わたのはなしべひらく

第31話 病室

 目を覚ますと、カーテンに区切られた空間にいた。


 清潔なシーツを張られた、薄いマットレスを敷いたベッドに横たわっている。

 少し頭を持ち上げただけでは、それ以上の周りの情報は得られなさそうだった。包帯におおわれた視界が狭いのだ。

 顔に巻かれた包帯に滲出液しんしゅつえきが染みて、ぱりぱりに固まっている。生臭い、いやな臭いがする。


 あたしは、肘をつかって上半身を起こそうとしてみた。

 すると、あらゆるところがきしむ感じがする。どれだけ眠っていたのか分からないけど、ずっと仰向けに寝ていたらしい体の悲鳴だ。

 体を起こして、自分の腕を見た。寝相の良い方ではないあたしが、ずっと仰向けで眠っていられた理由が分かった。

 点滴の管が腕から伸びている。太い針の先が手首の内側に固定されて、テープで巻かれている。

 腕も、点滴が刺されているところ以外は、包帯で処置をされている。こちらにも滲出液がにじんでいて、自分の腕ながら気持ち悪い。


 消毒液のにおいがする。せわしなく行き来するサンダルの足音も、意識をクリアにしてみれば、さきほどからずっとフロアに響いていた。

 疑いようもなく、ここは医療施設だ。


 助かった、ってことでいいのだろうか。

 アッキちゃんは、ちゃんと逃げられたのかな……。


 そんなことを考えながらあたしが身じろぎするたびに、シーツと、入院着だろうか、前合わせの上着とハーフパンツの、薄いピンク色の作務衣さむえみたいな服がさりさりと鳴る。その音が響くくらい、病室は静まり返っていた。

 そうっとカーテンを引いて隣のベッドを見てみる。空だ。

 息の音ひとつしない。

 部屋のなかにいくつベッドがあるのか知らないけれど、あたししか居ないだろうっていうのは予想がつく。


 ここはどこの、何という病院なんだろう。親は、学校は、どうなっているんだろう。

 だんだんと不安になって来たあたしは、ナースコールを探す。病院の枕元には、通常はナースコールがあるはずだ。

 しかしナースコールらしきものは見当たらなかった。


 そのとき、先程あけたのと逆側のカーテンに、光がにじんでいるのが目に入った。

 窓があるのかもしれない。針の刺さっていない方の手を伸ばしてみても、そちらがわのカーテンはベッドから降りないと届かなさそうだ。

 針を刺したまま立ち上がっていいのか分からないけれど、このまま頭にハテナを浮かべたままではいられない。

 ベッドの柵に手をかけて、脚をおろして、ひえた床を足裏に感じる。

 立とうというところで、人形みたいにかくん、と膝が落ちた。体力が落ちているみたいだ。

 

 とっさにつかんだカーテンが、カーテンレールから外れる。パキンパキンと、カーテンフックがもろく割れる音がする。うえから白いプラスチック製のカーテンフックが降ってくる。

 

 血管から針が抜けて、テープに血が滲む。点滴の機械がビィー! ビィー! と警告音を出す。

 腕を新鮮な痛みにおそわれたことで、かえって、包帯に巻かれている部分の皮膚に、微弱の痛みとしびれがあったことに気がついた。

 なんとなくダルいとは思っていたけど、これは痛みだったんだ……。

 

 今まで遠くで行き来していたサンダルの音が、一直線にこちらに向かってくる。

 点滴を直すにしたって、こんなに鬼気迫る足音になるかってくらい。めちゃくちゃ走ってるなあ。


「目を覚ましたのですね!?」


 息せき切って、あたしの足側のカーテンを引いて入ってきたのはパンツスタイルの白衣を着た看護師だった。

 普通の看護師と変らないけれど、襟には五芒星のピンを付けている。


「あた、し……こ、……」


 看護師に話しかけようとするが、声がでない。


「もえ様、急に動いては危ないですよ」


 様付けといい、五芒星といい、どうやらここはセーマン教団の医療施設らしい。

 

「ここにはいい医師も揃っておりますし、オノレもお世話させていただきます。きっと元の肌にもどして差し上げますよ」

 

 看護師の年齢は20代前半くらいだろうか。ブルーグレーのロングヘアをそっけなく一つに結んでいて、背は女の人としては高いけど男の人としては低い。声も中性的だ、話し方からも、性別はうかがえない。

 分かるのはこいつがセーマンの信者だってことだけ。

 

「て、ん、てき」

 

「点滴ですか? ステロイドです。強力な抗炎症作用がありますので、もう少ししたら患部も良くなるでしょう。喉の腫れも引けば話しやすくなりますから、それまで無理はなさらないことです。大切な体なのですから」


 あたしの腕の針を直しながら、看護師が言う。

 ついでに包帯の状態をチェックして、「取り替えましょう」と言った。カーテンフックが壊れて、布にひきずるようになったカーテンの横から看護師が出ていこうとして、足を止めた。


「逃げようとは思わないことですよ」


 振り向いた看護師の後ろにのぞく窓には、鉄の格子がかけられていた。

 自分の状況をさとって、あたしはひとまず、おとなしい患者としてふるまうことにした。




 

 目を覚ましてから、十日間が経とうとしていた。

 包帯はとっくに取れていて、点滴も一昨日外された。

 このままだと体がなまる、と訴えて、病室内は歩くことを許された。

 軟禁状態というやつだ。でもアッキちゃんさえ逃げてくれていれば、セーマンの奴らは何もできない。


 

 一度、戴天たいてんがお見舞いにきた。

 ご丁寧に五芒星のヘアピンなんか持って、イヤな奴だ。二つも置いていきやがって。

 ポチは一般の医療機関にかかっているとかで、あたしよりも症状が重いらしいけど、そんなことは知ったことじゃない。

「よくもポチの顔を変えてくれたわね」なんて言っていたけれど、怪我をさせたくないなら家に繋いでおけばいいのだ。ポチにはあたし達だって痛い目に合わされている。

 大人しく機を待つことに決めたあたしは、何も言い返さないで、点滴が落ちるのを見つめていた。

 

 

 さてどうしようか、なんて考えながら、今日も病室をぐるぐる歩き回る。

 運動不足解消もあるけど、窓の外の景色をすこしでも見るためでもある。

 病室の外の廊下では相変わらず複数の足音がせわしなく行き来している。でもあたしが会ったことのある看護師は、目を覚ましたときに話したあいつだけだ。


 大きなあくびを一つする。ステロイド点滴の副作用なのか、点滴が外れるまではよく眠れなかった。

 その名残りで、今も睡眠時間が乱れている。

 肌は回復して、目の腫れが癒えたのは正直嬉しい。

 

 肌は一皮むけたかのような人工的なつるりとした肌に変わっていた。

 

 鉄の柵の隙間から見える景色は一面の山。換気のために細く開けられた隙間から吹いてくる風からは、土の香りしかしない。少なくとも、海の近くではないということ。

 なにげなくブラインドの後ろをのぞくと、今日も赤い蝶が張り付いている。

 これはあたしが目を覚ましてから、式神である毒蛾を放って呼び寄せたもの。

 舞火の式神は、対象にひっついて場所を追うことしか出来ないけど、あたしの式神は想像した対象のところに現れることが出来る。

 あとは仲良く飛んでくればいいってわけ。

 

 舞火の式神赤い蝶が誘いに乗ってくるってことは、戴天はマキ論にあたしの場所を教えていないってことだ。

 どうやらあの二人は本当に仲が良くないらしい。そして、あたし――アッキちゃんのトモカヅキ候補――をどうしても手に入れておきたいものらしい。

 アッキちゃんとあたしを揃えて、あたらしいエトワールを作る。それが教団としての目的だけど、マキ論と戴天はそれを自分の手柄にしたくて、争っている……?

 

 部屋に看護師が入ってきて、扉が閉まると同時に鍵がかかる。コード入力式の扉は、あたしでは開けられない。


「食器を下げに参りました。ついでに、昼の検温も」

 

「ねえオノレ、今日の夜ご飯は何?」


「昼を食べたばかりでもう夕食の話ですか? それに、オノレの名前はオノレではありません。看護師とでも呼んでください」


「ええー、それってなんだか距離が遠い感じがする。オノレの方が呼びやすい。毎日こんなところに閉じ込められて、ご飯しか楽しみがないんだもん。おしゃべりする相手くらい欲しいよ」


「おしゃべりしても構いませんが、質問には答えられませんよ」


「それなんだよなあ、つまんない。せっかく肌が治ったのに、メイクもできないし。メイクしたいって言ったのに、また忘れてきたでしょ」


「そうでしたっけ?」


「すぐ忘れる。まともに聞いてないんだ」


 そう言ってふくれてみせると、オノレは困ったように笑った。


「こちらのピンをつけたらいかがですか? せっかく詞子のりこ様がお持ち下さったのですから」


 サイドテーブルに置きっぱなしにしていた五芒星のヘアピンを指して、オノレが言う。

 詞子のりこ? と聞きかけて、飲み込んだ。おそらくは戴天のことを言っているんだろうし、あたしが戴天の名前を知らなかったってことを、オノレは知らない。

 

「まあ、気が向いたら付けるよ」 

 

 そんな風に答えて、ピンをサイドテーブルに戻してもらう。


「それよりも、アッキちゃんはまだ見つからないの? 早く会って、一つになりたいのに」


「何度も申し上げますが、それには答えられません」


 オノレのその返答で、まだアッキちゃんが捕まっていないらしいと予想がつく。

 いまいち眠気が晴れない頭で、それでも考える。

 戴天に見つからない場所。それは一つしか無いんじゃないか。


「そういえば、仰っていたのはこちらですか?」


 そう言ってオノレが取り出したのは、黒歴史の思い出も深い、紫色のインクのペン。

 着ていた服と一緒に、持ち物も全部とり上げられていたあたしが、せめてアッキちゃんの思い出につながるペンだけは返して欲しいと訴えていたものだ。


「あ! これこれ! ありがと、オノレ! こっちはちゃんと覚えていてくれたんだね」


 ペンを受け取って、入院着の胸ポケットに刺しながら、お礼を言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る