第174話 黒と白(10)

 頭上ずじょうに現れたのは、五、六メートルはある巨大な鬼である。放たれているオーラはこの場にいたどの鬼よりも強かった。その眼光は鋭く、一目で格の違いを感じさせた。


「おい、もしかしてあれって、もどきじゃなくて鬼神きじんか」


 れんが鬼を見上げている。当然これも人には見えてはいない。見えていないのはさいわいいであるが、これが暴れられると周りにはとてつもない被害が出るだろう。どんな力があるのか分からないが、落雷、突風、巨大なひょうでも降らされたら人はたまったものではない。


 漣の顔がキッと引き締まった。いっぽう、夕帰魅ゆきみはといえば冷静に見上げ、片づける気満々でいる。


「あいつが暴れたら、大変なことになるぞ」

「あら、怖気おじけづいているのですか?いまの漣には鬼神をはるかに超える力があると思いますが。なら、暴れる前に片づけてしまいます」


 夕帰魅がショーテルを高く掲げると、漣は「イッー!!」とばかりに目を大きくして夕帰魅に抱きついた。


「ちょっ、ちょっ、チョッと待て。夕帰魅、お前何するつもりだ」

「知れたことです。この辺りを氷結させてあの鬼神を仕留めます」


 予想どおりの夕帰魅の回答に、漣はいったん落ち着くように促した。


「いや、待て。お前の力でそんなことしたら、近くにいる人もただでは済まないだろう」

「それは、私の知ったことではありません。あれを放っておけば後々のちのち、手間なことになります。それにあの鬼も私たちを始末するのに、人のことなど考えていません」

「いや、そうだけど。だからっといって人を巻き込まなくても」


 漣が困った顔で考え込んでいる。それを夕帰魅は横目で見ていた。憎らしいほどの想いを持つ相手である漣が真剣に悩んでる姿を見ていると、なぜか分からないが、やるせない気持ちに襲われた。


「それでしたら漣、あなたが私を押さえたらいいのでは」

「えっ!」

 

 夕帰魅の言葉に漣は意味が分からず、ボソボソと考えている。


 夕帰魅が軽いため息をついた。


からすはもう少し利口りこうかと思っていました。私が、あの鬼の動きを封じます。当然何もしなければ、漣の言うとおり人はただでは済みません。ですが、漣が私の力を押さえ込めば被害はないでしょう。もっとも、漣、あなたが雪神様の神衣かむいを使いこなせれば、ですが」


 夕帰魅の言葉に漣は「なるほど」とポンと手を打った。


「面白い。やってやるよ」


 漣と夕帰魅が互いを見ると頷いた。


 漣が頭上高く右手を掲げると、左髪を飾っていたリボンが羽団扇はねうちわとなって握られた。


らん


 漣の声とともに空には雷雲らいうんが立ち込め、雲から屋上に筒状の風が巻き起こった。鬼神、漣、夕帰魅がスッポリと収まった状態である。鬼神は、外に出ようと風の壁に触れたとたんに弾き飛ばされた。風の壁から出られないと悟った鬼神は、下にいる漣と夕帰魅に爪を立て襲い掛かってきた。


せつ


 夕帰魅が両手を掲げると、鶴が羽を伸ばすように両手を重ねた。円筒の風の壁の中に雪が巻き起こる。それが上昇気流に乗り、次々と鬼神にぶつかっていく。始めは小さな粒であったが、風の力により氷に変わっていく。鬼神はたちまち全身が氷漬けとなった。ただの氷ではない。漣と夕帰魅の念が封じ込まれた強力な氷の拘束具と化していた。しかも上昇気流により、鬼神はまな板の上の鯉となっていた。こうなってしまえば、もはや逃げようがない。


ざん


 二人の息の合った声が響いた。夕帰魅が鬼人の下からショーテルをすくい上げると、漣は上から刀を振り下ろした。鬼神はあえなく粉々に砕け散った。



 風が治まった。


 漣はあたりに被害が無いことを確認すると、胸を撫でおろして息をついた。夕帰魅はといえば、人に興味などなく、当然の結果という目をしながらショーテルを一振りして穢れを祓うと、カーディガンの内に仕舞い込んだ。


 夕帰魅の態度は冷たく見えるが、漣は不思議と腹立たしさを覚えることはなかった。むしろ、それでこそ夕帰魅なのだと自分でも訳の分からない納得をしていた。


「夕帰魅、あの子を助けてくれてありがとう」


 漣が頭を下げた。夕帰魅は漣の姿を静かな瞳で見つめていた。


「漣、あなたは、そうやって頭を下げて礼を伝えるのですね。人の為に・・・・・・私の為にも」

「えっ」


 漣が頭を上げたときには、夕帰魅は背を見せて横顔だけを漣の方に向けていた。


「雪神様は水面みなもの神の助けをするため、ナナガシラへと向かいます。アワ蜘蛛のことは、雪神様に伝えておきます。悪いようにはならないでしょう」


 夕帰魅は微かに躊躇ためらいを見せると、ささやくように少女の声を響かせた。


「ここからは私の独り言です。山の神の巫女は、鉄鎖てっさの神に仕える者がやしろかくまっています。そこに行けば、会えるでしょう。ナナガシラの封印ふういんを解くためには、その者と争うことになります。ですが、それができるのは巫女だけ。人同士でなければ解決できないのでしょう。本当に人というものは分かりません」


 夕帰魅は背を向けたまま真っすぐに顔を向けると、月の光を浴び鶴の姿になった。

 翼を広げ、大きく羽ばたいてゆっくりと飛び立っていく。鶴は人を見守るように街を一周すると、月の明かりに浮かぶ影を作り飛んでいった。


 人はその美しいく飛ぶ影をただ見上げていた。


 漣もまた同じように夕帰魅の美しい姿を見つめていた。


「次はもう少し話せるかな」


 黒い翼を広げると漣もその場を飛び立っていった。



 「あっ、あそこにも鳥がいるよ」


 男の子が空を見上げていた。男の子の目の前に、ヒラヒラと何かが絡み合うように落ちてきた。男の子が拾い上げるとそれは黒と白の二本の綺麗な羽であった。

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