第29話 星

 アッキちゃんの言葉には同意だ。戴天たいてんは狂ってる。

 これ以上、戴天の話を聞いているとこちらまで狂いに引き込まれそうになる。

 でも、このままではポチに勝てない。接近戦でポチと戦うことになったら、毒蛾を自在に使うわけにはいかない。自分で出した式神の鱗粉で、自分までダメージを受けてしまうから。


 それに、大量の毒蛾を出したことで、重い倦怠感けんたいかんが遠くから迫ってきている気配がした。

 逃れようのない眠気に追いつかれる前に、策を考えなくては……。

 

 それに、分からない言葉がたくさん出てきている。トモカヅキ? エトワール

 戴天から話を引き出す――それも出来るだけ早くだ――ことで、活路が見いだせるかもしれない。というか、それしか道はない。

 ポチは、フリスビーが投げられるのを待つ犬みたいに、ソワソワと落ち着かない。

「ゴー」の号令がかかって即、こちらに向かって駆け出してくるだろう。


「あー、あの、戴天? あたし達にもう逃げ場は無いってことは分かった。変に暴れて痛い思いしたくないし。だから犬は大人しくさせておいてよ。それよりさ、完全な黄泉返り人になるってどんな感じ? なにをしたの? 結構苦労したんじゃない?」


 降参、というように両手を広げて戴天に語りかけてみる。


「もえ、どうしたの? 逃げようよ一緒に」

「……シッ、大丈夫。あたしに合わせて」


 目配せをして、小声でアッキちゃんに答える。

 アッキちゃんは、軽く瞳を揺らしたあと、細く息を吐く。


「……わかった、信じるよ」


 そっと、指先が触れた。

 指先だけを絡ませ合うようにして、あたし達は手を繋ぐ。


「なにを企んでるの? 大人しくさらわれるタマじゃないでしょ?」


「でも、あたしの式神じゃ勝ち目がないもん。腕や脚を折られるのもイヤだし、どうやって逃げ出したらいいのかも分からない。しゃくだけどさ、降参ってわけ。でもせめて、アッキちゃんとあたしがこれからくらいは先に知っておきたいよ。ね、アッキちゃんもそれでいいよね?」


「……戴天の話を聞いてから、考える。あたしも、もえが傷つくのは見たくない」


 アッキちゃんが話を合わせてくれた。

 どうか、ヘドロのような眠気があたしをおおいつくす前に、状況を打破する道を見つけられますように。


「考える。ハッ! 考えるう? アッキはまだそんなこと言ってるの? 選べる立場だと思ってるの、この状況で。 あなたは完全な黄泉返り人になってエトワールの責を務めるの。それしか道は無いの。そう決めたんだから」


「なにを、」


 アッキちゃんが言いかけるのを、繋いだ指先を強く握って止める。

 代わりに、あたしが言葉をつなぐ。


「そのエトワールってなに? それが教団の広告塔なの? どうして戴天はなりたくないの? なんでアッキちゃんなの?」


 矢継早やつぎばやにたずねるあたしに、戴天はあきれた視線を向けた。

 

「さっきも言ったはずだけど、聞いてなかった? あたしはお人形さんじゃなくて幹部になりたいわけ。それだけの能力があるから。でも、エトワールにするために育てられたから、代わりをさっさと見つけないといけない。そこで見つけたのがアッキってわけ」


エトワールにするために育てられたって、どういうこと? 完全な黄泉返り人になるのに、戴天はどうして同意したの? どうやって、完全な黄泉返り人になったの? さっきから言ってる『トモカヅキ』っていうのが関係してるの? あたしはどうしてトモカヅキにふさわしいの? 教えてよ、あたし達がこれから何をさせられるのか」


「それを聞いたら、毒虫ちゃんは腕の一本二本無くなっても逃げたいと思うかもしれないから、ダメ」


 戴天がいたずらっぽく、桃色の唇に人差し指をあてて言う。

 でも、ティントリップで染められたであろうその唇は、指なんかじゃ抑えきれないくらに喋りたそうだった。

 ちょっとつつけば、いくらでも語ってくれそうだ。

 

 気づけば、戴天のかたわらで、ポチは腫らしたまぶたを掻きむしりながら、おとなしく「待て」をしていた。まだ警戒は解けないけれど、戴天の意識を会話に引きとめておけば、ひとまずは襲ってこなさそうだ。

 今のうちに少しでも、戴天に隙を作って、逃げる道を探らなくちゃ。


「そんな冷たいこと言わないで、教えて欲しいんだけど。ねえ戴天。あたしね、アッキちゃんはほかに幸せになる道があるような気がしてるの。だからあたしの命、一生をかけてアッキちゃんを推すって、アッキちゃんには伝えてる。推すのは、アイドルとしてのアッキちゃんだけじゃない、存在としてのアッキちゃんを推す。エトワールってアイドルみたいなものなの?」


「うーん、まあ、そうだね。偶像って意味なら一緒じゃない? アイドルって私はしょうに合わないのが分かってたから、Sin-sでは【怠惰】で行くって#name#に言ったけど。それより毒虫ちゃん、いいね、いいトモカヅキになれるよ。生をささげて推しに貢献こうけん出来るんだから。それにもう毒虫ちゃんはアッキと命の共振が始まってる、トモカヅキの引力は黄泉返り人に強く影響する。この前の新月の大潮の日、アッキの揺り戻しが強く起こったとき、毒虫ちゃんはどんな状態だった? それが共振だよ」


「待ってよ! それってもえが死ぬってこと? 儀式で、殺されるの? 戴天は……あんたは、完全な黄泉返り人になるために?」


 アッキちゃんの言葉に、戴天はほんの一瞬、表情を曇らせたように見えた。

 あたしは、というと、一生をかけて推す、アッキちゃんを生かす、という道について考えていた。戴天の語る儀式によっては、あるいは、あたしはトモカヅキというものになるのを受け入れてしまうのだろうか。

 眠気が迫ってきていて、頭が回らない。

 気を抜くと、まぶたの重みを意識してしまいそうになる。


 目の周りに力を入れて、ぐらぐらする頭を両手で支えながら、あたしは戴天の語りを待った。

 戴天の桃色の唇からつむがれたのは、恐ろしい話だった。



「私のトモカヅキは、妹。一歳下で、すごく可愛くて、大切だった。お互いにお互いが世界一大好きで大事だった。妹は死んだわけじゃない。確かに、トモカヅキは儀式のあとに、目に見える存在としては消える。でもずっと私の中にいる。私の完全性をつくるコアとして、いてくれている」


 そこで戴天は一旦、言葉を区切った。胸に手をあてて、確かめるように息を吸って、吐く。

 後ろに寄り添うポチが、戴天のつむじのあたりに鼻を埋める。その顔は腫れ上がっていて、表情はうかがえないけれど、心配しているみたいだった。


かづく側とかづかれる側、お互いの心が本当に通じ合っていないと、体だけ合わせても術は成功しない。その点で私たち姉妹はぴったりだった。教団があたしたち姉妹をとき、次のエトワールを探していた。完全な黄泉返り人だって、正確には全く死なないわけじゃない。不老というわけではないからね。老いて体が自然に朽ちるまでは死ねないってだけで、そんなことに気付かれたら色々と不都合でしょ。不死に夢をみて出資する人間には、美しい偶像が夢を見せ続けないと」


「買った……? 戴天は買われたの? 妹と一緒に? そんなの人身売買じゃん、信じられない!」


 アッキちゃんの声が遠くで聞こえる。おかしいな、すぐ隣に居るはずなのに。

 水のなかみたいに、音がぼわぼわする。世界が傾く。

 でも、あたしがこれだけ眠いってことは、ポチだって疲れてるはずなんだ。

 事実、戴天のつむじに鼻を埋めているポチは、少しずつ傾いてきているみたいに見える。


 もう少し、時間を稼げたら――あたしの意識が持てば――。

 手の中のドライバーを逆手に握り直す。アッキちゃんが立っているのと反対側の太ももの後ろに、持っていく。

 グッと押し込むと、皮膚を突き破る前に手が震えて止まってしまう。

 肩から背中にかけて切りつけられたあとが、ひりひりと痛む。


 鋭利な刃物でこの痛みなんだから、太いドライバーなんか突き刺したら――。

 イヤな想像を振り払うように頭を振ると、もう一度ドライバーの先を当て直す。

 思い切り、太もものうらに、突き刺す――!

 

「ッ……くぅ……」


 苦悶くもんのうめきを漏らさないよう、歯を食いしばった。


「人身売買か。そうだよ。でもずっと家にいても、どこかで親に殺されるか、殺すかはしていただろうね。だから拾われてラッキーくらいに思ってた。教団の人たちはみんな、それまで出会った大人のなかで一番あたたかくて、親切で、善良だった。私と妹の仲がいいことを、素晴らしいことだって言ってくれた。本当に私達姉妹を迎えることが出来て嬉しいんだって言ってくれた。身体検査は毎日あって、少しでも体調が悪いとすぐにお医者さんに診せてくれた。……私たちがそうして過ごしている間、どっちを黄泉返り人にして、どっちをトモカヅキにするかの審議がずっと行われていたなんて、初めに知ったときはショックだったけどね。でも、教団に恩を返せるならいい、って妹が言ったの。そして私達は儀式を受け入れることにした」


 血が噴き出してスカートのすそが重くなっていく。

 その代わりに、あたしの眠気は多少軽くなった。交感神経? ってやつがビシバシ活動しているってわけ。


 ポチの傾きが大きくなっていることに、戴天はまだ気付いていないみたいだ。

 もう少しだ。


「……じゃあ、戴天は一回わざと死んで、ドーマンの術で黄泉返ったってこと?」

 

「そうだよ、エトワール候補に決まった朝に、私は殺された」


 あたしの問いかけに戴天が答える。

 ポチは、完全に戴天の肩に頭を預けはじめていた。

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