中層編1-5/ウル
「まぁ、そんなことに」
フタバはベッドの上でミヨウの話を聞きながら、未だ怒りが収まらないキューの頭を指で撫でていた。
ミヨウが服を買いに行ったと聞いて不必要なものまで買ってきてしまったらどうしましょう、と考えていたフタバであった。しかし、不必要なものどころか忘れがちな必須のものまで、しかも紙袋に入れて買ってきた。察しの良さや気配りはミヨウの美点ではあるが、この察しの良さはジャンルが違う。何者かの手が入っているのを察したフタバは、体調が落ち着いたらミヨウに問いただそうと心に決めた。片割れに謎の気配が近寄った。姉として見極めねばならぬ。
そんなフタバの決心など知る由もないミヨウは、フタバに小言を言われなかった事に少しだけ浮かれつつも、レイラに持たされた書類一式を見せていた。
「完全に囲われてたよ、姉さん」
「囲ってもらおうと動かなくとも、同じ結果になったのは良い事ね」
「姉さん?」
「あらやだ。うっかり心の声が」
うふふ、などと言っているがほんとに囲ってもらおうと思っては無いのをミヨウは知っていた。あまり周囲に迷惑をかけたくないし、かけられたくも無い。自分と、片割れと、少しの身内。それだけで完結できる状況を好ましく思っているのは言わなくても分かっている。その好ましい状況とは真反対の生活を最上層で送らされていたのだから、何故だか生き延びてしまった今、少し悪ふざけしたくなるのもよく分かる。
「本当に、運が良かったわ」
「……そうだね」
「あそこで使い倒されて死ぬより、知らない森の中で死ぬほうがよっぽどマシって思っていたけれど」
キューは、何かを察したのかフタバを見あげた。フタバはキューの頭を優しく撫で続けていた。
「こうして、逃げ延びて、少し落ち着くと」
「うん」
「やっぱり、生きてなにかしたいって、思ってしまうわね」
「……うん」
フタバの手元で、キューがひとつ鳴いた。
次の朝、フタバの熱はだいぶ下がっていたがここで無理をしても喘息が酷くなるだけだ、ともう一日留守番になったフタバ。本人は少しだけ悔しそうな顔をした後、にっこりと笑って外へ出ていくもの達を見送っていた。その笑い方に「……、外に出ないだけで大人しく寝る気ないな」とミヨウは肩を竦めた。
***
「んじゃ、とりあえず昨日と同じように朝の記入チェックと見送り頼む」
「はい」
「見回りから帰ってきたら、俺の苦手な作業を教える」
帳簿計算は心底苦手であると顔に書いてある青年を見送って、ミヨウは昨日と同じように次々とダンジョンへ入っていく冒険者達を見送った。やはりというか、ミヨウが挨拶と共に送り出すと皆一様にたじたじになってダンジョンへ入っていく。
これまでそんなに酷い扱いを受けていたのか、と疑問に思ったが元々ここにいたのは姿の見えない何かであった。あの青年も、いる時といない時があるようだったし、毎回ものが容赦無く飛んでくる可能性を考えると怯えるのも無理はない、のだろう。
癇癪をおこす法則が分かれば、また別の対応も取れるのだろうなぁ、とミヨウが考え込んでいるとド派手に扉が開いた。
「よぉ! ヌシ落ち着たかって、アレ……?知らん人だ」
「あ、えっと。おはようございます。ここで雇われることになったミヨウと言います」
思わず頭を下げそうになったが、中層ではあまりこういう習慣はないらしい。ただでさえ新顔なのに更に目立ってしまうのは、よろしくない。
こういう時、中層ではどうしているのだろう、と昨日の街の様子を思い出す間も無く、ミヨウの視界にはグローブをつけた手が差し出されていた。
「僕はウル。よろしくな!」
茶髪に頬の切り傷。騒がしい雰囲気を纏いつつも快活に笑う表情は、誰しもが思い描く冒険者の風体だった。ミヨウが真似をするように手を出し出せば、ウルはそれを自ら掴みにいった。いえーい、よろしくー! と力強く掴んだ手を上下する。なるほど、中層では握手がポピュラーなのか。納得しつつも、掴まれた手が痛い。
「で、みーくんよ」
「みーくん?」
「ミヨウくん、だろ? じゃあ、みーくんだ」
「みーくん……!」
初めて己につけられたあだ名へ擽ったさを覚えていれば、ウルは小屋の中を見渡して言った。
「スペクターの気配がないけど、あいつどこいったんだ?」
「詳しくは分からないんですけど、昨日おれが戻ってきた時には既に色んなものが飛び交ってて……」
確か、一昨日は来ないと青年へ書いて叩きつけて行ったはずなのだが、何故か昨日は小屋に来ていた。何か用事があったとしても、突然色んなものが飛び交っていたら状況把握も何も無い。ついでに、ポーションもマグも顔目掛けて飛んで来た事をウルへ伝えれば、けらけらと笑っていた。
「いきなり酷い時に当たったんだなぁ」
「あの、スペクター、……さんって」
「さん付けは嫌いみたいだから、やめといた方がいいぞ。インク壺飛ばされる」
「……スペクターって」
ミヨウが素早く「さん」付けを取り払った様子に、ウルは悪いことは言わないから呼び捨てにしとけ、と頷いていた。
「なんなんですか?」
「それは僕も聞きたいところなんだけど、僕が冒険者になった時にはもうここで雑に帳簿係やってたんだよね。ぽいぽいものを飛ばしながらさ」
ウルは勝手知ったる小屋の中、と言ったふうにカウンターの奥へ進み、マグやら茶葉やらポットやらを見つけ出すとお茶を入れ始めた。随分とここの事を知っているらしい。
「スペクターっていうのも、モンスターの種族名だし。正確には地縛霊とか怨霊とか。そういうものみたいなものだって、ラナが言ってた」
「怨霊……!?」
知らない人の名前が出たことは気になったが、怨霊という苦手な言葉が飛び出たことでミヨウはそれどころではなくなっていた。
「でも呼び名が無いと見えないし困るから、便宜上スペクターって呼んでるらしい。本人もそれなら反応するんだって」
本人がいるかどうかなんて、それこそものを飛ばすか氷点下の冷気を体感するしかない。そこで、青年は鈴を渡したのだという。
「そういえば、スペクターとすれ違った時に鈴の音が聞こえたような……」
「あぁ、多分それだ。肯定が一回、否定が二回。鈴を鳴らして簡単な意思疎通ができるようにしてあるそうだよ」
いつでも紙とペンがある訳じゃないからね、とウルは湯が沸いたポットの中に茶葉を入れた。
「筆談でやり取りは出来るけど、スペクターはあんまり筆談したがらない方でね。ほんとに言いたいことは筆談で主張してくるけど、それ以外はぜーんぶ鈴か投擲さ」
「そうなんですね……」
ミヨウは少し遠い目をした。職場の先輩が規格外。
「でも割と何とかなってるし、ここの担当がスペクターで助かってるところもあるんだよ」
「スペクターで、助かってること?」
「んー、見えないとビビるでしょ。ダンジョンに潜るような冒険者って基本的にオラついてるんだよね」
ダンジョンに行くには、それなりの戦闘能力と経験がギルドから認められないと入れない。故に分かりやすいステータスをもらって調子に乗っている冒険者は、この不気味な受付で一度頭が冷えるらしい。
「見えない受付って、どんなにオラついてても怖いでしょ」
勇んでダンジョンに入る手続きをしようと小屋に入れば、中は寒いし、ものは飛んでくるし、対応など雑の一言につきる。雑な対応が人間であれば怒りもするだろうが、相手は見えないが確かにここにいる何かである。ある意味、受付としては最適解なのだ。
「半分門番みたいな感じだよね。ついでに計算もできる門番」
「なるほど……」
「ちなみに、何故計算が得意なのか誰も知らない」
おばけが理系なイメージ無いから、面白いよね。と、ウルはマグへお茶をそそいだ。湯気がたつそれは、スペクターが居なくとも少し冷える小屋の中でより暖かそうに見えた。
「そういえば、入ってくる時に言ってたヌシ、というのは?」
ウルは、「ヌシ」を話題にしながら入ってきた。「ヌシ」という言葉は、昨日青年もスペクターに対し言っていた言葉である。ミヨウがウルに問えば、何から話したものか、とウルは頭をかいていた。
「ヌシってね、なんとなく字面から分かると思うけど貴重なんだ」
ウルはマグをミヨウへ差し出す。ミヨウがしっかり受け取ったのを確認すると、自ら入れたお茶に口をつけた。少し口の中を湿らせると、続きを話しだす。
「んで、貴重なものを持ってるけどめちゃくちゃ強いのね。正直、中層にいるやつらなんて歯が立たない」
「そんなに……」
「冒険者的には是非とも狩りたい相手なんだけど、ダンジョンとしてはヌシを守りたいのよ」
ダンジョンにいる生命の統括であるヌシ。森を見回り、弱きを導き、強きを諌め、命の循環を担う。通常、ヌシが冒険者に倒される事など万に一つもない。しかし、ヌシの交代時期だけは別なのだという。
「弱ったものから、新たにつよいものへ。自然の法則としては当然だけど、冒険者からしたらチャンスなんだ。ヌシを狩ってレアアイテムゲットして、名声と富を得る」
「でもその話だとヌシが死んだら、ダンジョンは大変なことに」
「その通り。強いやつは深層部から縄張り広くして、まともに素材なんて取れなくなっちゃうし、弱いやつはそれから逃げて群れる。でも群れっていうのは冒険者からしたらただの脅威だから、それはそれで危険性も上がる」
「そこまで分かっているなら、誰もヌシに手を出そうなんてしないんじゃ……」
ミヨウが問えば、ウルは大きく息を吐いた。
「みんながみんな、みーくんみたいに察しが良くないんだ。特に冒険者なんて、僕を含め脳筋が多いし。分かっていても、目先の欲には目が眩む」
「それで、あの人は今離れられないって言ったんですね」
「次のヌシ候補は決まってるみたいなんだけど、タイミング待ちって感じらしいよ。ここ三日が山場なんじゃないかって」
大変よねー、という感想だけ言って言いたいことは言い切ったらしく、ウルはお茶を楽しむモードになってしまった。
「あの、ウルさん」
「僕もさん付けはいらないかなぁ」
「えっと、……ウル、くん?」
「ウルくん」
ミヨウがみーくんと呼ばれたのでウルにも「くん」をつけた。だけなのだが、ウルはそう呼ばれたことを復唱すると目をぱちくりとさせていた。
「ダメでした……?」
「……いや、めちゃくちゃ新鮮な呼び方で驚いた。うん、いいね。たまにはこういうのもいいんじゃない?」
くふくふと嬉しそうに笑うウルに、ミヨウはほっと胸を撫で下ろす。
「で、このウルくんに何か聞きたいことが?」
「今日のご要件は何だったんですか?」
「あ、今日はダンジョンにね」
それなら入るお手続きを……、と続けるミヨウ。しかし途端にウルはマグを口に付けたまま固まった。ぽすぽすと、服のポケットを上から叩いては次のポケットの辺りを叩く。試しにマグを置いてジャンプもしてみた。特に不自然な音はしない。再びウルは固まった。
「……」
「ウルくん?」
「やば、ここに持ってくるもん忘れた」
さっと顔色を悪くするウルは、あわててまだ少し熱いお茶を無理やり飲み干す。バタバタと少ない荷物をまとめてマグを片付けると、バタンと戸を開けた。
「ごめん、また夕方前には顔出すわ! 書くことは分かってるから、みーくんがいなくても大丈夫だよ!」
「あ、はい……」
んじな、またね! と騒がしく出ていったウル。昨日、あの青年に槍を向けられてドタバタしていた騒がしい冒険者は彼だったらしい。ミヨウは一人で腑に落ち、手を叩いた。
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