第30話 モヤの中でさよなら

 ビルは囲いにおおわれてはいるけれど、それでも囲いの隙間から差し込む日が弱くなってきているのが分かる。

 元から薄暗かったが、ビルの内と外の明るさに差がなくなってきているらしい。


 まあ、あたしの視界が暗くなってるだけかもしれないから、本当に外が暗くなっているのか自信はないんだけど。

 太ももから膝裏ひざうらにかけて流れ落ち続けている血のせいで、血が足りない感覚がある。

 一瞬視界が揺れては戻るっていうのを繰り返してる。


 あははセーリの血とはやっぱり臭いが違うよねえ。

 下半身から立ち昇ってくるのは一緒なのにねえ。

 だめだ思考がもうまとまらない。わけもなく面白くなったと思ったら、脱力がくる。

 

 戴天の言葉が衝撃的だっていうのうは分かるんだけど、内容が入ってこない。

 会話は、アッキちゃんに任せよう。


「え、海の事故で死んだんじゃないの? 黄泉返り人を作るために、殺すなんてことが、」


 アッキが驚きの声をあげる。

 その言葉は否定のひびきを持っていた。

 

「倫理的に許されるとか許されないとか、そんな話はしないで欲しいね。特に、黄泉返り人のあんたには言われたくない」


「あたしはあたしの存在をずっと疑ってる。だからこそ、黄泉返り人が素晴らしいなんていうイメージをふりまくための偶像なんて、まっぴらだよ。殺しが許される世界があってたまるかよ」

 

「黄泉返らせる前提なんだから、殺しは殺しじゃない、ってのが教団の考え。私もそれを受け入れた。妹もね。でも殺される私より、殺されるのを見ているしかない妹の方が辛そうだったけど。そしてドーマンの術で黄泉返った私は、完全な黄泉返り人になる儀式をする。あの儀式はね、素敵だった。毒虫ちゃんの生をアッキに捧げたいっていうならね、たまんなく気持ちいいよ。セックスなんか目じゃないくらいにね、だって……」


 カツン……!


 戴天がとうとう儀式の内容について語ろうとしたときだ。

 あたしの手から、ドライバーが滑り落ちた。背中の傷も合わせて、あたしの体は血を失いすぎた。指に力が入らなくなったのだ。


「もえ、その血、何したの!? 刺したの!?」


「だって、こうでもしないと、あたし……眠りそうだった……」


 膝から崩れ落ちるあたしを、アッキちゃんが脇から支えてくれる。


「あら、ポチもお疲れみたい。起きなさい! ポチ!」


 肩に頭をもたれさせて眠りにつきそうになっていたポチに、戴天は気付いてしまった。

 顔を平手で何度も打つ音が聞こえる。


「アウゥ、ワ……ワオン! オォン!」

 

 ポチが、目を覚ましてしまった。


「ポチ、二歩左に動きなさい。そこから真っ直ぐ、走りなさい。ターゲットに体の一部でも触れたら、引き倒してそのまま腕で押さえつけるのよ。いいわね」


 目の見えないポチに代わって戴天がスタート位置を指示する。ポチが構える。

 かろうじて支え合う私たちとポチの間に、直線のコースが見える気がする。

 このままでは、つかまえられてしまう。

 

「ゴー!」


 戴天の声が響く。

 ポチが走り出す。式神の力を宿した脚は、丸太みたいに太い。皮膚表面には、絡まり合うミミズみたいな血管が浮かんでいる。

 考えている暇は無かった。

 腕が、迫る。

 

「来るなバカ犬ぅううううぅ!!」


 叫び声とともに、毒蛾がポチとあたし達の上に大量の紫の粉を降らせる。

 今までで一番の鱗粉の量。まるで紫のモヤのなかにいるみたいに、隣のアッキちゃんの顔も見えない。


「アッキちゃん、ごめん!」


 叫ぶ口から鱗粉が入ったらしく、喉が腫れ上がる。

 呼吸が出来ない。

 あたしは、支えてくれていたアッキちゃんの手に噛み付いた。


「キャア!!」

 

 痛みに悲鳴を上げたアッキちゃんの手が離れる。その瞬間を狙って、思い切り突き飛ばす。


「飛んで!!!!」


 毒蛾たちが一斉いっせいにアッキちゃんの方に移動する。紫の鱗粉が作るモヤが、道のようにアッキちゃんをフロアの端――というより、フロアの床が消えるところ――に誘導する。

 ここは二階。

 アッキちゃんは、二階から飛び降りるような遊びはしたことがある。


 ほら、人が飛び降りる音がした。アッキちゃんなら、大丈夫。


 ポチは毒蛾の鱗粉にまたも皮膚を焼かれて、悶絶もんぜつしている。

 あたしも同じ状況なわけだけど、体力が限界すぎて、痒さはどこか他人事だ。

 それよりも喉の腫れから来る呼吸器の腫れが、問題かもしれない。


 別にあたしは倒れて、死んだっていいのだ。

 あたしとアッキちゃんがセットにならなければ、儀式は出来ないようだから。

 アッキちゃんを、セーマン派の道具になんてさせない。


 トモカヅキ候補のあたしが死ねば、教団はまたトモカヅキ探しから初めないといけない。

 でも、セーマン派の思惑おもわくを知ったアッキちゃんが、これから先に簡単に他人に心を開くことはなくなるだろう。


 だからあたしが死んだって、これはあたしの勝利。

 アッキちゃんはあたしだけのアッキちゃんのままだからだ。


 そんなことを考えながら、あたしは意識を手放した。


 ポチの狂ったような鳴き声が、最後まで耳障みみざわりだった。

 

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