第4話 ゆるさねぇ

「じゃあ、行ってくるから……」


 突き出された唇を完全無視して孝之は学生カバンを持ち上げた。

 寝不足の目蓋が重くて体もだるいが、今日は月曜日、学校に行かなければならない。


「むぅぅぅぅぅぅぅぅぅん行ってらっしゃいの~~~~ちゅ~~~~~ぅ」


 昨晩は優衣菜に夜通しで夜這いという名の既成事実いやがらせをかけられ一睡もできなかった。

 こんなこともあろうかと、自室の扉に鍵を付けておいて正解だった。

 おかげでなんとか侵入だけは阻止できたが、一晩中扉をかきむしる音がうるさくてマジでぶち殺しそうになった。


「……留守の間、俺の部屋には絶対入るなよ? 入ったらわかるようにセンサー仕掛けといたから。じゃあ行ってくる」


 冷ややかに睨みつけながら扉を閉める。

 瞬間のわずかな隙間から、優衣菜の仏頂面と舌打ちが聞こえてきた。





「どーせーせいかつ!? ま・じ・か・!?」

 ――――ドンッ!!


 昼休み、悪友であるあおい 慎吾しんごが弁当のご飯粒を撒き散らして机を叩いた。

 その大声に、同じく教室で昼食を取っていたクラスメイトが一斉に注目する。

 孝之は慌てたようすで『なんでもない』と手を振ると、ずれたメガネを直す慎吾の頭に腕をまわし、


「アホか!! 俺たちは姉弟なんだ、同棲じゃねぇよ。ただ家から親がいなくなっただけだ!!」


 まわりに聞こえないよう声のトーンを落として説明した。

 しかし慎吾は小学生からの付き合い。


「し、し、し、しかしだな。お前の姉、優衣菜さんとお前は、たしか血は繋がっていなかったはずだな!? そ、そ、そ、それって……つつつ、つまり他人同士ってことだよな!??」

「実質はな」

「そういう姉弟ってし、し、し、しようと思えばけ、け、結婚とかできるんだよな!??」

「…………………」


 黙り込む孝之。

 こいつ、昨日の姉と同じこと言いやがる。

 慎吾は一応、携帯で法律を調べ直した。

 そして絶対的確信をもって再び叫ぶ。


「どーーーーーーせーーーーーせーーーーーかつじゃんっ!!!!」

「だから違う!!!!」


 わざわざ机に乗り上げ絶叫する慎吾を引きずり下げて、頭を押さえ込んだ。

 ざわめく教室。

 眠たそうな顔を指摘されて、ついこの面倒な奴に理由を喋ってしまった。

 うかつな自分を呪う孝之。


「なぁ~~~~にが違うだ貴様!! ま、ま、ま、まさかあの優衣菜さんとお前……まさか昨日お前……」

「なにもしてねぇよ????」

「馬~~鹿~~野~~郎~~!! あんな美人に迫られてなにもしない健康な17歳がいるかぁ~~~~疾風怒濤の赤き血潮ナメんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 慎吾は昔から優衣菜にあこがれていた。

 孝之的に言いたくはないが……優衣菜はかなりの美人だった。

 スタイルも実は良い。

 高校時代にはモデルも努めていたほどである。


 それがなぜ、あんなおかしな変態へと墜落ついらくしていったのかは色々あるのだが、ともかく世を捨て引きこもりになってからでも慎吾は一途に優衣菜にぞっこんなのである。


「お、お、お、お前……ま、まさかまさか傷心の優衣菜さんをお前、親がいないことをいいことにお前、慰めるふりしてお前……もっと傷つけたりしてないだろうなお前~~~~~~~~~~っ!??」

「だからしてねぇよ!! 向こうが勝手に襲ってくるだけなんだって!!」

「U~~RA~~YA~~MA~~SぃHI~~~~!!!!」

「うらやましくねぇ!! 捻くれ曲がってるだけだ!! 怖い思いしてるんだよこっちは!!!!」





 その頃、優衣菜は――――。


「むぁぁぁあぁぁぁぁぁああぁぁぁぁ……久々だわぁぁぁぁ……大きいテレビ~~~~♡」


 リビングのソファーにだらしなく寝そべって、冷蔵庫にあった練り物を貪り食っていた。

 キンキンに冷えたビールも一緒。

 テレビには平日昼間定番のお笑い番組が流れている。

 べつに見たいわけじゃなかったが、ずっと部屋に閉じこもって動画といえばノートPCの15・6インチでしか観られなかったので、久々の65vはなんというか開放感か違う。


 ビールは親が残していった物。

 台所下の収納スペースに箱ごと置いてあるのを見つけた。

 飲んでいいとは聞いていないが一年会わない人間のことなど気にする必要はない。


 親の出張は母の仕事の都合だった。

 ファッションデザイナーである実母は界隈でそこそこ有名。

 今回の仕事は大きなキャリアアップに繋がると意気込んで飛んでいった。

 モデルの仕事も母の手伝いでやっていただけだ。

 その世界で成功してやろうとか、とくに考えていなかった。

 小遣い稼ぎ程度でやっていただけなのだが、それが同業の癪に障ったのだろう。

 親の七光りだとか色々ひどい陰口を叩かれ、気が付いたときには仕事を辞め、学校も辞めていた。


 高校まで辞めたのは学校内でもあらぬ噂が立てられたからだ。

 やれ男性アイドルの誰々と付き合っているとか、やれ有名プロデューサーに抱かれているとか、芸能界ではアリアリの定番ゴシップである。


 もちろん優衣菜は潔白だったが、噂とは真実と関係なしに広まるもの。

 しだいに優衣菜の心は疲れ、閉じこもっていくようになった。


「…………あ~~~~苦い……」


 つまんないことを思い出してしまったなと、優衣菜はビールを床に置く。

 もう五年も前のことだ。

 当時の誰も自分のことなど覚えていないだろうし、自分も忘れている。


 優衣菜は口直しにカシスオレンジの缶を開けた。

 そして退屈そうにつぶやく。


「あ~~あ……孝之早く帰ってこないかなぁ~~」

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