第23話 背中にサイン
布団のうえに座って、あたし達は向かい合っていた。
網戸もない窓を開けて、焼け石にぬるま湯という感じの風を入れる。
「……状況証拠から言ってもさ、マキ論は完全にクロじゃない? メンバーのこと言ってごめんだけど」
目を合わせていられなくて、くたびれた布団に視線を落とす。
「それは、そうだろうね」
そう答えたアッキちゃんが、布団の上であたしの手を握った。
ここまではまだ、アッキちゃんも想定の範囲内だろう。でも、これから続ける言葉は、ショックを与えてしまうかもしれない。
「まだ引っかかってることがあるんだけど、言っていい? 多分、アッキちゃんを傷つけることなんだけど」
あたしの手をつかむアッキちゃんの指から、力が抜ける。
迷うみたいにして、あたしの手の甲を爪の先で軽くくすぐる。
「マキ論はあまりにも
「それが誰かわかってるみたいな言い方だね」
「念のために確認するから、答えてね。アッキちゃんの部屋をもともと知っていたのは、あたし以外に誰?」
「ええと、
「ほかには?」
「知らないよ。
「ごめんごめん、勝手に顔に出ちゃうんだって」
変な沈黙が、ふたりの間を通りすぎて行った。
気がつくと、窓の外の空が
開いた窓から、普通の小さな白い蛾が迷い込んできた。
「――ちなみに、これは嫉妬からじゃないんだけど、戴天はアッキちゃんの部屋知りたがったりした?」
ああ、話が核心に近づいてしまう。あたしの緊張はきっと、ゆるく繋がった手から伝わってしまう。
これからする話で、アッキちゃんはきっと傷つく。
「ふふ、ほんとに嫉妬じゃないの? 戴天はあのとおりなにもやる気ない子だから、一回断ったら『あ、そう』って感じだよ。
なるほど……。
「スタッフはどうなの?」
スタッフまで疑いの目を広げるとキリがないけど、出来ればあたしの仮説は外れて欲しいって気持ちでたずねた。
「スタッフはもちろん部屋なんか知らないよ。#name#以外の運営は入れ替わり激しいから。運営はほとんどあの子が全部やってる」
「そっか……、入れ替わりが激しいならスタッフは無関係の線が濃い、かな。そうなると、あたしは、これから嫌な推測を言わないといけない。ポッと現れたあたしが、アッキちゃんの大切な人を、疑うようなことを言うかもしれない……そうなってもあたしを、嫌わないでくれる?」
アッキちゃんが、ゆっくりと
細い骨と太い血管、あとなんか……筋? よくわからないけど急所に触れられているっていうのは、ドキドキする。
「試すようなことを言ってごめんね。でも、嫌われたくないから」
「試し行為はあたしの特権だと思ってた」
ふふ、と笑ったアッキちゃんが肩をすくめる。
それから、あたしの言葉の先をうながすような目線を送ってきた。
喉が
唾を飲み下す。唇をなめて、しおれていた唇を潤わせる。
「じゃ、もう一回整理するね」
そこまで言ったときだった。
部屋の扉が軋んだ音をたてて開いた。
音とほぼ同時に、部屋の電気がついて、あたし達は眩しさに目を細める。
「ただいま〜! あ、彼女ちゃん起きてる! 大丈夫?」
お人形みたいな栗色の髪が、毛先まで栄養たっぷりという感じで揺れる。
垂れ気味の丸い目に、存在感のほとんどない小さな鼻。ぽってりした唇は苺みたいな色に染まっている。
そんなザ・男ウケ、戴天が部屋の入り口に居た。
「え、あ、え?」
口をパクパクさせているあたしを見て小さく笑うと、戴天は玄関を入ってすぐのところに買い物袋を放った。
「ごめん、もえ。一人で運べなくて、リリィのババアも店は抜けらんないから、戴天に手伝ってもらった」
「そうそう。ちょうど近くで彼氏とカラオケしてたところなんだ。まだ時間40分は残ってたけど、アッキが困ってるならなんでもないよー」
「救急車を呼ぶって発想はなかったんですね」
運んでもらっておいて、われながら失礼な返しだと思う。
戴天は気分を害したようすもなく、ビニール袋をがさがさとかき回してスポーツ飲料を取り出してこちらに転がしてきた。
ボトルについた水滴が
「今思うとおかしいよねー。でもアッキは、運ばなきゃ運ばなきゃしか言わないし、私も焦ってたのかも。普通に考えたら救急車だよね」
布団の
念のため、キャップが未開封であることを確認して、あたしはドリンクに口をつけた。
「で、なんの話してたの? 布団の上で向かい合っちゃって。もしかして、お邪魔?」
「そんなことな、」
「そうなんですよ〜。戴天ちゃん来るって知らなかったから、ちょっといい雰囲気になっちゃってました!」
否定しようとするアッキちゃんの言葉に割り込んで答える。
いかにもこれからイチャイチャしようとしていました、って感じでアッキちゃんに抱きついた。
「ちょ、もえ、どしたの?」
「なに照れてんの〜? あたし達が仲良しなのは、戴天ちゃんも知ってるみたいだしいいじゃん」
そう言いながら、そっと、アッキちゃんの背中に指でサインを描く。
気づいて。
話をあわせて。
アッキちゃんの瞳が揺れる。
冷たい指先であたしの膝にふれたのは、きっと了解の合図だろう。
サインが伝わったのだ。
「……ごめん戴天、そういうわけで、もえも大丈夫そうだし、帰ってもらって大丈夫だよ」
「ええー! こっちは彼氏置いてきてんのにこの扱い? ま、いいけど。じゃあね、仲良くね〜」
口では不平を言いながらも、戴天は意外なほどあっさりと引いた。
手を振って去る彼女の後を追うようにして、どこから入ったのだろう、赤い蝶がドアの隙間から出ていくのが見えた。
しいんとした部屋に、バチバチと嫌な音が響く。
見上げると、先程窓から入ってきていた白い小さな蛾が、部屋の電球に羽根をぶつけつづけていた。
落ちてきたらいやだなあと思って顎を上げたままでいると、顎のうらを、ツー、となぞる指がある。
「ふふ、くすぐったい、アッキちゃん」
「だって、さっきのあれ、何よ。なんで背中に……五芒星マークなんか書いたの?」
腕の中のアッキちゃんが、上目遣いに睨んでたずねてくる。
赤い瞳がゆらゆらとゆらめいていて、夕日をうけた海面みたいだ。
心細げなアッキちゃんは、かわいい。
「ねえ、戴天って、アッキちゃんの
白い、絹糸みたいな髪をなでる。まぶたに口づける。
ウィッグと黒コンで隠していない素のアッキちゃんを、戴天は初めて見たはずなのだ。
「どうだっけ、焦ってて、覚えてない……いつものウィッグも黒コンもしていないこと、あたし自身いままで忘れてたから」
「それがさっきの話の続きで、答えだと思うけどね」
あたしがそう言うと、アッキちゃんはよく分からないという顔をする。
バチン! と
白い小さな蛾が濡れた畳の上に落下していくのが見えた。
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