第170話 黒と白(6)

 チームの男が気づいたときには、れんの姿はすでに建物の上階を跳んでいた。


「おい、嘘だろう。高く跳んだぜ。もしかして、かすみっていう子じゃないか」


 漣の行く先を見ながらもう一人の男に確認をした。


「俺も実際には見たことはない。だが、その霞って子なら、リーダーに連絡しないと。俺はあのビルに行くから、連絡を頼む」

「分かった。連絡取ったら、すぐに行く。リーダー、霞っていう子のことになると人が変わるからな」

 

 スマホを取り出して男が連絡していると、もう一人はビルへと走っていった。



 優がビルの屋上で詩織しおりを抱えている。ちょうどお姫様抱っこの体勢だ。詩織は意識が朦朧もうろうとして視線が定まらないまま優の姿を眺めていた。さっきまでの険しい視線はなく、心配する目で詩織を見ていた。


 漣がブワッと屋上に姿を現すと勢いよく着地した。


(あの子が土の神の巫女か。虚ろな瞳・・・・・・毒で麻痺まひさせたか)


 漣が抱き上げられている詩織に、かつての土の神の巫女の幼い姿を重ねていた。

  

あるじよみがえらせるために、アワ蜘蛛は血をかぎ分けて見つけたというのか。もうこれ以上、巫女が罪を背負うことはないのだ。アワ蜘蛛、その子はき放つべきだよ)


「優、いや、アワ蜘蛛。その子が土の神の巫女なんだな。だけど、いまはその子を連れ戻してはいけない。状況が変わった」


 漣が説得にかかった。攻撃する意図がないことを示す為に、手には羽団扇はねうちわも刀も持っていなかった。アワ蜘蛛は優の姿のまま、身動きせずに漣の方へ顔を向けていた。


「どうして優の姿になっている。土の神の御神体ごしんたいは、拝殿はいでんに戻した。呪いは解けたはずだ。アワ蜘蛛、優の御霊みたまを持っているのか。だったら、解放してやれ。もう、巫女は苦しまなくてもいいんだよ」


 漣が力強くも柔らかい言葉をかけていく。アワ蜘蛛は表情を変えずに視線を向けたままであった。詩織は乱れた呼吸で優の姿となっているアワ蜘蛛を見ていた。


「御神体は三つだ。漣、お前に預けた御神体は戻ったとして、残り二つはどうなっているのだ」


 初めてアワ蜘蛛が話した。若々しく、少し高みがある聞きやすい声。優の声であった。優の声に詩織は反応してあごを少し上げて見ていた。


「残り二つも取り戻した。二つのうちの一つを取り戻したのは実菜穂みなほだ。お前、会ったことあるだろう」

 

(実菜穂・・・・・・さん)


 うつろにただよう意識のなか、実菜穂の名が詩織のなかに入ってきた。天の川の空のもとに美しく舞う巫女の姿が、何度も詩織の意識のなかに映し出されていく。


「私が御霊を預かったときと状況は変わった。水面みなもの神、日御乃光乃神ひみのひかりのかみ級長戸しなとの神がいま巫女を連れてナナガシラに入っている。捕らわれた神の御霊を取り戻す算段もできている。もちろん、土の神も蘇る。だからもう、巫女は連れていかなくてもいい」


 漣は慎重に言葉を選び、アワ蜘蛛を安心させようとした。


「そのことは知っている」

「そうなんだな。だったら、分かるだろう。水面の神たちによって、土、川、野、田、山それに沼の神も助けられる。もうこれ以上人に罪を背負わすな。巫女は必要ない。その子を私に返してくれないか」


 漣は、詩織を受け取るという意味で両手を広げてみせたが、アワ蜘蛛は動こうとはしなかった。


「漣、分かっていないのはお前だ。主、土の神は御霊を取り戻しただけでは、蘇りはしない。知っているだろう。ナナガシラを支配した天上神により、土の神は大きな罪を背負わされたのだ。親が天上神の使者と結ばれ、その子であるというだけで、あの神たちからどれだけの責めを負い、辱めを受けたのか。なぜ、人に慕われ、人に味方をしたことで御霊を切り分けられねばならぬのだ。力を奪われ、身体を奪われ、御霊を奪われた。土の神の力を取り戻すには、御霊を取り戻すだけではいかぬのだ。巫女が必要なのだ」


 アワ蜘蛛の言葉を詩織は受け継がれた血のなかで聞いていた。


(私が泣いたのは、私が巫女だから。実菜穂さんや陽向さんと同じ巫女だから)


 どこから湧いてきたのか分からないが、詩織はとてつもない悲しみと寂しさが身体のなかでうごめくのを感じていた。


(行かないと。私、ナナガシラに・・・・・・約束)


「お願い。私をナナガシラに連れていってください。そこに行かねばならない・・・・・・」


 そう言いかけて詩織は意識を失いグッタリとした。


 アワ蜘蛛が漣から目を逸らすことなく、後ろに下がっていく。漣は自分を警戒しているものだと思い、前に出ることなくアワ蜘蛛を見ていた。


「その子をここに置いていけ。ナナガシラに連れていってはいけない。龍神たちは土の神の巫女を生かしはしない」


 漣の説得を無視するようにアワ蜘蛛は建物から飛び降りた。


「嘘だろ!」


 漣があとを追うために駆け出した瞬間、何者かに突き飛ばされ、壁に弾き飛ばされた。


「いったぁーい!なんだ、邪魔をするな」


 自分をぶっ飛ばした相手を睨んだその先には、薄暗いなか幾体いくたいもの大きな影が立っていた。

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