第173話 黒と白(9)

 れんが立ち上がると、夕帰魅ゆきみは男の子を漣へ渡した。


「夕帰魅・・・・・・」


 漣がポカンと夕帰魅の姿を見つめ、言葉をかけるのに口だけがワナワナと動いていた。素直に礼を伝えたいところだが、言葉が思いつかないのだ。

 

神命しんめいを受けたからすがこの有様ありさまとは、どうしたことでしょう。雪神様の耳にはとても入れられません。私がここの鬼の七割ななわりを引き受けますから残りの弱そうなのは片づけてください」

「なにー!」


 呆れた顔で見る夕帰魅に対して、漣が目を大きくして反応した。


「割り込んできておいて、勝手なこと言うなよ。私が八やるから、残りの二を片づけろよ」

「あら、先ほどまで土まみれで地に転がっていたではありませんか。九は私が引き受けますから、無理をしないようにしてください」

「なにを―!だったら全部私がやってやるよ。おまえは、そこで黙って見てろよ」

「笑わせないでください。雪神様から授かった神衣かむいを満足に使えない烏は、その人の子を連れてとっととおうちに帰ってください」

 

 漣が言い返せば、夕帰魅も負けじと言葉を投げ返す。


「ウヌヌヌヌ・・・・・・」


 二人は鼻先がつくほどに顔を近づけ、睨み合っている。


「ヴォーーーーーー」


 二人のすきをつき二体の鬼が襲いかかってきた。


「うるさい!」

「黙っていてください!」


 漣が右手から黒い羽、夕帰魅は左手から白い羽を鬼に放った。一瞬にして二体の鬼は頭を貫かれ倒れた。


「漣、とにかくあなたはこの子を連れていってください。私は人には近づきたくないので」


 夕帰魅が鬼の集団の方に顔を向けると、漣に遠くに離れるよう指示をした。


「ああ。分かった。すぐに戻る」


 漣が男の子を連れ出そうとすると、男の子は踏ん張ってその場に止まり夕帰魅に声をかけた。


「おねえちゃん、ありがとう」


 夕帰魅がチラリと男の子に目を向けた。男の子は夕帰魅をジッと見ている。その瞳にはたしかに夕帰魅へ「ありがとう」を伝える光が見えていた。他にも何か言いたそうであったが、男の子は漣に抱えられて夕帰魅から離れていった。



 フーッ



 夕帰魅は深く呼吸をすると瞳を閉じた。まるで新しいスタートを切るように気持ちを落ち着かせている。


(『ありがとう』・・・・・・ですか。人から言われたのはもう忘れるほど昔)


 ゆっくりと黒い瞳が開かれた。


(気にはしません。雪神様の露払つゆばらいの結果ですから)


 ショーテルを握った両手を上に掲げた。


朝霧あさぎりまい


 夕帰魅を中心に二十メートルほどの球体が出来上がった。


かんのいい鬼は逃げたか。だけど残りの七割は捕まえた。まっ、あとは漣にまかせましょう)

 

 球体のなかは霧に包まれていった。人の目には3Dマッピングの巨大なスノードームのように映っていた。真白な球体のなかから照明が光り輝くと一人の少女の影が浮かび上がった。ショーテルを握ったその影は、まるで翼を持った少女であった。その少女が可憐かれんに舞っていく。人はそれをイベントと思ったのか惹きつけられて見つめていた。漣も男の子をチームの者に預けると、舞う少女の影を見ていた。


 球体のなかでは、次々と鬼の首が落とされていった。舞っているように見えたのは、夕帰魅がショーテルを一閃に振る姿である。いっぽう、鬼たちは球体に閉じ込められた状態であり、霧により視界はふさがれ、夕帰魅の気配すら感じられなかった。無駄に暴れれば、狭い球体のなかでは鬼同士が殺し合う結果となり、遅からずその首は落とされていった。


 夕帰魅の姿を見ていた漣は、残りの鬼を人に近づけさせないために動いた。


(夕帰魅のやつ「神衣も満足に使えない」と言ってた。私はまだ使えてないということか。そう言えば、夕帰魅はショーテルを使っていたな。あの武具ぶぐも雪神様から授かったはずだ。もしかしたら)


 漣は短刀を取り出すと、ゆっくりと引き抜いていった。白い光が放たれ、それを浴びた漣の姿が変化する。衣装が引締まっていく。黒の短いソックスがハイソックスになり膝上ひざうえまで上がると、ガーターベルトのように腰から下がった黒いおびに止められた。スカートは更に短くなり、腰をキュッと引き締めた。両腰にさやが備わると、背にあった羽団扇が黒いリボンとなり漣の左側の髪を飾る。足元はスニーカーからヒールが高いショートブーツに代わっていた。漣の性格に合っているのか、それともミスマッチなのか、黒いベストを纏ったミニスカートの小悪魔少女が出来上がった。


(すごい!初めて身に着けたときも感覚が増して動きやすかったけど、これはその何倍も研ぎ澄まされて力を感じる。これが本当の神衣なの)


 漣が鬼を見つけた。その姿が消えると同時に、鬼の首は斬り落とされていた。二刀を手にした漣は、闇を制する影となった。瞬く間に残りの鬼は切り捨てられていた。


 全ての鬼は片づけられた。騒ぎはあったが、人に被害はなかった。


 夕帰魅が屋上にフワリと降りたつと、霧が晴れていった。そこに漣がスタッと現れた。


「あら、少しは使えるようになったみたいですね」


 夕帰魅が目を丸くしたのと同時に辺りに地響きが起こった。


「なんだ、地震か?それにしても嫌な気配が漂っている」


 漣が辺りを警戒してその根源を突き止めた。自分たちの頭上である。


「たまらずに出てきたようですね。あれだけの鬼神擬きじんもどき送り込んだのですから、たばね役もいることでしょう」


 夕帰魅がクスリと笑った。

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