第1話 優衣菜 降臨

 ――――ばたん。


「ああ……ぁあぁぁあぁぁぁ……嫌だっていってるのに……」


 無情に閉じられた玄関扉を涙目で見つめ、タイルへと崩れ落ちる孝之。

 なぜか外側から鍵をかけて去っていく両親。

 その音が地獄の始まりを告げる鐘に聞こえて、サッと血の気が引いていった。


 お土産にカランバー(フランスのキャラメル)を買ってくると約束してくれたが、その代償に、あの姉の面倒をみろとは……ブラック案件にもほどがある。


 ……それも一年間。


 ――――ムリムリムリムリ、絶対無理っ!!

 たった半日でもゲロを吐きそうになるのに一年など……無理を通り越して気が狂ってしまう。


 壁にかかった鏡に自分の姿が映っている。

 血が下がってゾンビのように灰色になった肌。

 眠れぬ日が続き、できた青黒い目のクマ。

 くすんだ目の輝きは、まるで死んだ魚のよう。


 ……見るに堪えないヤツレ顔。


 普段はわりとイケメンな孝之。

 身長も178センチといい感じ。

 スポーツ万能、成績優秀。

 性格も明るく社交的で、男女問わずみなに好かれている。


 だがいまは、そんな陽キャなようすなど微塵もなく、ただただ不安と絶望におびえた子羊に成り下がっていた。


 ――――カチャリ。


 二階から音が聞こえた。

 ドアノブが回された音である。

 どこの部屋かは言うまでもない。


 ミシ……ミシ……ミシ……ミシ。


 床を踏む音がゆっくりと大きくなっていく。

 それと合わせて、徐々に悪寒が強くなってくる。


 孝之は振り返ることもなく、その悪魔が奏でる足音を聞いていた。

 やがて階段の降り口で音色が止まると、


「た~~か~~ゆ~~~~きぃぃぃぃぃぃぃぃ~~~~……」


 幽霊か、妖怪か。

 地獄の底からにじみ湧くような声が、背中に絡みついた。


 はぁはぁはぁ……。

 恐怖で息が荒くなる。

 ゆっくりと振り返る。

 かもしだす黒いオーラが霧となって、視界をぼやけさせている。

 その奥にぼんやり見える姿は――――。


「怖い怖い怖い怖いっ!! なんだよ姉ちゃんその格好は!?」

「……え? ……だって今日は記念日だから……お姉ちゃん頑張って〝おめかし〟してきたのよ……?」


 真っ白な死装束にハチマキろうそく。

 長いストレートな黒髪はなぜかじっとり濡れて、手には五寸釘が刺さった藁人形と木槌が握られていた。


「そ、それのどこがおめかしだ!! 記念日ってなんだよ!??」

「帰ってくるな~~~~永遠に~~帰ってくるな~~~~」


 カン、カン、カン、カン。

 おもむろに『親』と書かれた藁人形を壁に打ち付けはじめる妖怪姉ちゃん。

 死装束の背中には朱色の筆書きで『人類滅亡』と書き殴られていた。


「やめろやめろ!! そんなもんで親の不帰を願うな縁起でもない!!!!」

「だって……あの人たち……私にいろいろ酷いこと言ったから……お別れ記念日……」

「言われるようなことしてるからだろ!??」


 孝之の姉――――優衣菜ゆいな


 22歳。彼氏なし。友達なし。職なし。資格なし。学歴なし。貯金なし。体力なし。根性なし。常識なし。希望なし。未来なし。生きる気力なし。社会への恨み爆ありの超社会不適合女である。


 かくして三笠家姉弟の、地獄の一年が幕を開けたのであった。




 ――――キッチンにて。


「だって、だって……お父さんお母さんあのひとたち……お姉ちゃんの顔を見るたび『働け』とか『資格取れ』とか『せめてお日様にあたれ』とか……ひどいことばかり言うのよ……よよよよよ~~……」

「なにもひどいことは言っていない、普通のことだ」


 朝食の準備をしながら孝之は大きなため息を吐いた。

 せめて今日くらい顔を見せてあげても良かっただろうに……。

 姉はここ半年ほど親と顔を合わせずに部屋に引きこもっていた。


「普通って? 何を基準に言ってるの? みんながしていることが普通なの? そんなのおかしくない? いまは多様性の社会なのよ? 普通とか常識とかそんなのパーソナリティの前には悪でしかないのよ。お姉ちゃんにとってはね『働く』とか『努力』とか『外に出る』ってことが他の人の何万倍も苦痛なの。それをね『普通』の一言で否定するってことはね。それはもう暴力なの。孝之はいまお姉ちゃんに暴力を振るったんだわ、ひどいわひどいわ!! お姉ちゃん悲しくて泣いちゃう、うわぁぁああぁぁっぁぁぁぁっっぁぁぁあぁぁぁぁんっ!!!!」

「うざ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い!!!!」


 ガチャン!! 

 焼けた目玉焼きをテーブルに叩きつける。

 トーストしたパンとマーマレード、ドレッシングのかかったサラダ、牛乳、ケチャップが衝撃で小躍りした。


「とにかく今日から一年間、父さん母さんいないから!! 俺も月曜あしたから学校行くから!! 姉ちゃんも自分のことは自分でしてくれよな!!」


「……自分のこと……とは?」

「だからぁ」


 いただきますを言わずにパクついているパンを指差し、

「飯の準備とか」


 死装束の下に見える色んなシミのついたヨレヨレの肌着を指差し、

「洗濯とか」


 食べこぼしが落ちているテーブルを指差し、

「掃除とか」


 油とケチャップだらけのお皿を指差し、

「後片付けだよっ!!」


 きっぱりと言い放つ。


 姉が家事をしている姿など、見たことはない。

 しかしこれから共に生活をしなければならない以上、未経験だとか、引きこもりだとか、そんな甘えを許すわけにはいかない。

 こういうのは最初の態度が肝心なんだ、と孝之は毅然な態度で姉を睨みつけた。


 優衣菜はしばらく口をへの字に曲げていたが、やがて何かを思いついたように手を打つと、


「わかった。じゃあお姉ちゃん一生懸命がんばるね♪」


 なにかを含んだような、いやらしい微笑みを弟に返した。



 ※ 優衣菜のイメージ(AIイラスト)はコチラです。

  よかったら見てあげてください。

  https://kakuyomu.jp/users/kinnkinnta/news/16817330660099594508

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