第15話 深淵の扉

 ぎぎぎぎぎぎぎぎぎ……。


 不気味にきしむ蝶番の音。

 少しだけ開かれた姉部屋の扉。

 その隙間からは黒紫色の瘴気が、侵入者を拒むように流れ出てくる。


「はぁはぁ……」


 孝之は緊張に息を荒くして、わずかに開いた隙間から部屋の中を覗き込んだ。

 しかし見えるのは漆黒の深淵のみ。

 窓とカーテンはもちろん、アルミ製の雨戸まできっちりと閉められた優衣菜の部屋は天然の光など皆無。

 あるとしたら、小さく光るデスクトップPCの待機ランプだけ。


 女性特有の甘い匂いがする。

 それに加えてなんだか酸っぱい匂いも漂ってきた。


「……嫌な予感しかしないが…………」


 意を決して部屋に入り込んだ。

 そして扉のすぐ横にある、明かりのスイッチをオンにする。

 照明が灯った。

 そしてその光に照らされて、部屋の全貌が明らかになる。


「ぐっ……!!」


 ――――がたがたっ!!


 部屋の中はまるでゴミ屋敷だった。

 散乱した雑誌、漫画本。ゲームソフト。映画やアニメのDVD。

 菓子の袋。汁が入ったままで中身が七色に変色したカップラーメン。

 脱ぎ捨てたままのシャツや下着。

 入りきらず、もはやその機能を果たしていない本棚にはホコリが積もり、無類のゴミの山が部屋の大半を埋め尽くしていた。

 さらに壁には朱液で書き殴られた『一網打尽』の文字と無数に刺さった五寸釘。


 その光景を目にした孝之は、思わず尻もちをついてしまう。


 正直、ある程度は予想していた。

 何かと世話を焼かせられるたびに部屋の匂いを(不本意ながら)嗅いでいたから。

 アイツが引きこもってから掃除している音など聞いたことがない。

 どーーせきったねぇんだろうなとは思っていた。

 しかし実際その現状を見てしまうとわかっていてもドン引きしてしまう。


「ゴミとか……洗濯物とか……俺が回収にいってやってただろうが……」


 それでも引き渡さず、放置している姉のズボラさが理解できない。


「……これは……とりあえず大掃除させんとな……」


 だがそれは後回し。

 いまは姉の足取りを追わないといけない。

 孝之は部屋の天井を見回し、屋根裏への入り口を探した。

 それはすぐに見つかった。

 部屋の奥、ちょうどベッドの真上に、天井裏へと抜ける四角い点検口が見えた。


「あそこか……」


 孝之はゴミの海の中から、なんとか足場を見つけると、ぎこちなく部屋の中を進んでいった。

 ときおり、ぐにょり、ぐちゃりと足先に湿った感触が伝わって悲鳴を上げそうになるが、ここまできたら後には引けない。


 すべてが終わったら風呂釜が溶けるほどの塩素液で浄化してやる。

 それまでどうか我慢してくれ、俺の足。


 犠牲となってくれている己の足裏に敬意を払いながら、孝之は進む。

 魔窟と化した魔女の部屋を。

 むせ返るようなフェロモンと腐臭に足元を見ることができない孝之は、しばらく進むと、なにか硬柔らかい棒のようなものを踏んづけてしまった。


「うわっとっ!??」


 足を転がされ、バランスを崩した孝之はとっさに手をつこうとするが、そこには食べ残しで桜でんぶをまぶしたようになっている発酵おにぎりが。


「――――くっ!??」


 そんなもの触ってたまるかと、体を捻り、すぐ側の積まれた漫画本に手をかける。

 しかし雑に積まれた本の塔はすぐに崩れ、再び支えがなくなった孝之の体は、それでも倒れまいとゴミを撒き散らしながら二転三転。最後には斜めになり、壁際の本棚に掴まってしまう。


 しかし、メキメキ……ぐらぁ――――。


 無理な体制で掴まった本棚は、鈍い音を上げながら。


 どさどさどさっ!! がらがっしゃーーーーんっ!!

 派手に倒れてしまった!!


 だが孝之はその一瞬前、さらに体を捻り、脱出していた。

 ムーンサルトばりの曲芸で部屋を宙返る孝之。

 そんな技を駆使しても、意地でも汚物に触れたくなかったのだ。

 そしてその状態から安全に着地できるポイントは――――、


「くっ……ベッドしかないっ!??」


 数年分の汗と体臭が染み込んだ姉のベッド。

 もはやそれも汚物と言っていいものだが、しかしそれ以外と比べると……若干であるがマシと言えなくもない!!


「くそ、躊躇ためらっている暇なんかないっ!!」


 覚悟を決めて、姉のベッドへと着地する!!

 しかし無理な体勢がたたって、


「げっ!??」


 ――――ズルッデデーーーーンッ!!!!


 布団に足がもつれて、倒れてしまった。

 もうもうとホコリが舞う。


「ゲホゲホッ!!」


 咳き込む孝之の頭には、布団の中に脱いであった優衣菜のパジャマ(下)がかぶさって、口を押さえる手には優衣菜の脱ぎ捨てた下着(下)が絡まっていた。


「ん? ……なんか酸っぱ香ばしい……ぞ? おわ、なんだこりゃ!??」


 なんとも不思議な匂いのするそれを、そうと知らずに広げる。

 頭にかぶさったパジャマも手に掴んだところで――――、


「あ……」

「あ……」


 天井点検口から顔を覗かせた優衣菜と目が合った。

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