第6話 ダークマター

 


 ピピピピッ、ピピピピッ、ピピピピピピ……。

 毎朝欠かさず聴いているやかましいアラームを止め、俺は重い瞼を半分こじ開け、スマホで時間を確認する。


「もう朝か……ってやっべ!もう6時やんけ!!」


 半覚醒状態だった頭が、現在の時刻を確認したことで完全に覚醒した。


 いつもは朝5時にアラームをセットしているのだが、どうやらタイマーを間違えたらしい。いわゆる寝坊というやつだ。


 まだ朝の6時なのに何を慌てているんだと思うかもしれないが、ここ上城家では俺がキッチンを任されている……というより自主的にやっている。


 朝が早く6時半、遅くても7時には出ていく母さんと、生徒会などの仕事で忙しい姉さんの負担にならないようにと、何もない俺が朝食、昼食、夕食の全てを作っているのだ。


 姉さんに関してはもっと別の理由があるのだが、それは言う必要はないだろう。


「早くしないと……いってぇ!?」


 慌てて起きようとしたためか、針で刺されたような鋭い痛みが走る。どうやら昨日怪我したところをぶつけてしまったらしい。


 昨日は帰宅した後すぐに傷口を消毒して治療したが、痣ができている部分は治療の施しようがないので、自然に治るのを待つしかない。


 だが予想以上に痛くならなくてよかった。まぁぶつかると痛いのだが。


 (もしかしたらとも考えたが、大丈夫だったな)


 元々一番酷いのは左肘くらいだったので、そんな心配はしてなかったが、それでも悪化しないことに越したことはない。


 母さんと姉さん達には、怪我のことを黙っているわけにもいかず(制服のこともあるし)話したのだが、予想以上に驚かれ心配させてしまった。


 最初は制服の心配かと思い、「裁縫をできるから大丈夫」と言ってみたのだが、怒られてしまった。なんで誰も制服の心配をしないんだ!昨日着たばかりなのに!


 ちなみに制服は学校にお願いして新しくしてもらう予定だ。

 母さんに迷惑をかけたくないからと、やんわり断ろうとしてみたのだが「絶対にダメ」と頑なに言うので甘えることにした。入学初日にやらかしてごめんよ、母さん。


 そんなわけで、昨日はたまたま早く帰ってきた母さんがいたから夕食は任せてしまったが、朝食と弁当は流石に申し訳ないので俺が作ろう。


 このくらいの痛みなら別に支障はないだろう。


 俺はベッドから再び立ち上がり、ドアノブに手を伸ばす。


 (まだ急げば弁当くらいは間に合うな)


 やや慌てつつ廊下に出た瞬間、嫌な匂いが鼻腔をくすぐる。


 (ん?この臭いどこかで…………ハッ!?!?)


 それは封じられし記憶。思い出したくもないトラウマ。


 だがもう遅い。鎖や南京錠で厳重に閉ざされていたその記憶は、すでに臭いを嗅いだ瞬間、意図も容易く解き放たれる。


 そう、これは……小さい頃に食べさせられた……。


 姉さんの料理ダークマターの臭いだ。


 (まずいまずい!姉さんがキッチンに!)


 全身から嫌な汗を吹き出しつつ、リビングのキッチンにいた姉さんに声をかける。


「お、おはよう。姉さん」


「蓮斗か。おはよう」


「姉さんは何やってるの?」


「見ての通り朝食の準備だ。ちゃんとお弁当も作っているから安心しろ」


 俺はもう手遅れだと思いながらも続ける。


「へ、へぇ!そうなんだ。で、でもやっぱり俺が作るよ?姉さんも生徒会の仕事とかで疲れてるでしょ?」


「気にするな。いつもは蓮斗にばかり作らせてしまっているからな。それに、怪我もまだ癒えていないだろう。だから私に任せろ」


 まるで大船に乗った気にとでも言うかのように、誇らしげに語る姉さんに、もうこれ以上何も言えなかった。


「そういえば、母さんは?」


「あぁ、先ほどもう仕事に行ったぞ。せっかく作った昼食も持たずにな。どこか慌てている様子だったが、なにかあったのだろうか」


 か、母さん……。


「朝から会議でもあったんじゃないかな!わからないけどね!」


「きっとそうだろうな。母さんは私たちのために日々頑張ってくれているからな」


「あ、あはは……」


「それより出来上がったぞ、蓮斗。朝食にしよう」


「う、うん……」


 どうやら無駄話をしているうちに完成してしまったらしい。何やってんだよ!俺の馬鹿!間抜け!ミドリムシ!


 頬を引き攣らせながらもなんとか笑顔を作り、俺は椅子に座る。


(あれから何年も経ったんだ。きっと姉さんだって成長してる……いや、ずっと俺が作ってたから成長していない!?……いや、でも!)


 鼓動が早くなるのを感じながらも、俺はその1%にも満たないごく僅かな可能性に賭ける。


「さ、いただこうか」


 そう言いながら、テーブルに出された姉さんの料理を見て俺は。


「ね、姉さん?これの料理名は……」


 出されたのは紫色の物体だった。形状が維持できないのか、どろりとスライムみたいになっている半固形状の物体。


「見ての通り、卵焼きだ。今回は上手くできてな。自信作だぞ」


 (たまご……やき?)


 ネームと見た目が一致しないことに困惑する俺。


 (これが……?え……やばくね?まだ地獄から這い出てきたねる◯るね◯ねとか言われた方がしっくりくるぞ……。ってかなんか目玉みたいなのついてるんだけどなにこれ……あっ、目が合った)


 お世辞にも「食べ物」とは言えない物体と見つめ合い固まる。


「どうした、食べないのか?もしかして嫌だったか?」


 珍しくシュンとする姉さん。


「えっ!?や、食べるよ!わーい!卵焼き!蓮斗、卵焼きだーいすき!!」


 姉さんを悲しませるわけにはいかない。


「ふふっ。慌てなくても大丈夫だぞ」


 (ふぅ……ふぅ……。覚悟を決めろ。蓮斗。さぁ、振り切るぜ!!)


 心のエンジンを点火し、こちらを見つめる卵焼きに箸を伸ばす。


 すると。


 ジュウゥゥ……。


 箸が融解した。何を言ってるかわからないと思う。姉さん曰くこれは卵焼きだ。

 卵焼きに箸を刺して、箸が溶けるわけないって?なっとるやろがい!


(ひ、ひぃぃ……。いや、もう後には退けない!)


 溶けた箸など見なかったことにし、覚悟を決めた俺は勢いよく口の中に卵焼きもどきを頬張る。


(っ!!こ、これは!!)


 突然だが、皆は人間には基本となる味覚があることはご存知だろうか。それは、うま味、塩味、甘味、苦味、酸味の5つだ。後これは正確には痛覚らしいのだが、辛味などもある。


 つまり、何が言いたいのかと言うと。


 蓮斗は今、その基本となる五味+辛味などの全てを口の中で爆発させていた。


 そんな重すぎる体験に普通の少年が耐えられるはずもなく...。


(……そうか。今わかった。なんだ簡単だったんだ。難しく考えることなんて何一つなかった。ただ単純なことだったんだ。だって……宇宙はこんなにも……こんなにも広かったんだから!!だから……だから……だか……ら……)


「……じょう……上城ッ!!」


「…………ハッ!?ここはどこ!?私はグレイ!?」


 俺の意識は再び地球へ降り立ち、目の前のイケメンに顔を向ける。


「なんだ陽キャキングか」


「お前大丈夫か?登校してきたと思ったら、ボーッとしてるし。話しかけても反応ねぇしよ。心配したぜ」


「あぁ、宇宙の理がちょっとな」


 俺が宇宙の理に気づいているうちにどうやら登校していたらしい。


「俺はどうやってここへ……?」


「ん?あぁ、なんか女の人が連れてきてたぞ。ってかあれうちの生徒会長だろ、いつの間に仲良くなったんだ?」


 どうやら姉さんがここまで俺を連れてきてくれたらしい。


「仲良くも何も、生徒会長は俺の姉さんだ」


「えぇ!?あ、いや、でも言われてみれば確かに苗字一緒だな。気づかなかったわ」


 納得が言った様子の晴輝は続ける。


「いいよなぁ。お前の姉さん。めちゃくちゃ美人で羨ましいぜ」


 なんだこいつ。狙っているのか?


「フッ、お前如きに姉さんは渡さん。と言うか誰にも渡さん。欲しければこの俺を倒してから奪うんだな!!!」


「シスコンかよお前……」


 陽キャキングにいつでも相手になると煽りつつ、そこで俺はふと名案を思いついた。


「陽キャキング。俺は、昼に弁当を持参してきたんだが、今日は姉さんの手作り弁当なんだ」


「おいおい、自慢か?入学式の生徒会長挨拶で思ったけど、お前の姉さんなんでもできそうだもんなぁ。きっと料理も上手なんだろ?俺も食ってみてぇわ」


「そんなお前に提案だ。俺とお前の昼食を交換しないか?姉さんの料理は毎日食べてるからな。(大嘘)たまには違うのも食いたいんだ」


 さぁ釣れろ。


「いいのか!俺昼食は購買のパンにしようと思ってるんだが?大丈夫か?」


 「あぁ、大丈夫だ」


 かかったな阿呆め!

 ちょろすぎるイケメンに俺はニヤリと勝ちを確信する。


 だがそこで、陽キャキングは「こっちからもお願いがある」と言い始めた。


「その陽キャキングっていうのやめてくれ。俺のことは晴輝って名前でくれよな。俺も蓮斗って呼ぶからよ」


 一瞬、なんだこいつと思ったが俺の命がかかっているのだ。呼び名くらい安いもんだろう。


「いいだろう晴輝、俺のことも好きに呼ぶといい」


「よっしゃ!よろしくな蓮斗」を晴輝は爽やかスマイルでいう。なんでこいつはこんなに嬉しそうなんだ。


 こいつ、まさか!と薔薇な関係を思い浮かべるがすぐに思いとどまり、邪念を払い除ける。


 とそこへ廊下側から声がかかった。


「お〜い。上城〜。お前をお呼びみたいだぜ」


 呼ばれた方へ顔を向けると田中くん(仮)が、サムズアップの形で親指を廊下側の扉へ向けている。


 どうやら誰かが俺をお呼びらしい。


「ありがとう。田中くん」と声をかけ、俺を呼んでいる人物の元へ向かう。途中「俺、中島……」と聞こえたが気のせいだろう。


「俺に何か用か?」


 扉の方へ向かうと、そこには背丈の大きい女性が立っていた。


「あ、あの!私、小鳥遊 若葉たかなし わかばって言います!!」


 どこか緊張している様子の彼女は、そう名乗ったあとなぜか綺麗なお辞儀を披露するのだった。

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