第36話 天国と地獄

「ありがとう。――――ありがとう、ありがとう」


 当選確実と書かれたタスキを肩に、真っ赤なリボンで折られたバラを胸に、慎吾は感涙にむせびつつ、孝之の両手をブルンブルン振っていた。


 いつもの教室のいつもの昼休み。


 通学してきた慎吾はゲッソリとやつれ、目にクマも作っていたが、なぜが満面に幸せの笑みを浮かべて授業を受けていた。


「うぅぅぅ……もう俺は~~~~。いつ死んだっていいんだ~~~~。優衣菜さんの柔らかさを感じて~~~~ヒック。もう思い残すことはないんだから~~~~。おかげさまで昨日は~~~~今世紀最大のナニがアレして、ソレがアンなことになってコレがもう擦り切れ――――ぶわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」

「…………………………………………」


 ナニを報告したいのかはこの際考えないようにして、黙って携帯のボイスレコーダーアプリを起動させる孝之。

 いまは聞くに耐えないセリフだが、10年後には熟成されて、立派な脅迫材料に育ってくれることだろう。


 それでも慎吾は、いまこの青春の喜びを噛み締め、後のことなど知るかの精神で抑えきれないこの想いを、感情のままに教室に垂れ流すのであった。


「わたくしこと~~~~~~葵慎吾あおいしんごは~~~~このたびぃ~~有権者様の~~力強い後押しのおかげで~~~~見事~~初当選を~~させていただくことができました~~~~。え~~~~つきましては、この喜びと感謝をうたにぃ~~、一句詠ませていただきたいと思っております~~」


 なんだなんだと、ざわめく教室。

 これ以上側にいると自分まで同類にみなされると恐れ、黙って席を離れる孝之。

 もうとっくに同類扱いされていることは、なぜか気付いていなかった。


『秋の夜に 知ったやわさとかぐわしさ 幾度いくども子と語り合い じっと手を見る』


 喝采の声を背に教室を出る孝之。

 あの動画による心の傷は、昨日のラッキースケベですっかり埋められたらしい。

 それどころか巨大な塔がそびえ立ったようで、一件落着(?)しそうである。


 今日は、昨日買った家具が届いているはず。

 業者さんへの応対は、どうせ優衣菜にできっこないので愛美アフロディーテに頼んでおいた。


 姉が唯一関わることのできる他人。

 怖いところもあるが、とても頼りになるので、お礼はしっかりとしておきたい。


「今日はご馳走でも作って振る舞おうか……」


 無駄に盛り上がっている教室の騒ぎを聞きながら、廊下の窓から空を見上げる孝之であった。





「ありがとう御座いました。またのご利用をよろしくお願いします!!」


 深々と頭を下げて帰っていく配送スタッフ。

 そんな彼らを見送って、くわえ煙草の愛美アフロディーテは笑顔で手を振った。

 靴の裏で火を消すと、携帯灰皿に押し込んで息を吐き出す。


 やれやれ、ようやく終わったか。

 ベッドに本棚、PCデスク。収納ラックに座椅子と布団。

 けっこう買い込んだものだなと肩をすくめ、玄関に戻った。


 孝之に事情を説明され、面倒を見てやったのはいいのだが本人は完全に隠れてしまい、どこに何を配置したら良いのやら。

 まぁ、ゴミ屋敷状態だったのは聞いていたので、気を使う必要もないかとテキトーに置いてもらった。


「おーい、終わったぞ~~。どこにいるんだ~~優衣菜や~~い」


 上がり込みながら廊下を歩いていると、台所からコーホーコーホーと例の音が聞こえてきた。


「……お前、なにそんなところで縮こまってんだ?」


 ガス台の前に三角座りをしながら小刻みに震えるフルプレートアーマー。

 手には本物の包丁と、なぜが野外コンロ用の着火ライターが。


「コーホー……落城にそなえ、最後の奮戦を覚悟していたところである。コーホー」


 よくわからないが、優衣菜にとって業者の皆さんは居城に攻め込んできた敵兵に見えたらしい。


「コーホー……捕らえられ、生きて辱めを受けるなら。一人でも多くを道連れに、最後は炎にのまれ散ろうではないか、コーホー……」


 ガスの通ったゴムホースに包丁を、ライターに火を灯して早まろうとする。


「だから帰ったっつってんだろ!! 〝ないか〟じゃねーよ!! 勝手に私をお供にするな!!」


 オタマで兜をどつく。

 こわぁん、といい音が。

 反響した音に鼓膜を往復ビンタされ転がりまわる優衣菜。


「バカなことやってないで、早く部屋片付けてこいよ。服とか小物とか、整理しなきゃならないモノまだまだあるんだろ」


 まったく世話の焼ける後輩だ。とでも言いたげに深い溜め息を吐く。

 優衣菜は恐る恐る兜を脱ぐと、暗闇の中の猫のように真っ黒いマナコをキョロつかせ、匂いを確認した。

 どうやら本当に帰ったようだと理解したら。


 さっ!! ――――ガシャガシャン!!


 一瞬の早業で鎧を脱ぎ捨てると、


「そうね。孝之が帰ってくるまでに綺麗にして驚かせなくっちゃね」


 優雅に髪をなびかせて、清廉せいれんに微笑んだ。 

 愛美アフロディーテはあえて黙って、無表情に階段を上がっていった。

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