第76話 ステキな出会い

「ひぃひぃ……ひぃひぃ……」


 ガタガタカタカタと肩を震わせ、物陰に隠れている結衣菜。

 両腕を抱え込み、小さく丸まっているその姿にもいつもの不遜ふそんなようすは微塵もなく、まさに迷子の子猫のようだ。

 どこをどう走ってきたのか?

 パニックになっていてまるで覚えていないが、いつのまにやら知らない街の知らない住宅街に来てしまったようである。


 オンボロアパートの、錆びついた鉄階段の下で息をひそめる。

 築何年かわからない、少なくとも昭和時代から建っているだろうすすけた木造アパートの周囲は静かで、人の気配もあまりしない。

 そのかわり、全体的にくたびれた雰囲気というか……良く言えば下町。悪く言えばガラの悪そうな区域ではある。

 人気のない方へ、ない方へと走ってきたら自然に辿り着いてしまった。


「ど……どうしよう……どうしよう……」


 気がつけば背負っていた中華鍋も包丁もなくなっている。

 ほっかむりとマスクも取られてしまったいまの結衣菜は、ただの人。

 それも、まあまあキワドい服を着た元モデル美人。

 そんな女が、こんな治安の悪そうな場所で一人しゃがんでいるのは……まだ昼間ではあるが、貞操の危機を感じる。

 とはいえ人気の多い場所へ戻るのも……精神的にムリ。


「こ、ここは一つ……孝之に救助を……」


 携帯をまさぐってみるが……ない。

 どうやら着替えの際、破沼庵ハヌマーンに置いてきてしまったようだ。


「……な……なんてことだ……た、孝之……」


 青ざめ、より強く身をかかえる結衣菜。

 絶望と心細さから弟の名前をつぶやくが、そのとき。


 ――――ガチャンッ。


 アパートの扉が開かれる音がした。

 二回のどこかの部屋から誰かが出てきたようである。


 ――――カンカンカンカン。


 細かなリズムで階段を下りる音。

 鉄板の隙間から見上げると、そこには派手な背広をだらしなく羽織ったいかにもチンピラ風の男が。


「――――――っ!?? ――――っ!!!!」


「――――おん?」

 男が視線を感じ、下を見てみるが、

「……? 気のせいか?」

 そこには誰もいなかった。



「ひぃ……ひぃ……あ、あぶなかった……」


 男に見つかる寸前。

 結衣菜は場所を移動してアパートの敷地の、さらに奥へと避難していた。

 そこは隣の住居とブロック塀で仕切られた狭い庭――とも言えないほどの、幅1メートルにも満たない隙間。

 腰の高さにまで伸びた雑草。

 その中に潜みながら、なんとか男をやり過ごした結衣菜。

 姿が見えなくなるのを確認して大きく安堵の息を吐く。


「……ふ~~~~~~~~~~ぅ……た、助かった……」


 しかし、そう思ったのもつかの間。

 また新たな気配を感じてピクリと反応する。


「――――!?? ――っ!?? っ!??」


 感じる視線。いったいどこから!???

 警戒度マックス。

 野良猫のごとく目を真っ黒にして気配の元を探す結衣菜。


 するとそれは案外すぐに見つかった。

 結衣菜が隠れているすぐそば。

 一階部屋の窓ガラス。

 そのわずかに開いたカーテンの隙間から視線は向けられていた。


「う……??」


 カーテンの向こうには結衣菜と近い年頃の、若い女がいた。

 とても大きな豊満体型おデブなその女は、黒髪ポニーテール丸メガネ。

 安っぽいTシャツをピチピチに伸びさせて、しかしそれよりもインパクトがあったのは、首に巻いたトラ縞の標識ロープ。

『愛媛みかん』と印字された木箱の上に乗り、ロープは天井の梁へと結ばれていた。

 つまり女は首吊り自◯しようとしているまっ最中だった。


「……………………………………………………………………………………」

「……………………………………………………………………………………」


 見つめ合う二人。

 やがて10秒……20秒と時が流れる。

 その間、女はゆっくりとロープから手を離し、足もジリジリと箱から外していく。

 しかしそれにまったく動じず、無反応な結衣菜。


 女はちょっと泣きそうな顔になり、足を戻してロープを掴む。

 そして首から引っこ抜くと――――ガラガラガラ。

 窓を開け、自分を見つめ続ける結衣菜を怒鳴りつけた。


「ちょっと……なんなんズラ!? 見てるんなら何か反応するズラ!! 悲鳴を上げるなり誰かを呼ぶなり止めるなり慰めるなり話を聞くなり説得するなり、なんかリアクションはないズラかっ!??」


「い……いや……その……こっちもそれどころではないと言うか……。なんか共感できたというか……むしろ旅立ちを邪魔したくなかったというか。……まぁ……お構いなく……というか」


「お構うズラよ!? そんなジッと見られながら吊るとか!! どこの死◯囚ズラか!? こういうのはとりあえずなんでもいいから止めるズラよ!! それが人情ってもんズラでしょうが!!!!」


「いやいや……私はそんな自己満足に酔いしれた安っぽい人情なんて持っていないので。死にたい人は死ねばいいし、そのコトが不幸とも思っていないので。むしろ地獄からの開放、新たな世界への希望に満ちた旅立ちと思っているので。それに踏み切る勇気すらないのが本当の不幸で、それはまさに私のコトで……。私はそんなあなたを尊敬しこそすれ、止めるなどと罰当たりなコトは……むしろ私もお供させていだだきたく!!!!」


「……わ、わかった。落ち着くズラ。と、とりあえず早まるでないズラ。部屋に入るズラ、お茶くらい出すズラ!!」


 自分以上にヤバい相手ホンモノだと理解したその女は、とりあえず優衣菜を部屋の中に招き入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る