第26話 お前ら正気なの?

 静けさが気持ちいい、日曜日の昼下がり。


 客が一段落し、落ち着いたカウンターのなか『珈琲処・破沼庵ハヌマーン』の店主代理、愛美アフロディーテはコップの曇りを磨きながら、なにげに外を眺めていた。

 向かいの家の花壇に、かわいい秋桜コスモスが芽吹いている。

 その花をついばむように、茶トラの猫が鼻をひくつかせていた。


 つい数ヶ月前までは子猫だったその子の名は、たしかチャムだったか?


 小さなアンティーク調の窓から見える景色は、単調なようでいて、しかし季節と時の移り変わりを綺麗に切り取ってくれる。

 愛美アフロディーテは、そんな見慣れた景色に心癒されながら、透明になったコップをカウンターに並べた。


 夜の部は親父の担当だ。

 そろそろメニューの下ごしらえでもしておいてあげようか、などと考えていたら、


 ――――ガチョン、ガチョン、ガチョン。


 表の通りから、妙な金属音が聞こえてきた。

 なにごと? 

 音の方に目を向けると、そこには全身を鋼の板で包んだ、さまよう鎧が道路を削りながら歩いていた。


「な、な、な、な……」


 当然のごとく言葉を失う愛美アフロディーテだが、その隣に見慣れた顔があって、彼女は思わず店を飛び出した。


「た、孝之!?」

「ああ、アフロディ――あ、いや愛美あみさん。こんにちは」


 どうかしましたか? とばかりに平然と挨拶を返してくる孝之。

 謎の鎧も立ち止まり、コーホーコーホーと不気味な音を鳴らしていた。

 愛美アフロディーテはそんな鎧と孝之を交互に見て、


「……こいつ……まさか優衣菜か?」


 こんなバカなことをしているヤツなんて……他にはいない。

 孝之はバツが悪そうに頬を掻くと「ええ、まぁ……」とうなずき、鎧の理由を説明して聞かせた。





「……なるほど……昼間はそいつを着込んでないと表を歩けないと……」


 まぁ優衣菜らしいわなと、あきれつつも納得して煙草に火をつける愛美アフロディーテ


「……ええ、まぁそういうわけなんで……。俺もみっともないとは思うんですが、リハビリというか、外に出てくれるんなら多少の恥は我慢しようかと……」


 多少どころではない気がするが……。

 外に設置してある灰皿に灰を落としつつ、マジマジと鎧を観察する愛美アフロディーテ

 優衣菜は無言で剣に手をかけ、威嚇の姿勢を示している。


「で? ……お前はこんなもん着込んで、どこに行こうといているんだ?」


 聞かれた優衣菜は、兜の隙間から眼光を光らせて、


「コーホー……。コレカラ。弟トノ。新婚生活ニ必要ナ。生活品ヲ。買イニ。デパートマデ。行クノダ。コーホー」


 ロボットみたいに答えた。

 何を言ってるんだこのバカはと困惑する愛美アフロディーテ

 それは置いとくとしても、まさかもうそんなに関係が進んだのかと疑いの目を孝之に向ける。


「〝新婚生活〟のところだけ無視してください。あとはまあ……本当です」


 優衣菜の部屋のほとんどの物は、けがされたとして外に捨ててしまった。

 とはいえ、まだまだ使えるものばかりだったので、本当に処分するわけではなく、一部は孝之の部屋の家具と交換という形になった。

 パソコンも孝之のノートPCを優衣菜に譲り、優衣菜のデスクトップを孝之が使うということで決着がついた。


 いったん全ての家具がなくなった優衣菜の部屋は昨日一日かけて掃除され、いまは新築同様にピカピカになっていた。

 もう二度とゴミ部屋に戻らないよう、追加の収納家具を買って生活習慣も改めようという話になり、通販でそれらを揃えようとした孝之だが、それを優衣菜が止めた。


 どうせなら二人で仲良く買い物に行きたいというのだ。


 当然持ってるだろう下心に寒気を感じた孝之だが、姉が自分から買い物に行くなど普通ならありえない話。先日のお使いで少しは外に慣れたのか、とにかくこの機を逃す手はない。

 このチャンスで一気に外の空気に慣れてもらい、更生への近道としよう。

 そう考え、申し出を了承した。


「へぇ~~……まぁ……考えはわかるけどもなぁ……」


 しかし……本当にそんな格好で街に行くのか?

 愛美アフロディーテは孝之の正気を疑うように目を覗き込むが、彼の目はまっすぐに明後日の方向を向いていた。

 きっと色々考えがこじれた末の決断なんだな、と納得(?)する。


「まぁ……姉弟のことに口を出す気はないけどな……。けど、さすがにそんな格好でモールなんか行っても歩けんぞ?」


 というかたどり着く前に捕まるわ。

 そういえば先日、近所のスーパーにモンスターが現れたって夜の客が言っていたが……あれはコイツのことじゃないだろうな……。

 問い詰めるのが怖い。


 そのかわりに良いことを思いつき、愛美アフロディーテは「ちょっと待ってろ」と二人を表に待たせると、店の奥へと引っ込んだ。

 しばらくして戻ってきた彼女の手には、先に何かを掴むアタッチメントが備えられた棒が握られていた。


「これは?」

「自撮り棒だよ。コイツの先にスマホをつけて歩け。んで何か聞かれたら撮影中って答えとけば、たぶん大抵のことは乗り越えられる」

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