第176話 巫女と鬼(2)

 陽向ひなたが田の地を歩いていた。横には火の神がついている。


 田が連なる道を進み、公園の前を通る。陽向の歩みがゆっくりとなり、入口を過ぎたところで足が止まった。陽向の視線を火の神も重ねていた。


「陽向、母娘おやこ御霊みたまは必ずやユウナミの神が丁重ていちょうに迎え入れよう。そのためにも、この地を鎮めねばならない」

「はい」


 陽向が返事をした。力強くも優しいことは、小さなときの陽向が持っている暖かさがそのまま残っていた。


 公園を通り過ぎると、やしろが見えた。田の神がまつらられている場所だ。


「ここに神はいない」


 火の神が社へと近づき、鳥居をくぐった。陽向も後に続いた。


氏神うじがみ、なぜ天上神てんじょうしんはこの地の神の御霊を奪ったのでしょうか」

「そうだな。みなもは、力を得るためだと言っていた」

「ほかの神の御霊を持つことが、力を強めることになるのですか」


 陽向が、社を見つめていた瞳を火の神に向けた。丸みのある瞳が、火の神の厳しい表情を映していた。


「強くなる。神は、ほかの神の御霊を取り込むことで強くなるのだ。それは、その神を取り込み支配するということ。つまり、神の尊厳を踏みにじるということだ。それ故、御霊を扱うことが許された神は、アサナミの神、ユウナミの神、それと死神しがみだけだ」


 火の神が、社に置かれている枯れ果てた稲穂いなほに触れた。いつ奉納ほうのうされたのかもう分からないくらいに、朽ちている。火の神の眼が紅く光っていく。


「陽向よ。神は人にあがめられてこそ神だ。神の力の根源は、ほかの神の御霊などではない。この地を治めた天上神は、それを知っていたはずだ。知っていてこの仕打ちをしたのだ。私はそれを許すことができない」

「はい」


 火の神の気持ちに応え、陽向は返事をした。それはまさに、日御乃光乃神ひみのひかりのかみと巫女との繋がりの表れであった。

 火の神は、社に一礼をし、陽向の方へと振り向いた。


「行きます」


 陽向の声に火の神は頷いた。




 社の奥に行くと小道が見えた。北東の方向に延びていく道は、鬼門へと通じている。


「ここが鬼門」

「そうだ。陽向、入る前に一つ言っておくことがある」

「はい」

「相手は鬼だ。神である私が戦えば、裏鬼門を護る神に気づかれるであろう。これは、数で劣るこちら側には都合が悪い。ここは、陽向だけで戦ってもらいたい」

「承知しました」


 陽向が腰に紅雷こうらいたずさえた。


「行くぞ、陽向」


 火の神と陽向は鬼門に飛び込んでいった。


 鬼門に足を踏み入れた瞬間、異様な世界が現れた。薄暗く、先が見えない世界が広が広がっている。もし、力を持たない人が入ったのなら、来た方向すら見失い、永遠とさ迷い歩くことになるだろう。


「陽向、正面に鬼がいる」


 火の神の声に陽向の瞳は紅く輝いた。薄暗い世界の中でハッキリと鬼の姿を捉えた。


「これが、鬼門の鬼」


 陽向が見ている鬼の姿は、人が想像する虎皮とらかわのパンツに金棒かなぼうを持った荒々しい姿ではなかった。


 あざやかな緑色の着物を着た長髪で細身の男だ。背は二メートルはあるだろうか。大男というよりは、スマートでしなやかな印象である。


 陽向が紅雷こうらいの柄に手をかけた。臨戦態勢りんせんたいせいである。


「陽向、その者は田の地の鬼門の鬼。どうやら田にまつわる力を持っているようだ」


 火の神の言葉が早いか、鬼の気は陽向を捉えており、右手を素早く差出した。


 ヒッッッッー!


 空気の合間をくぐって、陽向を襲うものがあった。正体は分からなかったが、気配を感じ取り、陽向は右に身体をらした。


 ハラリと巫女装束みこしょうぞくの左袖が切れていた。


(速かったのでしょうか。眼では捉えられなかった。でも、気配はあった。それならば実態があるということ)


 陽向の眼が光りを帯びていく。


 再び男が手を差し出した。先ほどは目で捉えられなかったが、紅い光を放つとその影が見えた。


「これは、むち


 紅雷を引き抜くと伸びてきた鞭を切り捨てた。鞭は地に落ち、朽ちていった。


(稲ですか)


 陽向は朽ちた鞭の正体を見ていた。


 鋭い鞭の正体は、稲であった。


「巫女か。人がまだこの地にいたとは。ならば、消さねばなるまいな」


 男の髪が大きく逆立ち、眼がギラリと光った。


「陽向、その鬼。ただの鬼ではない」


 火の神が声をかけるのと同時に、男の髪が陽向に襲い掛かっていった。


 


 

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