第19話 疑惑
失態の上、醜態まで晒した。
その上に失策も重ねている。
それに気づいたのは翌朝になってからだ。
鞄にあるはずのタブレットがなくなっている。
恐らくはあのワインバーにあるはずだろうが。
或いはこの隣に寝ている女に奪われたのかも。
そうだとすればどこまでが虚偽でどこまでが事実であるのか、それが判然とはしない。昨晩はどうかしていた。
そうだ。
おれは常に壁を背にして座るように訓練を受けていた。
あの小部屋でワインバーを見渡す大窓を背に座った。その窓はFIX窓で開閉はできない、つまり壁であることを知っていたからだ。
背中を守ることは習慣になっていたが、この女の肉体に溺れかけた。円卓を超えて無防備な脇腹を戸口に向けてしまった。そこに恐らくスタンガンだろう。
早朝に覚醒してシャワーを使うと、脇腹に青紫色の内出血があった。
乳房に対して執着してしまう己の性癖を恥じるが、それでは済まない。タブレットを回収しなければ、職ですら失いかねない。
「おはよう」と丁寧さを欠いた声と共に、脚で小突いてきた。
おはようと返したが、複雑な感情が湧いた。シャワーを使う時に性器を確認したが、性交渉は行ってはいないようだ。そもそもそんな体調ではなかった。
朧な記憶にあるのは、この女に縋るように肩を借りてエレベータを使い、そのまま通りにあるホテルに入ったことだ。部屋に辿り着いた安心感で膝が笑い、ベッドの海に倒れ込んだ。
「はい」と呆気なく彼女がタブレットを渡してきた。
笑顔に、彼女面という風味が練り込まれている。
多少は逡巡があったが、受け取って背を向けた。
「ありがとう、仕事で使っているんだ」と背中越しに早口で答えた。
指紋認証で掌の静脈認証カメラが起動する。それに虹彩の認証をしないと起動しない。
ASURAというOSがある。
OSの世界基準であるBasicを利用していない日本独特のプログラムだ。今や官公庁と金融業界ではこのASURAを主に使っている。
その契機となったのはあの世界大戦での電子データの大量喪失事件が関わっている。それでどれほどの電子貨幣が霧散したことか、被害額は算定もされていない。日本銀行券ですら会計データ上の数値は消え去った。消し飛んだ企業も星の海ほどある。
ASURAは漢字でかくと阿修羅となる。
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