第179話 巫女と鬼(5)

 実菜穂は身動き一つできず、大ナマズが上から襲い来るのを見上げていた。


(足が濁流だくりゅうで動かない。逃げられないのに、こんな巨大なナマズに襲われたら為すすべが)


 身体を硬直こうちょくさせたまま、実菜穂の瞳孔どうこうは、開いていった。 


「無駄なことじゃ」


 みなもの声が聞こえた瞬間、実菜穂は我に返り瞳に水色の光がよみがえった。その瞳で見つめた大ナマズが、弾け飛んだ。さらに濁流も静まり、実菜穂の足は自由になった。


「これは……」


 足元を見ながら、実菜穂が夢から覚めたような顔をしていた。


「なっ、何があったのですか。こんなこと」


 鬼が叫ぶと、今度は背丈ほどの濁流を流してきた。実菜穂が身構えて高く跳ぼうとするのを、みなもが止めた。


「無駄じゃと申したのに。実菜穂、その瞳を凝らし、己の気を纏うがよい」

「はい」


 実菜穂が再び瞳を輝かせ、水色のオーラを纏った。濁流が実菜穂に襲い掛かるのと同時に消え去った。


「これはいったい。私は神の力を使ったはず」


 驚きの声をあげる鬼以上に、実菜穂自身が驚いていた。


「みなも、これって幻術げんじゅつ?」


 実菜穂が確認するように聞いた。みなもは、首を横に振った。


「いや、あの濁流は本物じゃ。あれに飲まれたら、命はあるまい。ナマズもその濁流より呼び出されたもの。全ては実在したものじゃ。川の鬼門の鬼と土の神のなせるわざじゃ」

「えっ! じゃあ。どうして消えちゃったの?」

「それが、お主の力じゃから」


 みなもが、鬼門に入る前に見せた笑みを浮かべた。


「のう、鬼よ。お主は、神の力を使ったと申したな。確かに本物じゃ。じゃがな、その力、儂にはつうじぬぞ」

「なっ、なにを言ってるのですか。お前は何者なのです」


 鬼は、攻撃に手ごたえが無かったことにあせりの色を隠しきれずにいた。


「なあに。お主の言うとおり、わしは小さな地の川辺に迎えられた神じゃ。しかも、古くからおるこの地の神に比べ、おさなき神じゃ。じゃがな、その幼き神が持つ力は、全て水波野菜乃女神みずはのなのめかみから受け継いだ力。そしてここにおるのは、その儂の力を受け継いだ巫女じゃ。法術ほうじゅつたぐいはつうじぬぞ」

「なっ……なんですと」


 青かった鬼の顔が、さらに青くなった。


(聞いたことがあります。水の神のなかには、全ての法術の攻撃はいっさい受けつけない神がいる。その神の名は、アサナミの神の子……水波野菜乃女神だと。たしか、水波野菜乃女神の分霊は多く存在する。だけど、その固有の力まで受け継ぐことなどあり得ません)


 眼を大きく見開き、鬼はもりを持つと渾身こんしんの力で実菜穂に投げつけた。さらに二本、三本と次々に投げていく。神の力で放たれた銛は、爪を立て獲物を狙うたかや牙をむき飛びかかる野獣ように実菜穂に襲いかかった。


(やられる!)


 実菜穂がくろがねの弓を取り出すと、鉄鞭てつべんのように振るい、銛をね退けようとした。


「えっ!なに」


 実菜穂が見たのは、銛があり得ない軌道きどうを描き、弓が空を切っていく光景であった。


(銛が避けた?)


 銛は弓を避けると、実菜穂を四方八方しほうはっぽうから取り囲み、狙いを定めたまま止まっていた。


「この銛、生きているみたいに動くよ」

「実菜穂、その銛は鬼の意のままに操られておる。避けるのは至難しなんわざじゃ」

「じゃあ、どうすれば」


 実菜穂が銛に囲まれ、身動きできずにいる。その様子を鬼は笑いながら見ていた。


「銛は私の意のままに操れます。巫女がどう動こうと、避けられず、苦しみ、最後には串刺くしざしにします。さあ、巫女の血でこの場を染めていきましょう」


 鬼の言葉とともに銛が一斉に実菜穂へ襲いかかった。

 

(どうする!)


 実菜穂に銛の鋭く尖った先が迫っていく。


「それも無駄じゃ」


 みなもがフッと笑った。


「えっ!」


 みなもの声とともに実菜穂の目の前で、銛は次々と水玉になり弾け飛んだ。


「いったい何が起こっているのです」


 わけが分からぬという顔をして、鬼は声をあげた。当然であろう。実菜穂も驚いているが、一番驚いたのはこの鬼門の鬼なのだ。土の神の力を得て銛を自由に操ることができる。だが、とどめをするはずの攻撃がつうじないのだ。


「その巫女には、武具の攻撃はつうじぬぞ。なぜなら、それが儂の力じゃから」

「何を言ってるのですか」


 鬼が必死で銛を実菜穂に当てようとしている。


「実菜穂、かまわぬ。奴を仕留しとめよ」

「はい」


 実菜穂がグッと弓を握るとキュィーンと高い音を響かせ、はがねつるを引いていく。襲い掛かる銛が目の前に迫るが、実菜穂に触れる前に次々と水玉になり弾けていった。


 鋼の弦を胸元まで引き寄せると、銀色に光り輝く矢が現れた。悠然ゆうぜんと構える実菜穂の眼が水色に濃く輝き、狙いを定めていく。実菜穂が見つめるものと同じ光景をみなもは、見ていた。


(実菜穂、お主!)


 きっちりと狙いをつけた実菜穂が、矢を放った。矢は銀色の光をまとい、音を置き去りにして鬼の胸を寸分の狂いもなく打ちぬいた。己の御霊を砕かれた鬼は呆気なく息絶えた。


「みなも、やったよ! 土の神の御霊は、無事だよ」


 実菜穂が鬼の胸から土の神の御霊を持ってきた。


「これは……土の神の御霊の欠片かけらなの?」

「そうじゃ。ちょうど六等分されておるの。おおかた六つの地の鬼門の鬼が持っておるのじゃろう」


 実菜緒から御霊を受け取ると、みなもは、愛おしい顔をして、優しくふところ仕舞しまった。


「とりあえず片付いたのかな」

「そうじゃな。ここをいまから封じるぞ」


 みなもが青い光を纏うと、門の入口を光で覆い塞いだ。実菜穂は巫女として、みなものそばでその様子を見守っていた。


「これで、鬼門は封じが終わったんだね。それにしても、みなもは凄いよね。法術や武器をねつけるんだから」


 実菜穂が、「ワァっ」と感心しながら、みなもの手を掴んだ。


「あれは全て姉さの力じゃ。それよりもじゃ、実菜穂」

「なに?」


 みなもの問いかけに、実菜穂は軽く首をかしげて返事をした。


「お主、弓を構えたときに狙いをつけると、あのように見えるのか」

「うん。あれって、弓の力なんでしょ。初めて持った時びっくりしちゃった。あっ、じゃあ、次は霞ちゃんのいる山の地に行かないとね」


 実菜穂は笑いながら鉄の弓を持ち上げて弦をビンはじくと、山の地の方向へクルリと向きを変えた。


(実菜穂、お主が狙いを定めたとき、まるで狙う先が手元にあるかのように見ておった。けして、狙いを外さぬほど近くに。くろがねの弓にそのような力はない。儂にもじゃ。実菜穂、それは、紛れもなくお主の力じゃ……)


みなもは、驚きを含んだ瞳で実菜穂の背を見つめていた。

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