第95話 それぞれの目線

「なるほど、なるほど……」


 帰宅途中の電車にて。

 座席に座りながら慎吾は深くうなずいた。


「それはたしかに……今回だけは、お前の意見が正しいように見えるな」

「そうだろう!? 絶対そうだよな!??」

「俺としても結衣菜さんの下着姿やビキニアーマー姿を堂々と鑑賞できる未来はとても魅力的だ。それはもう、とっても」

「うん、うん……動機は不純だがまぁ、うん、うん」

「だがしかし……それがほんとに結衣菜さんの幸せになるのかといえば……いささか疑問ではある」


 真剣に、とある一点を見つめながら慎吾が言った。


「疑問って……。一流企業だぞ? 高待遇、高収入だぞ!? 幸せに決まっているだろうが。独立して、いいマンションに住んで、いい出会いにも恵まれて、豊かで幸せな家庭を作る。これ以上の幸せはないんじゃないか?」


 当然だろう? 孝之は思う。

 慎吾は黙って、そして目立たないよう小さく対面に座る女性を指さした。

 女性は大学生風で、かなりの美人。

 やや短めのスカートを履いていた。


「……彼女を見てお前はどう思う?」

「どうって……? 普通のお姉さんに見えるケド……?」

「そうだな。俺にもそう見えている」

「……それがどうしたんだよ?」

「幸せな気分になれてるか?」

「はあ? い、いや……とくに幸せとかは」

「俺はいま幸せだね」

「なんで!?」

「見てみろ」


 そう言って慎吾はグイッと孝之の頭を引き寄せると、いままで自分が見ていた視線と同じ位置にセットした。


「――――あ」

「どうだ?」

「いや、その……」

「俺の言いたいことがわかったか?」

「ま、ま、ま、まぁそりゃあ……でもこれは……!??」

「人の幸せっていうのは目線によって変わる。俺の目には幸せに見えた景色が、お前にとってはそうでなかったように。お前が見ている幸せもまた、結衣菜さんに伝わっていないのかもしれない」

「……ん、ん、ん、ま、まぁ……ね、そ、それはね」


「そして結衣菜さんの幸せもまた、お前には見えていないのだろう」

「いや……姉ちゃんの主張は本人から聞いているよ」

「しかし理解はしていない」

「……………………」


「一度、結衣菜さんの目線に立ってみたらどうだ? そうしないで価値観を押し付けるのはダメなことだと、林檎先生とやらから学んだばかりじゃなかったのか?」

「う……。で、でもそうなると俺と姉ちゃんが、その……おかしな関係に……お、お、お前はそれでもいいって言うのかよ!??」


 そう言われると、慎吾は目にブワッと血の涙を浮かべる。

 浮かべつつも歯を食いしばって意見を続けた。


「良・い・わ・け・ないだろうっ!! だが!! まずは結衣菜さんの気持ちを考えるのが第一だと言っている!! 俺やお前の気持ちは、その次の話だ!!」

「ね、姉ちゃんの目線って言ってもなぁ……」

「あるはずだ!! 結衣菜さんは見ているが、お前には見えていない宝物が!! 俺が見ていて、お前が見えていなかったあの人のパンツのように!!」


 力説する慎吾。

 同時に股間を押さえるお姉さん。

 夕暮れ時の電車の中に、


 ――――スパーンッ、スパーンッ!!


 気持ちのいい張り手が二発鳴り響いた。





「いててててて……」


 まったくひどい目にあった。

 くっきり手形のついた頬をさすり、駅を出る孝之。

 慎吾とわかれ、家路につく。

 だが車内で言われたことがどうにも心に残り、自販機の前で立ち止まった。


「姉ちゃんの見えているもの……ねぇ……」


 たしかに姉には姉の世界があって、目指す道は姉自身が決めるべきことなんだろう。

 慎吾の言うこともわかるが、しかし、人生のチャンスというものはそう簡単にやってくるものでもないし、待ってくれるものでもない。

 どう考えても今回のスカウト話は、姉にとって最良の道のはずなのだ。


 引きこもりのせいでまともな判断が出来ていないだけで、いつか更生すれば姉もきっと理解してくれるだろう。

 それとも、こんな考えもまた自分よがりだと責められるのだろうか?

 自販機にスマホをかざし、ドリンクを選ぶ。

 コーヒーを買おうとするが〝つめたい〟と〝あったか~い〟の二種類あった。


「そうか……もう温かいのが入ってる季節なんだな」


 せっかくだから温かいのを選んでみる。

 ゴトンと落ちてきた物を取り出すと、


「あっつ……」


 想像していたよりもずっと熱くて驚いた。

 飲んでみるが、やはりいまいち美味しくなかった。

 じんわりホッとさせてくれるかと思ったが、そうなるまでにはもっと寒くならないとダメみたいだ。


「……相談……してみるかな……」


 持つにも熱すぎる缶をフリフリ冷ましながら、孝之はちょっと寄り道することにした。

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