第5話 再教育

「……ただいま……」

「おかえりなさ~~~~い。あ・な・たぁ~~♡」


 帰宅し玄関を開けた途端、裸エプロンに三指付いた優衣菜が出迎えた。

 振り返ると、表の道を歩いていた買い物帰りのおばさんがギョッとした顔でこちらを見る。そして薄笑いを浮かべて去っていった。

 孝之は慌てて扉を閉めると、


「越えてはならん一線をバンバン越えてくるのやめてくれんか!?」

「だってぇ~~こういうのは早いほうがいいかなと思って……」

「意味がわからん」


 はじめは孝之も優衣菜を可哀そうだと同情していた。

 少しでも早く立ち直ってほしいと気晴らし相手になったり世話を焼いたりもした。


 しかし途中から気がついた。

 この女。


 実はもう過去を引きずっていない。


 引きずっているフリをして怠けているだけだ。

 不幸を理由に、ぬるま湯に浸かり続けているだけなのだ。

 義理とはいえ、長年姉弟だったからこそわかる。


 親がいなくなったいま。

 この女の目を覚まさせてやるのは自分しかいない。

 孝之は、酒の匂いをプンプンさせてチラチラと胸元を見せてくる姉に頬を引きつらせつつ、そう誓った。





 鞄を置き、キッチンに行くと、すでに夕食(?)が用意されていた。


「メシは作らなくていいっていったはずだけど……?」


 ポカポカ湯気を上げる丼ぶりには、大盛りごはんに黒いタワシがのって、溶いた生卵がかけてあった。


「お姉ちゃん特製ソースカツ丼よ~~。あたたかいうちに召し上がれ~~」

「……カツ丼? このタワシみたいなのは黒焦げたカツなのか……? ソース??」


 隣に置かれた中濃ソースを見てげんなりする。

 まさかコレをかけて食えと言うんじゃあるまいな……。


 血の気が引くと同時にこみ上げる絶望感。


 このままテーブルをひっくり返してやりたい衝動に駆られるが、いやいやここはぐっと我慢だ……と必死に辛抱する孝之。


 この姉が、率先して家事をしてくれるなど今までなかったことだ。

 昨日の昼ごはんは、そのあまりの雑さにあきれてもう作らなくていいと言ってしまったが、引きこもりからの更生を考えると出来の良し悪しに構わずやらせるべきだったのだ。

 ともかく健全な生活を思い出してもらって、部屋に籠もる時間を一秒でも短くしてもらう。

 まずはそこから始めなくては。


「ま、まぁ……せっかく作ってくれたんだからな……い、いただきます」


 ソースを生卵に垂らしてかき混ぜる。

 ついでに真っ黒カツにもかけて、まずは一口。


「う……」


 てっきり豚カツだと思っていた中身は生焼けの塩サバだった。

 追いかけてソース卵かけご飯を口に入れる。

 こっちは意外とイケなくもなかったが、黒焦げの衣の苦味とサバの生臭さがソース卵味と正面切って殴り合い、背中がゾゾゾワと震えた。


「おいしい?」


 新婚の新妻よろしく両頬に手を当ててニコニコ感想を聞いてくるドアホ。

 ほんとうならその鼻の穴に箸を突っ込んでやるところだが、ここで怒ってはいけない。

 孝之は持てる堪忍袋を総動員して怒りを閉じ込め、ほがらかに笑った。


「う……うん、意外とおいしいな……。や、やるじゃないか、姉ちゃん……うっぷ。……こ、これならもうちょっと頑張れば……料理人だってなれるよ、げふぅ~~~~……」

「ホントに?? わ~~~~い、孝之に褒められた。じゃあお姉ちゃんもいただくね~~」


 ごきげんに笑うと、全く同じメシを美味そうに頬張る優衣菜。

 孝之は、ありえないという目で姉を見つめていた。





 夕飯を(なんとか)終えて優衣菜に後片付けをしてもらっている間、孝之はとある表を作っていた。

 ガシャンガシャンと、時々、皿の割れる音がするが聞いていないことにする。


「おやぁ? なにを書いているの孝之?」


 片付けを済ませた優衣菜が『滅』と書かれたエプロンで手を拭きながら覗き込んでくる。

 めくった布地から秘部が見えそうになってギクッとしてしまう。

 そんな自分に喝を入れつつ、孝之は出来上がったばかりの表を優衣菜に見せた。


 6:30  起床

 7:00  朝食

 7:30  ラジオ体操

 7:40  掃除洗濯

 12:00 昼食

 13:00 勉強

 15:00 買い出し

 18:30 夕食

 19:30 自由時間

 22:00 就寝


「ん~~~~……なにかなぁ~~これは?」


 冷や汗だらだら。顔を青ざめさせる優衣菜。


「見てわかるだろうスケジュール表だよ」

「キミの?」

「あなたの」


 ――――カッチンコッチン、コッチンカッチン。

 時計の音が聞こえる。

 ――――わんわん。

 近所のペットの鳴き声も聞こえた。


「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理!!」

「無理じゃない無理じゃない無理じゃない無理じゃない無理じゃない無理じゃない無理じゃない無理じゃない無理じゃない無理じゃない無理じゃない無理じゃない!!」


 マッハで破こうとする優衣菜の手。

 それを掴んで阻止する孝之。

 しばしもみ合いもつれるが、引きこもりで体力のない優衣菜は力尽きてダウンしてしまう。


「いいか姉ちゃん、今日から絶対このスケジュールで働いてもらうからな。いいな!!」

「……はぁはぁはぁ……はぁはぁ。い、いいわけないでしょう!? な、な、な、なんでお姉ちゃんがそんなことしなくちゃいけないの!?? ひぃひぃ……」


「働きもせずぐうたらしてるからだろうが!!」

「だ、だ、だからって家事を押し付けるなんて女性差別じゃない!!」

「働きもせずぐうたらしてるからだろうが!!」

「5つも上の姉に命令するつもり!?」

「働きもせずぐうたらしてるからだろうが!!」

「ひどい!! 孝之ったら、昔はやさしかったのに!!」

「働きもせずぐうたらしてるからだろうが!!」

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