第108話 くだらない理由

「無いズラね」

「いいわけねぇ~~じゃんバ~~ロウ」


 即答する二人。

 優衣菜は中指まで立ててしまっている。


「はっはっは。そうですね、それが普通の考え方でしょう。人には様々な資質があります。才能があります。学問が出来るというのは、その内の一つでしかありません。そんなこと皆わかっているんですよ、個人では。……しかし社会となるとそれがわからなくなる。学問という一つの才覚でしか人を評価出来なくなる」

「それが学歴社会ズラ」

「そんな社会で育てられた学生たちは、やはり修学のレベルでしか人を測れなくなりランク付けをしてしまいます。……そしてそのランクに従って発言権をも決めてしまいます。そうして誕生していくのが、現場を見ない自信過剰で横柄な管理職です」

「そうズラね。そんな思い上がった連中が、机上の空論にすらなっていない無茶苦茶な成果を現場に要求し、拒否権すらも取り上げ、その末路が誤魔化しと偽装になっていくのズラね?」

「はい。……あなたはよくわかっていらっしゃいますね」


 ますます嬉しそうに、頼もしそうに微笑む高梨さん。

 話を聞きながら、◯玉そっくりな何かをコリコリしているのは見ていないことにする。


「傾いた会社を立て直そうと現場を見てみると……すでに古参の職人たちはリストラ、あるいは愛想を尽かしいなくなって派遣社員に代わっていました。それでも大丈夫だと息子と若い管理職は言いましたが、彼らはなにもわかっていません。……生産機械なんてものは常にベテランがメンテナンスし続けていないと回るものじゃないんですよ。……案の定、新たに企画した製品はとても基準を満たせる品質ではなく、それでも計算通りに、マニュアル通りに通せば出来るはずだと息子は言うのです。出来ないのは現場が無能だからとも」


「半端な中学歴ほど人を無能呼ばわりしたがるのはなんなんズラね?」

「誰かを下げないと、自分が上がれないからだぜいバ~~ロウ」


「……まったくその通りです。自分たちのしでかした傲慢の後始末もろくにできない半人前たちでは、なにをどう頑張っても崩壊を止めることは出来ませんでした。倒産こそはなんとか免れましたが……資産のほとんどは買収されて、会社はそれまでの半分以下の規模にまで落ちぶれてしまいました」


 そこまで言ってハッと顔を上げる高梨さん。

 恥ずかしいような情けないような表情で、


「おっと……これは申し訳ありません、ついつい愚痴を言ってましたね。こんなことまで話すつもりじゃなかったのですが……」

「高梨殿はなぜ試験を受けに来られたズラか?」

「私? 私が試験を受ける理由はですね……とてもくだらない理由なんですよ?」

「おっと、そう言われるとますます気になるぜぃバ~~ロウ」


 二人に詰め寄られ、ニコニコと話の続きをしてくれる。


「……これは先程の答えにもなるのですが。私が思う、人にとって最も大切なものとは――――やはり〝心〟だと思っているのですよ」


「ほう」

「ズラ」


「学問はたしかに大切です。技術を磨くのももちろん大切です。……しかしいくらそれらを身につけても、その力を正しい方向に向けられなければ意味がないと思いませんか?」


「ズラ」

「バ~~ロウ」


「努力は尊いものですが、心をないがしろにした努力は人を踏みにじる武器にしかなりません。学問にしろ技術にしろ、その力は自分の得ではなく人のために使ってこそ意味のあるものになるのです。そうしなければ社会は歪な形でしか発展していきません。そしてその〝心〟を正すのが〝痛み〟を受けた経験だと思うのですよ」


「……ズラァ」

「……………………」


「どんな形でも、一度最底辺を味わった人間は人を思いやれるようになります。強い力で他人を攻撃する愚かさを知るからです。……私の息子や、その取り巻きたちは生まれながらに環境に恵まれ、挫折なく学士となりました。しかし一番大切な痛みを学んでこなかったため、その能力の使い方を誤ってしまったのです」


 そして優衣菜を見つめる高梨さん。


「私はね、あなたのような人にこそ学問を学んでほしいと思っています。人が怖くなるほどの痛みを知っているあなたなら、力を身につけても、それを絶対に暴力へと変えたりはしないでしょうから」


「買いかぶりだぜぃ……バ~~ロウ」


「……同じ話を息子にしました。……しかしまったく聞く耳を持たれませんでしたよ『低学歴に人権などいらない』『努力をしなかった自業自得』……彼はテスト勉強以外、努力だと思っていないようなのです。そして学問は教養で、教養は人格だと本気で思ってしまっています」


 大きく大きくため息を吐き出す高梨さん。

 林檎も同情するように苦笑いを浮かべる。


「……そんなバカ息子をね、説得するには、いちど彼の価値観につきあって負かすしかないだろうと思ったのです。息子よりも良い大学を卒業して、そしてそのうえで言ってやるのです『それでも私の本質はなにも変わっていない』と。…………それが私の……私自身の怠慢の、せめてもの罪滅ぼしになればと……」


 本当に恥ずかしそうに頭をかく。


「……どうです? くだらない理由でしょう?」


 そんな問いに、林檎は笑顔で返事をした。


「まったくズラな。でもそんなあなたが大好きズラ」

「照れますな」

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