第118話 覚悟と想い(14)

 風がフワリと舞い、上昇する感覚が隼斗はやとの脳を貫いていく。


(俺、死んだのか)


 ゆっくり目を開けると、かすみに抱かれたまま空を駆け上っていた。夢ではない。


 霞は隼斗が受ける衝撃を避けるために、胸に抱いてかばいながら空を昇っていった。


(本当に何者なんだ)


 緑のオーラが隼斗を包んでいる。それは、温かく、さわやかで、春の優しい風のように心地よく感じた。けして、経験することがなかった心地よさ。ガチガチによろいまとった隼斗の心は、いまや丸裸同然であった。どんな女を抱いたとしても、この心地よさは得られなかった。もしかすれば、これが温もりというものであるのか、その確信はあった。


 隼斗が小さな姿になる。人として形作られた姿。黒い瞳が輝き、拳を握りしめ、羊水ようすいに満たされ呼吸している。記憶などあるはずないのに、鮮明に感覚と映像がよみがえる。鼓動とともに安らいでいられる場所、それが子宮しきゅう


 人は生まれるとき、一つの世界を越えるといわれる。それは、母の体内から外へとでること。生命活動の全てが守られてきた安らかな世界から、自分の力で生きなければならない世界へと旅立っていく。その壁は厚く、柔らかな赤子の身体にとって、産道は細く、固い。無事に通り抜けられればよいが、ときには骨を折ることさえある。まさに命がけ。生む母も苦しいが、生まれる赤子もまた同じく苦しいのだ。成長するとともに、その記憶は薄れ無くなっていく。だけど、確かに人は、世界を越える経験をしているのだ。


 胸に抱かれ、霞の鼓動を耳にし、全てを解放して安らいだまま隼斗は上昇を続けていた。


 人ではけして越えることができない壁を、霞に抱れ守られながら隼斗は、越えていく。霞は、壁を越える衝撃から隼斗を守り、ゆっくりと突き抜けていった。



「隼斗・・・・・・起きて」


 優しく揺り起こすように霞は声をかけ、隼斗を起こした。


 隼斗が目を開けると、そこに広がるのは、スカイブルーの色。どこまでも続く青、広くそして深い世界。後ろから霞に抱き抱えられ、隼斗は世界を見渡していた。手を離されたら底なしに落ちてしまいそうな世界。それを怖いとは思わなかった。美しい光と色の世界を全身全霊で感じていた。砂漠で見た夜空、極寒の地で見たオーロラとは全く違う美しさ。不思議なことに、自分がいた世界とは全く違う世界だということを疑うことなく認識できた。


「美しいでしょ。ここはわたしが一番好きな世界。この世界はね、私たちがいる世界ができる前に神様が作ったんだって。理由は分からないけど、もしかしたら人が住む世界を作ろうとして、美しくて惜しいから、このままにしたのかも」


 耳元で霞が優しくささやく。隼斗はそれを母親の語りのように聞きながら、青の世界を見つめていた。


「ここにね、人を連れてきたのは隼斗が初めてなんだよ。一度、神様を連れてきたことがあったな。あとは一人で来ていたよ。いつか誰かと一緒に見られたらなって思ってた。この世界を見せたかった。

「待てよ、どうして俺を選んだ」

「隼斗ならきっと感じてくれると思ったから。この世界をわたしと同じように受け入れてくれると、そう思ったから」

「勝手だな」


 隼斗は青の世界を見つめ、霞の言葉を聞きながら瞳を潤ませていた。


(俺は何を見ているのだ。なぜ、泣いているのだ) 

 

「隼斗、お願いがあるの。隼斗は強い。だから、もし、あの街で力がなくて助けを求めている子がいたら、助けてあげて。そっと手を差し出してあげて。隼斗にしかできないことだから。それでわたしの心配もなくなる」

「なんだ。さっきから、お前、変な言い方してるな。そんなことお前がやれば一発で解決だろ・・・・・・」


 泣いていることに気付かれないよう、素っ気なく隼斗は答えた。


(何言ってんだこいつは。これじゃまるで戦場に出向く奴の頼みごとみたいじゃないか・・・・・・なんだ、俺が泣いているのは・・・・・・まさか)


「嫌だ・・・・・・と言ったらどうする」


 隼斗の言葉に霞の腕がキュッと少しだけ強く締まった。隼斗はその腕に抱かれ、自分の涙の意味を理解した。


「仕方ないな。ただし、条件がある。お前の用事が済んだら、もう一度、俺をこの世界に連れてきてくれ。そうすれば、お前の言うことに従うよ」

「隼斗は、イジワルだな」


 微かに笑みを含んだ声が隼斗の耳元に届いた。


 その声に振り向き、霞の顔を見上げた隼斗は、息をすることを忘れて心を奪われたまま見つめ続けていた。


 隼斗が見つめた霞の姿。それは緑色のオーラを纏い、ショートヘアーを輝かせ、美しくも活動的な少女の姿であった。だが、その瞳はゾクリとさせる程の妖艶ようえんな光を放ち、全ての者がひれ伏してしまうのではないかと思えるほどの力を感じさせた。


(神様などはなから信じてはない。見たこともないものは、信じない。だが、俺はいま本当に神様てやつを見ているのかもしれない)

 

 心奪われ見つめる隼斗の瞳に、霞は優しく笑いかけていた。


 青の世界が二人を包み込んでいた。

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