第44話 ひとりでできるもん

 午前10時。


 カーテンの隙間から差し込んでくる、高く上りつつある陽の光に照らされて、優衣菜はモゾモゾと毛虫のように起き始めた。

 ボケたまなこで時間を確認しながらムニャムニャと。

 横腹を掻きながら部屋を出ると、家の中は静まり返って人の気配がまったくない。


 孝之は? 

 ――――ああそうか学校か。


 そういえば朝一番に『行ってくるから。いい加減起きろよ!!』などとドア越しに怒鳴られたような気がする。

 そんなことをしなくても、開けた部屋の穴からそっと起こしてくれればいいのに……。と言いたいところだが、穴はすでにベニヤ板で塞がれてしまっていた。


(もう……せっかく繋げたのに。……つまんないなぁ……)


 せっかく姉がホニャララしてやろうといってるのに。

〝据え膳食わぬはなんとやら〟という言葉を知らんのか? 

 まったく最近の若者は。


 などと見当違いな文句を思いながら台所へと下りていく。

 食卓の上には孝之が作ってくれたものだろう。おいしそうな朝食がラップをかけて並べてあった。

 メニューはベーコンエッグに豆腐に味噌汁、小松菜のおひたし。


 ちなみにぜんぶ手作りっぽい。


 最近は冷凍食品にも飽きてきて、できるだけ自炊をするようにしている(孝之が)

 自分もなにか作ろうかと進言した優衣菜だったが、過去の罪を咎められ、俺の監視がないうちは食材に手を出すなと釘を刺されている。

 以前は料理担当に任命するとか言っておきながら、ずいぶんな話である。


『納豆は冷蔵庫』の書き置きを丸めながら、トッピングはどうしようかと思案する。

 普通に考えればシンプルに刻みネギだが、卵黄を落とすのも捨てがたい。

 しかし卵はすでにオカズにあるので重複してしまうか?

 だったらキムチ……は置いてない。

 きざみ海苔……も見当たらない。

 じゃあマヨネーズ? いや、朝から油っこいのもなぁ……。


 いろいろ迷った結果〝酢〟を入れてみることにした。


 どこかのサイトで読んだ記憶がある。

 酢を添加することで鉄分とカルシウムがどうたらこうたら、血圧がどうのアンチエイジングがこうの……ともかくすこぶる健康に良いらしい。


 将来の健康と美容は、若いうちからの努力が大事よね。


 うん私ってエラい。頑張ってる。


 ただの気まぐれを努力に置き換え、自己肯定材料にしてしまう。

 これがニート歴◯年でつちかった優衣菜のメンタルキープ術である。





「う……うぉえぇぇぇ……ぅぅぅぅぅぉおえぇぇぇ……」


 想像より一回り半マズかった酢納豆。

 食べきった他のオカズとともに吐き出しそうになるのを我慢して、優衣菜は洗面所へと直行した。


「はぁはぁはぁ……な……なんとか飲み込んだわ……」


 喉チンコまで逆流していた朝食を、なんとか気合で押し込んで、陶器シンクにもたれかかる。鏡を見るとヒドイ顔をしていたのでついでに顔も洗った。


 そう言えば……ニート生活になってから朝一の洗顔と歯磨きをおろそかにしていた気がする……。

 それは顔を合わせたくない親たちを避けていたので、必然的にそうなってしまっていたのだが、状況が変わったいまならば、そこはキッチリできそうな気がする。


 いや、しなければ孝之に嫌われてしまいそうだ。

 不潔な女なんてどこの男だって嫌だろう。


 歯ブラシに、これでもかと大量に歯磨き粉をのせて口に放り込む。

 ガシガシと力強く磨くこと3分。

 歯茎と舌のブラッシングも忘れない。

 母(怒)が置いていった高級洗顔クリームがあったので、それも大量に使って顔を磨き上げた。


 ――――キュピーーンッ☆


 ピカピカになった顔面を鏡で確認し、キメ顔を作る優衣菜。

 よしよし、これでさっぱり清潔、キレイキレイ。

 息だってほれこのとおり、はぁ~~はぁ~~。

 自分で吐いて自分で吸う。

 ミントのいい香り。いつでもキスができそうだ。


 ……そういえば孝之が私に興味を持たないのって、二次元趣味ってものもあるんだろうがダラシなさというのもあるのかもしれない。

 ゴミ屋敷だった部屋といい、洗濯してなかった万年パジャマといい……やはり清潔感が足りなさ過ぎたのかもしれない。


『姉弟だから!!』とハッキリ言われている事実を無視して勝手な解釈をする。


 そうか……そういうことならば、お姉ちゃん。今日からとびきりキレイ好きになってあげようかしら?

 部屋も新調したことだし、生まれ変わるとしたら今よね、よぉ~~し!!

 がぜんやる気になった優衣菜は『日本一のキレイ好きお姉ちゃん』を目標にさっそく行動を開始した。


「だったらまずは――――やっぱり洗濯よね」


 清潔感にとって、もっとも重要なのはやはり衣服。

 どんなに髪を整えてても、どんなに化粧をしていても、服が臭ければすべて台無し。

 ほんのちょっとの汗臭さでも、男の気持ちというものは萎えてしまうもの(実際はそうでもない)

 だったら極めてやろうじゃないか洗濯道を。

 やる気に満ちた目で、洗濯機へと向かい合った。


 だが…………。

(…………?)

 なにやらボタンがいっぱいある……。


『水位』『お湯取』『洗い』『すすぎ』『脱水』『予約』『コース』『乾燥機能』

 さらにそこから細分化された項目がいくつもある。


 はて……?

 水位、82、72、55,42、26リットル?

 え? 水なんか適当でいいんじゃないの?


 お湯取?? なんのお湯? 取る??


 洗い時間? 20分~3分?? 知らんがな。


 あとなに? 『やわらか洗い』とか『手揉み洗い』とか。

 お前、手ぇついてへんやんっ!!

 

 その他、エトセトラ、えとせとら……。


 家事初心者に立ちはだかる、定番中の定番といっていい『日本製電気家電意味不明ボタン弾幕けっきょくつかわん』の先制を受け、さっそく脂汗を流す優衣菜であった。

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