第112話 ふりだし

「そうかいそうかい、そりゃ良かったな」

「ですね。とりあえず一歩前進、おめでとうございます」


 破沼庵ハヌマーンにて、結果を知らされた愛美アフロディーテ夏川サラリーさんはそれぞれにお祝いを言ってくれるが……。


「――――で?」

「で?」


 愛美アフロディーテの詰め寄りに、一歩引いて聞き返す孝之。


「肝心の優衣菜はどうしたんだよ?」

「そうですよ。これではお祝いの乾杯もできやしない」


 孝之一人で報告にきたことに、まさかと疑いの目を向ける二人。

 孝之はそのまさかですと肩を落とす。


「……ええ、もう人生すべてやり尽くした……思い残すことはなにもない。そう言ってズッと部屋の中から出てきません……」

「あの女郎メロウ~~~~!! 人に散々協力させておいて終わったら自分だけさっさとご隠居かぁ!? なんて恩知らずなやつだ!!」

「すみません……だからこうして僕だけでもとお礼にきたわけです……」

「いや、それはいいんだけどさ孝之くん。けっきょく結衣菜さんはどうするつもりなんだい? どこかに進学するのかい? それともウチへ来てくれるのかい? だったらすぐにでも入社してもらえるよ。人事部へは通してあるんだ」

「いや……あのそれが……」


 試験に合格した結衣菜は安心と開放感で気が大きくなってしまって、やることはやった結果も出したという大義名分も得て、いつもより三割増量で引きこもってしまっている。

 人生エネルギーの大半を消耗した。30年は家から出たくない。

 そう言っている。


「…………前より悪化してんじゃねぇかよ」


 呆れる愛美アフロディーテ

 夏川サラリーさんも苦笑いでズッコケてしまっている。


「すいません……なんか……三歩進んで二百歩下がっちゃったみたいで……」

「いやまぁ……そうですか。う~~~~ん……こりゃまいったな……」

「そういえば、アレだろ? 高梨製造所からもスカウトがきてるんだろ?」

「スカウトっていうか……普通の事務員ですけどね。就職を望むならぜひにと名刺はもらっています」

「かぁ~~~~、ラッキーだなぁ!! いまどきないぜそんな話し!?」

「ちょっとちょっと、それは聞き捨てなりませんね。先にお誘いしたのは私なんですから、コッチを先に考えてもらいますよ!??」


 不満そうに口をとがらす夏川サラリーさん。

 まったくみんな……あんな自堕落女のどこが良いんだか……。


 ともかくお礼を言うとお土産のチーズケーキを買って家に帰った。





「あ、おかえり。遅かったズラな」


 ――――ガタタタタン。

 帰るといきなりエプロン姿の林檎に出迎えられた。

 こんどは孝之がズッコケてしまう。


「な、な、なんでウチにいるんですかっ!???」

「いやぁ~~そろそろ合格通知が来たかなと思って、気になってきちゃったズラ」

「電話してくれればいいじゃないですか」

「家賃を払ったら電話代がなくなって止められてしまったズラよ」


 テヘ、と頭を小突き、可愛く舌を出す林檎(29)ぜんぜん可愛くない。


「……その料理はなんなんですか?」

「これ? ……これはあれズラ。結衣菜殿を探したんズラが、どうも部屋から出てこないのでご飯の匂いで誘ってみようかとキッチンを借りているズラよ」

「……お手数かけます」

「合格祝いも兼ねてるズラからちょうど良かったズラ」


 リビングのテーブルには合格通知の封筒が広げられていた。


「勝手に見たズラ。結果はわかっていたズラが一応おめでとうズラ」





「……それでズラな。オラは結衣菜殿に教師の道を進めたいんズラよ」

「――――ブッ!!」


 いきなりのブッ飛んだ提案に、お茶を吹き出してしまう孝之。

 林檎が用意してくれた料理は鍋だった。

 なけなしのお金で作ってくれたお祝いの夕餉ゆうげである。

 肝心の結衣菜はまだ現れていないが……。


「……き……教師!? な、なに言ってるんですか突然??」

「べつにおかしなこと言っているつもりはないズラよ? 結衣菜殿の学力を考えれば同然出てくる選択肢ズラ」


 合格成績証明書を広げて見せてくる。

 結衣菜の成績は全教科ほぼ満点A評価での一発合格だった。


「高認から東大、早稲田へ行った者も少なくないズラよ。結衣菜殿の成績ならば充分、教師を志す資格はあると思うズラ」

「で、でも……いまから教師とか……」

「教員免許に年齢制限はないズラ。40、50からでも教師になった人間はいるズラ。……それに高梨会長じゃないズラが優衣菜殿には教師になるべき資質があるズラよ」

「し、資質?」

「そう……ズバリ心の傷ズラな」

「あ~~~~……」

「教師っていうのは大体ね、イジメとか不登校とか……そんなものに無縁な、学校が好きな人間が目指すものなんズラ。でもそれじゃあ苦しんでいる生徒の気持ちを理解することなんて出来ないんズラ。だから結衣菜殿のように辞めてしまうほど嫌な経験をしてしまった者ほど、オラは教師になるべきだと思っているズラ」

「ま……まぁ……それはたしかに……そうですけど」

「結衣菜殿ならきっと本当の意味で生徒を思いやって導くことのできる良い教師になれるズラ。オラはそう思うズラ!!」


 そうかなぁ~~……。

 その前に『悪・即・斬』とか叫んで生意気な生徒を血祭りにあげたあげく懲戒免職になって放り出されるきがする……。いやそれどころか新聞沙汰にすら……。


「ん? どうしたずらか??」


 嫌な未来しか見えず頭を抱え込んでいる孝之。

 それを不思議そうに眺める林檎。

 すると階段からミシミシと結衣菜が下りてくる音がした。


「なにかやってると、耳をすませて聞いてれば……」

「おお結衣菜殿やっと下りてきてくれたズラか」

「うおっ!??」


 三日ぶりに見た姉の姿。

 髪はボサボサ、目は落ち窪み、死装束ははだけて、なんだか全体的にやつれてしまっていた。


「……勝手に人の将来決めないでくれるかなぁ~~~~」

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