉からの魔性の攻撃に精神がすり減っていた蓮斗は、このありえない暴論に妙に納得した後、汗を流すためにシャワーを浴びに向かうのだった。
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