第7話 風の神と濡れた服(6)

 霞が悪戯の笑みを浮かべて気を失っている五人を見ている。


「ねえ、シーナ。これやり過ぎじゃないの?」

『何言ってるの。本当なら人など入らない山奥にでも置いてくるつもりだったんだから。じゅうぶん譲歩してるんだよ』


 霞とシーナが会話する。当然ほかには聞こえない会話。自問自答のようなものである。

 

 香奈が目を覚ます。気を失ったことは間違いない。以前にも同じような経験をした。香奈の目に霞が映る。一瞬にしてなにもかもが見透かされたような気がした。霞の瞳の光がそう香奈に感じさせた。


『やあやあ。さすがは大将。肝がすわってる』


 霞が笑って見ている。その目から香奈は逃げられないまま、周りの状況に身を縮めた。


『動かないよ~。命綱なんてつけてないんだから』


 香奈は微かに震えたままジッとしていた。霞がその様子を見て笑っていると、他の女子が目を覚ました。


『大将にも言ったけど、動いちゃだめよ。死んじゃうから』


 一人が悲鳴を上げ気を失いかけるところを霞が、首根っこを押さえ止めた。悲鳴を上げるのは当然だ。霞がいるのは体育館天井部の鉄骨の上だ。そこに五人が足をブラリとした状態で座らされている。鉄骨の上は座っているのが精一杯で、バランスを崩せば床に叩きつけられる。運よく死なかったとしても、ただでは済まないことは簡単に想像できた。


『どうした。あのときみたいに私を殴ってみる?』


 霞が頬を出しながら、首を掴んだ腕を伸ばしていく。女子は半身を鉄骨から引きはがされた状態になった。自力ではもう体制を保つことができない姿勢だ。つまり霞が手を離せば落下してしまう。


「お願い。許して、ごめんなさい」

 

 汗と涙でグシャグシャになった顔で消えそうな声を出し、霞に謝っている。


『えーっ?聞こえない』


 霞は持っていた手を離し、耳をすますポーズをする。他の女子が目をひろげた。霞の手から離れた女子は一瞬、フッと動きが止まるが次の瞬間には後ろに倒れていく。そこを素早く霞が逆の手で掴んでもとの状態になった。


『それ、私も言ったけど、きみ、殴ったよね』


 霞は女子を押し倒していく。


「ごめんなさい」


 そう言うのが精一杯という表情で顔が恐怖で固まっている。


『ふ~ん。そんな顔もするんだ。じゃあ、あんたにチャンスをあげるね。三秒だけ待つよ。そこの大将に私をイジメるように仕向けたのはだあれ?話せないなら指さして。はい、さーん、にー・・・・・・・・いー』


 霞の秒読みに顔が蒼白になりながら、女子は香奈の隣の子を指さした。霞の目が光り、もう一人を掴むと二人まとめて抱えて飛び降りていく。グッと加速をして落ちていくが、床に激突する前にフワリと何事もないように着地した。シーナがやっていることであるが、霞は自分の身体ながら背筋が寒くなった。結果を知っている霞でさえこれなのだから、やられた方はもっと怖かったはずだ。その証はすぐに現れた。スカートと床が濡れているのだ。失禁だった。


『人はこれだ。霞、あんたも持ってるよね』

「えっ、何を?」

『写真撮る物よ。あんたも撮られてたでしょ。この二人も記念に撮ってあげたら。お漏らしの』


 霞は二人の姿を神の眼で見ていた。ただ目の前の現実に恐怖して震える二人の女子の姿だ。何もない。ただ、この場の恐怖から逃げたいと思い震える姿。霞は目を閉じてシーナに語った。


「いいよ。もういい。お願い、シーナ。もうやめよう。こんなに怖がっているよ」

『えっ、どーして?霞は、さんざん嫌な思いさせられたよね。この二人と同じように震えてたよね。泣いてたよね。なのに今度はやめようって。人って本当にわけが分からない』


 シーナが少し不機嫌な音で話す。霞は震える声で答えた。


「シーナ、いま私は神の眼で二人を見ているよね。なら、分かるよ。本当に怖がっている。この場から逃げたがっている。私と同じなのが分かる。だから、もういいよ」

『恐怖から逃げたくなるのが人だからでしょ。逃げたらきっと忘れるよ。同じことを繰り返すよ』

「・・・・・・そうかもしれない。だけど、こんなの何だかスッキリしない。それに、写真は恥ずかしいよ。私だったらすごく辛い。こんなことで縛るなんて、嫌だよ」


(なんなの、霞っていう人は。どうしてこの二人に同情するのか、わかんない)


『ふ~ん。それなら二度と逆らえないように徹底的に痛めつけようっと』


 霞の腕がイジメの原因となった女子に向けて殴りかかろうとした。


「それも、だめ!」


 霞が自分の腕を必死で押し止めるが、思うようにできなかった。それでも何とか拳を当てないように外すことはできた。


 凄まじい音が体育館に鳴り響き、床も壁も天井も震えた。拳のはるか先にある入口の厚い扉が吹き飛んだ。女子二人は正気が保てず泣きじゃくるばかりである。


「シーナ、これ当たってたら・・・・・・」

『ありゃ、殆どの力を抜いたはずなのになあ。これが神霊同体の効果なのかなあ』


 シーナの無邪気な言葉を聞きながら、霞は自分の拳を見つめた。驚きを通り越して逆に冷静になっていく。さっきまで何とかシーナの気持ちを鎮めようとしたが、この瞬間、何かが変わった。


「こんなの、こんなの違うよ。なにか違うよ。これがシーナの言う『世界を思いのままにする』ことなの?こんなの違うよ。私、シーナが空高く連れ出してくれたとき、すごく気分が良かった。シーナが見せてくれた空の青い世界を全身で感じた。すごく好きだった。あの世界がすごく居心地がよかった。あの世界から学校を見たら、悩んでいる自分が小さく見えた。それを教えてくれたシーナのこともすごく好きだった。でも、これじゃあ、何も変わらないよ。私がされていたこと、そのままだよ。それに、これが世界を思いのままにするための力なの?もし、そうだとしたら、私、いらないよ・・・・・・」


 霞が震えながら涙を滲ませた。緑色に輝いていた瞳が次第に光を失っていく。シーナにも違和感があった。表情が曇った。


(どうしたのかな。この胸が痛む苦しみは。いままで経験したことないぞ。何があったの・・・・・・そうか、御霊の鼓動がズレてきている。ありゃ、これはまずいぞ。このままだと私の御霊が砕ける)


 シーナはサッと神霊同体を解くと霞の横に立った。霞は体が自由になる。


(あれほど鼓動が合ってたのに急におかしくなった。変わったのは私か、いや、霞なの。ひょっとしてこれが、水面みなもの神が言っている人の成長っていうのかな。それならやっぱり)


 シーナは二人を介抱する霞を見ていた。


 天井から香奈の声がする。


「早瀬、お願い。好恵よしえが限界なの。助けて」


 霞が天井を見上げると香奈にもたれ掛かっている子がいた。意識が朦朧としているようだ。ただでさえ体育館は暑いのに、天井ならなおさらだ。三人が座っているのも限界だった。

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