第3話 超えちゃえばいいのよ

「さて――――」


 夕飯は味噌汁と鮭の切り身、残り野菜のサラダを作った。

 孝之も料理ができるわけではないが、このぐらいならなんとかなる。

 食べ終えた茶碗を置き一息つく。

 優衣菜はバックドロップのダメージもなんのその、何事もなかったようにモリモリ飯を食べていた。


「ごちそうさま~~美味しかった~~。やっぱり孝之はなんでもできるのね~~。お姉ちゃんの将来も安泰だわぁ~~」


 食卓にはセロテープで修復された婚姻届がゴワゴワにエビ反っている。

 孝之はまだ17歳。

 いまそんなものを持ち出されても時期尚早――――などという問題でもない。

 とりあえずこの気持ち悪い書類はあとで焼却処分するとして、問題は今日のこれからだった。


「食い終わったら茶碗は漬けておいてくれ。片付けも俺がやるから」

「いいよぉ、それくらいお姉ちゃんがするわよぅ~~?」


 ニコニコと食器を重ねながら二人分をシンクに運んでいく優衣菜。

 思えばこうして姉弟一緒に食事をするなんて何年ぶりだろうか?

 親を避けるようになってから、優衣菜はずっと自室で一人食事を取っていた。

 優衣菜の実親は母親の方で、父親は孝之の実親。


 引きこもり、不甲斐ない姿を見せてしまっている娘を恥じてか、母親は衝動的に優衣菜にキツイことを言ってしまった。

 父親はそんな優衣菜と母の間に入ってなんとか仲を取り持とうとしていたが、中年オヤジが若い女性にできることなどたかがしれている。

 けっきょくズルズルと親子不仲が続き、気がつけば優衣菜の世話係は孝之の担当となってしまっていた。


 食事の運搬。洗濯物の回収。おやつの買い出し。

 このぐらいはまぁ、なんとか辛抱できたが……辛かったのが生理用品の調達。

 母がいないときを見計らって『緊急』と称し買いに行かされた。

 まだ中学生だった孝之にとってそれは死ぬほどはずかしい指令だった。

 いまから思えば遊ばれていたのだが、それに気づく余裕もなく必死に要望に応えていた。しだいに孝之も根性がひねくれ曲がり、優衣菜に対する態度も徐々に荒々しくなっていったのは仕方がないことだと思う。


 ガチャガチャと食器を洗う音が聞こえてくる。

 多少乱暴だが、食器洗いくらいは何とかこなせるようだ。

 孝之は携帯をイジるふりをしながら様子をうかがっていた。

 やがて水の音が止まる。


 ――――カッチンコッチン、コッチンカッチン。


 時計の鳴る音が聞こえた。

 しばらくの静寂のあと、優衣菜が口を開いた。


「孝之~~」

「……なんだよ」


 ――――カッチンコッチン、コッチンカッチン。


「お、お風呂にぃ――――」

「お先にどうぞ!!」


 言い終わらぬうちに順番を先に譲る孝之。

 しかし優衣菜は怯まない。


「ううん、孝之が先に行ってぇ」

「いや、俺は後でいい」

「お姉ちゃんまだ洗い物が残ってて~~」

「完璧に終わってるから」

「み、見たいテレビがあって~~」

「なんだよ言ってみろよ」

「ど……ドレミファどんぶり湯けむり横丁の麻薬取締班24時」

「そんなモノねえ」

「つ、つかれたから一休みしたいなぁ~~」

「湯船でどうぞ」


 確固たる意志で後攻を譲ろうとしない孝之。

 優衣菜はどうしたものかとしばし考え、やがてニタリといやらしい笑いを浮かべると孝之の頬を突っつきにやってきた。


 つんつくつん。

 にや~~りといやらしく目を細める。


「な……なんだよ」

「孝之ったらぁ~~~~……。もしかしてぇ~~お姉ちゃんの残り汁狙ってるぅ?」

「汁って言うな、湯って言え!!」

「やっぱり狙ってるんだぁ~~」

「違うわ!! 否定より先にツッコミワードぶっ込まれただけだわ!! 誰が貴様のエキスなんぞ求めとるか!!」

「じゃあどうして後がいいのぉ? 17歳のぉ好奇心旺盛でぇ~~健康なぁ男の子おとぉこぉのぉこぉが~~二十歳ちょいの女の後にお風呂に入りたがるりゆ~~なんてぇ……お姉ちゃんほかに思いつかないんだけどなぁ~~~~」


 くねくねと、ウザさMAXで踊る優衣菜あほう


「え~~~~……どうしよっかなぁ~~お姉ちゃん……恥ずかしいけどぉ~~孝之がど・お・し・て・もって言うんなら……先に入って……出汁ダシ出してきてもいいかなぁ~~~~(*ノω・*)テヘ」

「わかった行くよ」


 額にメロンのような網目状の血管を浮き立たせ、孝之は立ち上がる。

 そしてドスドスと床を踏み鳴らしながら風呂場へと消えていった。





 そして5分後――――。


「やっぱり来やがったなこのやろう!!」

「あん、開けてよ~~孝之~~。恥ずかしがらないでぇ、一緒に入りましょうよう~~。洗いっこしましょうよう~~。マットも持ってきたのよぉ~~~~」


 ガタガタと扉を挟んで開け閉めの攻防を繰り広げる姉弟。

 絶対こうなるだろうと予想していた孝之はパンツだけは履いていた。

 しかし型板ガラスの向こうにぼやけて映る姉の格好は一糸まとわぬスッポンポン。


「てめぇ、なに考えてやがる!!」

「女の方から言わせないでよぅ。わかってるでしょ~~。大丈夫、愛は無いの。欲しいのは既成事実だけなの。後腐れないから。うっとおしくしないからぁ~~」

「してんだよいま!! 現在進行系で!!!!!」


 しばしのせめぎ合いの後。


 ドタバタガチャン――――どっぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!! 


 風呂道具が蹴り飛ばされる音と、湯船に叩きつけられるバックドロップの衝撃が家をゆらした。

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