第117話 覚悟と想い(13)

 バイクは熱い風を切り、街を離れ走っていた。隼斗はやとが「行きたいところはないか?」と聞くと、霞は考え込んでつぶやいた。


「海がいい」


 言葉のまま隼斗はバイクを走らせていた。甲高い排気音を響かせ、海岸沿いの道路を走っていく。


 隼斗は仕事や遊びでタンデムで乗ることがよくある。隼斗の同乗者となる者は、二通りのタイプがあった。一つは、ガチガチに身体からだに力を入れて踏ん張るタイプ。怖さゆえなのだが、隼斗の動きとは反対方向に力を入れるため、小柄な隼斗にとっては運転しにくい同乗者だ。そして、もう一つはビッタリとしがみつくタイプ。これは、女の子に多かった。踏ん張られるよりはマシなのだが、かなり重荷となった。というのも、加速すれば後ろに引っ張られ、減速すれば前に押されるからだ。こちらは小柄な隼斗には体力面よりも、どこか屈辱的な苛立ちを感じさせた。


 では、霞はどのタイプかといえば、この二つとは全く別であった。乗り始めたときは、密着しないからガチガチに踏ん張っているのかと思ったが、さにあらず。加速するときはスッと後押しをするように寄り添う。ストレスなく加速ができた。加速後は、速度を一定にして走ることになるが、そのときにピタリと体をつけてくる。おかげで安定した走行ができた。減速するときはスッと後輪の方に加重をかけて車体後方に体を移動させる。カーブを曲がれば、隼斗の傾きにあわせて霞もついてくる。霞の体重などそう気にすることではないが、隼斗にとっては全てがプラス方向、自分を導くがごとく動いてくるのだ。もちろん霞は隼斗のことなど考えてはおらず、無意識に動いているだけである。これも風のさがなのかもしれない。


(分からない女だな。早瀬霞はやせかすみっていうのは。これほど俺の動きを読んで、後押しをする奴は知らない)


 自分の心が読まれているんじゃないかと考えながらも、霞の不思議な魅力に惹かれていく自分を感じていた。


 海に着いた頃には、日も高く上っていた。海水浴の時期は過ぎてしまっているが、家族が何組か波打ちぎわで遊んでいる。


 霞と隼斗は家族が楽しむ光景をアイスを食べながら見ていた。隼斗にとっては、おおよそ縁のない光景である。物心ついたときには、身内と呼べる者は存在しなかった。何をどう転んできたのか、気がつけば傭兵として国外で生きていた。学んだことといえば、戦うこと。生きるために戦うことだ。「死にたくない」その思いで生きてきたのだ。いまの隼斗にとって、目の前の光景は絵空事で心に響くものはなかった。


(霞はどうなのだろう?)


 上の空の心で海を眺めていると、霞がどのような顔をしてこの景色を眺めているのか気になった。


 横にいる霞に視線を移した。


 全ての時が止まった。


 日の光を浴び、ショートの髪のがサラッと風を切り光っている。引き締まって、それでいてしなやかな身体は人ではない輝きを放っていた。


(こいつ、いったい何者なんだ。海を見ている?いや、それを楽しむ家族を見ている?違う。こいつは、そうだ、世界をそのものを見ている。まるではるか高みから、人を見守る女神のように)


 キラキラ光る波を見つめていた霞は、隼斗の方に顔を向けた。


「わたしのこと知りたい?それなら連れて行って欲しいところがある」


 霞の言葉に隼斗は頷いた。


 二人がいたのは灯台がある岬だ。高い崖の上に立っている。防護柵が飾りのようについているだけで、簡単に海の方へと歩むことができる。その崖っぷちに霞が立ち、隼斗と向かい合っていた。


「隼斗さん、教えて欲しいことがあります」

「なんだ」


(こいつ、何を考えているんだ)


 いまにも崖から落ちてしまいそうな霞を前に、隼斗は表情を変えることなく返事をした。


「自分に力があるのに、その力をうまく使えず、仲間の足を引っ張るしかできないのなら、どうすればいいのですか」

「どういうことだ?なぜ、そんなこと俺に聞く」

 

 唐突とうとつな質問に隼斗は霞の心情をなんとか探ろうと、瞳の色を探っていた。


「なんでしょう。隼斗さんは、街でも最強のチームのリーダー。きっと、すごく色々な経験をしているのかなって、思ったから」

「なんだ、そりゃ。まっ、お前が言わんとしていることは何となく分かる。行動が空回りして、結果が出ない。何とか認められようと、出しゃばってみるが結果は、反対方向に行ってしまう・・・・・・だろ」


 隼斗の言葉に霞はウンウンと頷いた。


「まあ、そんなときは何もしないことだ。あせれば焦るほど見えていたはずのものが、見えなくなる。自分ができることが見えなくなる。だから、ジッと状況を見据える。焦ることなく、ことの成り行きを見定める。そうすれば、自分の力の使いどころが見えてくる。そこが分かれば、一気に動く。どんな奴でも出番はあるもんだ。それを間違わなければ、自分も仲間も助けることができる。状況も見定めずに動くことは、相手を利するだけ・・・・・・てなとこかな。お前、ほんとに面白いな。俺にそんなことを聞く女は初めてだ。てか、お前の方が俺よりはるかに強いだろう」


(ほんと、分からねえ女だ。あの夜のゾクゾクする瞳の光は、なんだったんだ。いまは、それが全く見えない)


 隼斗の言葉を聞きながら、霞は昨日の出来事を思い返していた。


(わたし、焦っていたのか。実菜穂みなほさん、陽向ひなたさんの言葉を聞かずにただ力を使っただけ。その結果が・・・・・・。自分の力の使いどころ・・・・・・そうか)


 霞の顔色が明るくなった。


「ねえ、隼斗。きて」


 霞が手を広げ、岸壁を背にしてゆっくりと倒れていく。隼斗は霞の行動を目にして、稲妻に撃たれたような衝撃が全身を走った。


 手を広げ、ゆっくりと崖から倒れていく霞。その姿は、少女そのままの透明さを持ちながら、女としての色気を持っていた。霞の誘うような瞳と身体から放つ妖艶ようえんなオーラに隼斗は無意識に手を伸ばした。


 もし、これが霞ではなく、他の少女ならどうだろう。絶対に隼斗は手を伸ばすことはなかった。

 戦場で戦ってきた隼斗にとって、目の前で倒れた仲間を助けに出ることは死を意味した。なぜなら、自分が飛び出した瞬間、狙撃そげきの的になるからだ。そしてそれは新たな犠牲を生む結果になる。そう実戦で学んできた隼斗にとって、自分の身を危険にさらすことは本能的に拒むようになっていた。


 だが、霞は違う。隼斗が伸ばした手。それは、自分さえ霞とともに落ちていくことを意味した。無意識と言ったが、それは正しくない。隼斗は心でハッキリと叫んでいた。


(その瞳の霞となら、落ちてもかまわない)


 隼斗の手をとると霞は身体を倒していく。二人の身体は崖から離れていった。

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