第169話 黒と白(5)

 ゆうの動きは人の目で追えるものではなかった。隙間すきまを飛ぶように進んでいく。優がすれ違っても人は気づいていないほど速かった。


(なんちゅー、速さだ。あいつあんなに素早かったかな)


 れんは優に気づかれず、さらには、置いていかれずと二重に気を使いながらあとを追った。




「具合悪そうだよ。静かなところで休まない」


 詩織しおりは男たちを無視すると黙ったまま立ち上がり、その場を離れようとした。


「あっ」


 フラリと立ち上がった詩織の足がもつれ、前のめりになった。


「おっとと。危ないよ」


 男二人が詩織の両腕を抱きかかえ支えた。


「ほら~。無理しちゃだめだよ。何もしないから、静かな所に行こう」

「ありがとうございます。でも、大丈夫です」


 優しい言葉をかける男たちの手を丁寧にはらうと、詩織は自分の足で歩こうと前に進んだ。知的で強気な詩織が弱っている姿は、男たちにとってある意味刺激的で、興味をそそるものであった。実際、詩織にあらがうだけの体力は無かった。


「大丈夫じゃないでしょう。ほらあ」


 男二人が詩織を両脇で抱え、連れていこうとしている。金髪の男は気乗りしない顔で後ろに立っていた。


 ドッ!


 鈍い音とともに、詩織を連れ出していた男二人がふっ飛ばされた。一人は自販機に頭から突っ込み声もなくうずくまっている。金髪の男の前には優が立っていた。


「こいつ!」


 金髪の男が優を睨み殴りかかろうとするが、目の前に倒れ込む二人の姿に腕が震えていた。優は男たちには見向きもせず、詩織を片腕で抱き寄せると瞳を覗き込んでいる。ふらつく身体をガッシリと支えられ、詩織は意識を保てないまま優の顔を見つめていた。


「おい、お前」


 震える手を必死で押え、金髪の男が優にすごんだ。仲間がやられてしまったこともあるが、目の前にいる男が詩織を抱きかかえている姿に嫌悪けんおを覚えた。


(なんだ、こいつ。いきなり現れて二人をぶっ飛ばしやがった。不意打ちにしても手早い。まさか、チーム白風はくふうか)


 金髪の男は冷や汗をぬぐった。白風は隼斗はやとがリーダーとなり、この辺りのエリアを仕切っているチームだ。最近はエリアの中のもめ事を警察より素早く解決したりしているため、他のエリアより格段に治安がいいと噂になっていた。家族連れが多いのもその影響は少なからずあった。チームのメンバーが相手なら、チンピラ崩れの三人組に勝ち目などあるわけがない。


 ゆっくりと、仲間の一人が起き上がった。もう一人も立てはしなかったが、その場に座り込んで頭を振っている。二人の様子を見て金髪の男は覚悟を決めた。


(こいつ、この女を助けたというより奪い取ったような感じがする。こんなやつにメンツをつぶされて、放っておけるか)

 

 金髪の男が優を殴ろうと拳を上げ、突っかかっていった。

 

 グッ!


 男の腕が何者かに取られた。気がつくと目の前に黒いベストを身に着けた少女が、右の脇で腕を取って優の前に立ちはだかっていた。れんである。漣を前にして、優が初めて男の方に視線を向けた。その視線に男はゾクリと背筋を凍らせた。

  

 手の震えを押えて気力を振り絞り何とか飛びかかろうとした相手に、漣は男を護る分厚い壁のように立っていた。漣の護りのおかげで気持ちが冷静になった男は、自分の状況を理解した。指先に感じる柔らかさと丸み。男の腕は漣の脇に挟まれ、手先は漣の胸に当てられていた。その感触を感じたのだ。この状況なのに、漣の胸の膨らみに意識が飛んでいた。命の危機が迫るなか、現実逃避の気持ちがそうさせたのであろう。

 だが、とうの漣は男の手が胸に当たっていることなど、意識していないかのように優と対峙たいじしている。優の攻撃から男をがんとして護ろうとする漣の強固な後ろ姿と、温かく柔らかな胸のふくらみとのギャップに男の方が躊躇とまどいの表情をしていた。


「やめておけ。それより早く逃げろ。お前らが千人束になってかかっても、こいつには指一本触れられないよ。メンツにこだわって勝てない奴を相手にしていたら、二度と女をひっかけられなくなるぞ」


 漣が振り返り、男の腕を解くとポンと軽く後ろに突き飛ばした。


「早くそいつらを連れて逃げろ」

「ちょっと待てよ。あんたはどうなるんだよ。こいつのこと知っているのか」

「もちろん知ってるよ。馴染みだからな」


 漣がチラリと金髪男を見た。その目は早く去れと語っていた。男も漣の目には逆らえない気持ちになっていた。



「おい、お前ら何をやっている」


 二人の男がもめ事の知らせを聞きつけ、駆け寄ってきた。


「やばい。白風の連中だ」


 フラフラで立ち上がった男の手を金髪の男が掴んだ。三人は人混みのなかに逃げていった。



(あーっ、騒ぎが大きくなったな)


 漣が駆けつけてきた男たちへ目を離した隙に、優は詩織を抱えたまま高く跳びあがると建物の屋上へと逃げていった。


「おい、お前ら」


 白風のチームの者が漣に声をかけた。


(ちっ、厄介だな。だが、このまま優を逃がすわけにはいかない)


 漣は羽団扇はねうちわ軽く振り、弱い旋風つむじかぜを放った。人は風に気を取られ、身をかがめたりして気を散らしている。その隙に漣は大きく羽ばたくと優のあとを追っていった。

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