第207話 愛情と情愛(2)

 かすみがグラウンドに浮かぶ影を見ている。銀色とも灰色とも言えぬ、見覚えのある色だ。だが、色で見なくとも、何者なのか霞はすぐに分かった。その影が放つオーラで霞の身体は、緊張でかたくなっていた。


(山の中で会って私を巫女だと見抜いた子。鎖を使って、陽向ひなたさんや実菜穂みなほさんまで相手にした強い子。そう、鎖の神様の巫女)


 身体を固くする霞に、シーナが優しく肩に手をかけてきた。


「ふーん、ここに閉鎖へいさの封印をしたのはあの子か。あの子、巫女としてまだ鉄鎖てっさの神に認められていないよ」

「えっ?」


 固まっていた霞の身体がピクッと動き、シーナを見た。


「まあ、察するところ。現役の巫女がいるってとこかな。何だろね、あの必死さは。とげがあるけど、まあ、嫌いじゃないよ」


 シーナはいつものように、何か含んだ笑みを浮かべている。こういう時のシーナは何か悪戯いたずらなこと、良く言えば計略的なことを考えている。いまとなっては、霞もシーナの表情を読み取ることができた。


 夕日の明かりの中に浮かぶ人影が、その姿を現した。城北門校じょうほくもんこうの制服をまとった少女が鎖を持っている。静南しずなである。霞にとっては忘れられない少女であった。


「あなた、霞でしょ。ここを一緒に出てもらうよ。返事は聞かないから」


 感情が読み取れない口調で、静南は霞を指さした。霞は、黙ったまま静南を見ていた。


(いきなり出て行けと言われても、訳わからないよ。私がここを出たら、陽向さんや実菜穂さんはどうなるの?)


「ごめんなさい。私、いまここを出るわけにはいかないよ。一緒には行けない」


 霞が首を振ると、静南の眼が鈍い光を放った。


「返事なんか聞いてない。どう足掻あがいても、連れ出すから。あなたが巫女でも抵抗するだけ無駄よ。あなたは私に従うしかない」


 両手から伸びた鎖が、静南をグルリと囲んだ。


「どうして私をここから連れ出そうとするの?」

「お前が理由を知る必要はない。いや、隼斗はやとを知っているだろう」


 霞がハッと表情を変え、静南を見た。静南の口元が初めて緩んだ。


「隼斗に会ったことあるの?」

「会った。すぐそこまで来ている。私について来れば、会わせてあげる」

「隼斗は何か言ってた?」

「霞に会いたいって言っていたよ。会わせてくれと頼まれた」


 静南が霞を誘い込むように瞳を光らせる。一種の催眠状態さいみんじょうたいにしていた。鎖が絡まる音が霞の頭の中に響いていく。


(隼斗が会いたがっている? 私を待っていてくれている……)


「霞!」


 焦点しょうてんが定まらずうつろろな瞳をする霞に、シーナが声を掛けた。


(なによ、霞。こんな子供騙こどもだましの誘いに引っかかるなんて)


 シーナが軽く頬を膨らませると、鎖が飛んできた。シーナはそれを軽く弾き飛ばした。


「巫女でもない者が、私に挑むなんていい度胸ね」

「私は、あなたの巫女に挑んでいる。太古神たいこしんともあろう柱が、横槍よこやりを入れるなど無様ね」


 静南がフンと笑う。


(この~、ピョピヨひよっこ巫女。口だけは達者だなあ。私を怒らせた報いを受けさせてやる)


 シーナは唇を引き締め、グッと睨んだ。


 霞は静南の術に掛かったままボンヤリとしている。


(隼斗が……)



 霞の目の前に隼斗が現れると、後ろから抱きしめた。


『もう一度、青の世界に連れて行ってくれ。それまでは、お前の言うとおり、この街を護る。だから、お前の目的が果たせたら生きて帰ってこい』


 隼斗はそのままスッと消えていった。


(私の目的って何? ナナガシラの呪いを解くこと。それに、まだ他に何か託されたような。思い出せないけど……そう、だれかに何か託されたような……)





「さあ、来て。霞」


 静南の鎖が手招きをするように、霞を誘っている。霞が一歩前に踏み出そうとしたとき、静南に視線が定まった。


「違う、違うよ! 隼斗はそんなに弱くない。隼斗は、私がここを抜け出すことなんか望んでない」


 霞が右手で静南の光をなぎはらうと、緑色に瞳を光らせた。


「私はいま、ここを離れるつもりはないよ」

「そう? 痛めつけないで連れ出してあげようと思ったけど、引きずりださないと駄目か。それなら、力ずくでも従ってもらうよ」


 静南が両手の鎖をちゅうに漂わせると、戦闘態勢に入った。


 霞は拳を握りしめ、静南と向き合っていたが、構えを取っていなかった。


「霞! 神霊同体しんれいどうたいに成るよ。あの此畜生こんちくしょう、叩きのめさないと気が済まないよ」


 シーナが苦虫を噛み潰したように顔をしかめると、霞は肩を震わせ、緑の瞳のままシーナの方に顔を向けた。


「ごめん、シーナ。それはできないよ」

「えっ? どうして」


 驚くシーナに、霞は首を左右い振った。


「分からないけど、本当に分からないんだけど。シーナと神霊同体に成ってあの子と戦っても、何も解決しない気がする。私とあの子で向き合わないと、何か失いそうな気がするの。だから、いまはシーナと神霊同体にはなれない」


 霞の瞳は、濃く緑色の光を放った。それは、シーナがいままで見たこともない美しくも強い光だった。


「分かったよ。わたしは、ここで見ている。だけど、霞、これだけは言っておくよ。もし、霞があの子にやられて死にそうになったら、わたしは遠慮なく神霊同体に成るよ。そのときは、あのひよっこは跡形もなくなるよ。それが嫌なら、あの子を助けたいのなら、霞がケリをつけて」


 シーナが霞の瞳に応え、緑の瞳を見せた。その瞳は、嘘のない光を放っていた。


「はい」


 霞は返事をすると、首にある隼の痣に手をかざした。


 風に包まれ、霞は無数の隼を纏っていく。グリーンと白のチェック柄の前開きのエプロン姿になった霞が、スゥーッと構えをとった。


 夕日が霞と静南の長い影を、グラウンドに映し出していた。

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