第3話 風の神と濡れた服(2)

「許してください。ごめんなさい」

 

 女子トイレでは小さな悲鳴が笑い声にかき消された。五人がかすみを取り囲み、個室に蹴り入れた。蹴りを入れたのは、リーダーの香奈かなだ。


 霞は頭から便座に突っ込む格好となった。座り込む霞に香奈が髪を掴み便座に顔を押しつけた。


「ほんとにイライラさせるんだよ」


 香奈の声に霞はひたすら謝った。


「いい加減、白状しちゃいなよ。気があって色目つかったって」


 香奈に代わりグループの一人が霞の顔を殴りつけた。痛みが走る。だが、それ以上に理不尽な暴力に心が凍りついた。


「何もしていません。本当です」


 登校日だからなのか香奈の気が苛立っている。そんな香奈の気持ちを鎮めるよう霞は頭をさげた。


 霞がイジメを受けることになった理由は、些細なことだった。もともと霞は地味で目立つことがないタイプである。多少の面倒な用事なら引き受けることである種の立場を保っていた。これだけなら、ターゲットになることはない。きっかけは、新学期に同じクラスの男子から、一言声をかけられたことだった。ただこの男子がクラスでは人気があった。たったそれだけのことを運悪くグループの一人に見られたことがきっかけだ。その日から霞はターゲットになった。はじめは無理難題を押しつけられる使いパシリ的なことをさせられたが、それが夜中にまで呼び出されるようになった。それでも何とか耐え、気を回して従順に従う態度が香奈たちを余計に苛立たせた。霞への仕打ちは徐々にエスカレートしていった。物を壊されたり捨てられたりされ、夏休み前には援交をしている噂まで流された。そしていま、これまでにない暴力を受け、霞は自分自身どう対処していいのか分からなくなっていた。


「だーかーらーさあ。こんな風にして男子を誘ってるんでしょ」


 ビッと短く引き裂く音がした瞬間、霞が悲鳴を上げ腕を堅く閉じてしゃがみ込んだ。別の女子がブラウスを首から胸まで引き裂いたのだ。無惨にもボタンが飛び散り、肩口から破れて下着が露わになっていた。ケラケラと笑い声をあげて、パシャパシャと写真を撮っている。霞はただジッと固まって顔を伏せ耐えるしかなかった。


「さあ、汚物はさっさと流しましょう」


 声とともに霞は水を浴びせられた。全身びしょ濡れになり、ただジッと震え固まっていた。


 始業のチャイムが鳴る。香奈たちは笑い声をあげながら出て行った。霞は動くことも考えることもできず、ただ震えるだけだった。


(もう、出ていけない。教室にも戻れない・・・・・・)


 ゆっくりと扉を閉め、身を堅くしてうずくまった。


 シーンと静まった世界。小さなその世界で目も耳も塞ぎ、五感を閉じて霞は震えてていた。ポタリ、ポタリと髪の毛や破かれたブラウスから滴がたれている。さほど時は経っていないが、ずいぶんと長い時間いるような気がした。とても動く気にはならなかった。それでも、堅くなった足を延ばそうと力を緩めたとき、フワッと風が霞の髪を撫でた。微かに甘く、それで爽やかな香りが鼻から喉へと抜けていった。五感を閉じていたはずなのに香を感じ、風の流れを肌に感じた。


「みーつけた」


 耳に明るく可愛い女の子の声が届いた瞬間から、霞の中で静まっていた世界はが動き始めた。


(誰かいる?私を見ているの。聞き覚えのない声・・・・・・)


 閉じていた心に自分の思いが響いていく。


 声の方にゆっくりと顔を上げた。 

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