第2話 風の神と濡れた服(1)

 夏の日が高く昇り始める。夏休み終盤、夏日が名残惜しいというにはどうやら早く、気温はグングンと上がっていく。日御乃光乃神ひみのひかりのかみの社にも明るく勢いのある日差しが届く。照りつけるお日様にムッと熱気が漂う社も、拝殿の横の一角は涼やかな空気に包まれていた。そう、みなもの祠だ。そこだけは周りの空気と違っていた。みなもがいる証拠である。この時間は実菜穂みなほ陽向ひなたはとっくに登校しており、本当なら、みなもも一緒について行くところであるが、どうやらこの日は違ったようだ。


「だ・か・ら、水面みなもの神が消えてしもうたら、あっしはどうしたらええんじゃ」


 かすりの着物を身につけ、草鞋わらじをはいた童子がおかっぱの髪を揺らしてピョンピョン跳ねている。気が高ぶり、駄々をこねるがごとく声高らかにみなもに訴えているのだ。


「ああ、すまぬ。儂はもう消えはせぬ。ほら、祠もこの日御乃光乃神の社に移してもろた」


 みなもが笑顔を見せ、童子をなだめる。白い着物に空色の帯姿。本当なら実菜穂と同じセーラー服を身につけ学校に行くところであるが、祠の前に童子がいたので慌てて着物姿になった。この童子、姿こそは人の子のようであるが、立派な絣の神である。正確には絣織機かすりおりきに宿った神だ。物の宿り神ということもあり、姿は幼いのである。みなもも神としては幼い方であるが、それでも絣の神を前にするとお姉さんが幼子を宥めている光景となった。


 みのもの言葉に納得がいかない絣の神は地団駄を踏み、さらに訴える。


「あっしは、この織物を水面の神に奉納しようと川辺に行ったのじゃ。そしたら、祠が消えていた。壊されたのかと心配したぞ。あちこち探したら、で水面の神が天津が原に引き上げると聞いた。もう、心配で心配で。河童にも天狗にも声をかけて、やっとここにたどり着けたんじゃ」

「本当にすまぬ。心配かけたな。もう、儂は消えはせぬ。ここにおるからの」

「水面の神が消えてしもうたら、あっしはどこにこの絣を奉納すればよいのじゃ。水面の神が受け取ってくれるのが、あっしがおる理由じゃ。水面の神がおらねば、あっしも消えるぞ」


 絣の神は涙混じりで訴えていた。どうやら以前にみなもが祠の取り壊しをきっかけに御霊を返そうとしたときのことを言っているようだ。駄々をこねているようであるが、みなもを心配してあちこち歩きまわってようやくここまでたどり着けたということはよく分かった。それ故、みなもは何より絣の神を大切に思い、姉のごとく宥める。


「お主は消えてはならぬ。人はお主を崇めて絣を織るのじゃ。それで伝統の織物が存在しておる。お主が授けてくれたこの絣、儂は好きじゃ。じゃから、姉さにも渡しておいたぞ」

「ああ・・・・・・っ。いま何と言うた」


 みなもに抱きついていた絣の神はヨタヨタと足を絡ませるとその場にペタリと尻餅をつき、口をパクパクさせていた。


「おう、じゃからお主が授けてくれた絣を姉さにも渡した。『丈夫で美しい』と気に入って喜んでおった」

「あっ・・・・・・あれを水波野菜乃女神みずはのなのめかみ様が受け取ったと」


 絣の神は恐れ多いとみなもを見上げて震えている。


「そうじゃ。お主の織機と人の手が生み出した絣じゃ。美しくそれで丈夫。姉さもお気に入りと持っておる。今度の神謀かむはかりで、礼を伝えにくるはずじゃ。おおっ、そうじゃ、姉さの妹たちにも織ってはくれぬか。妹は数が多いぞ。お主と人がなした賜物たまもの。どうか、妹達にも分けてくれぬか。お主は神にとっても人にとっても大切な存在じゃ」


 みなもの手が優しく絣の神の頭を撫でると、泣いていた瞳がパッと明るくなった。

 

「本当け?あっしの絣を水波野菜乃女神様の妹たちに・・・・・・水面の神はここにおるのだな。あっしは、ここにくれば会えるのだな」

「そうじゃ。儂はここにおるぞ」


 みなもの言葉にようやく安心した絣の神は、抱きつき納得して祠をあとにした。


 その光景を火の神は、笑いをこらえて見ている。火の神が笑うのも無理はなかった。みなもがホッと一息つくと、絣の神のあとには河童がみなもの前に立っていた。みなもが笑みを浮かべながら河童の後へと目を移すと、『いっ』と顔をひきつらせたのだ。河童の後ろに延々と続く列。列をなすのは小さな田の神、くわの神などの宿り神から河童をはじめ天狗、ムジナの怪に小鬼までが鳥居を越えてゾロゾロと並んでいる。そのほとんどは、自分たちの住処すみかを追われた放浪の身のものたちだ。それなのに皆みなもが心配で、探し出して顔を見に訪ねてきたのだ。本来であれば妖怪や小鬼などは鳥居をくぐれるものではないが、みなもを慕うものたちである。人に害を与えることはしない。むしろ人を守る性格の持ち主たちだ。火の神もそのことを承知しているから、社に迎えている。もっとも、この光景を火の神は望んでいたのだ。他の神々、妖怪、鬼にまで慕われているみなもの姿を。


(いかん。これでは、キリがないのう)


 みなもは笑いをこらえる火の神をチラリと見ると、耳元に顔を寄せ囁いた。スッと火の神の頬に涼やかな空気が伝わる。


「すまぬが本殿を貸してくれぬか。これではキリがない」


 みなもが申し訳なさそうに頼み込む姿に火の神は笑い、皆を本殿に招いた。みなもが集まったものに事情と礼を述べたことで納得して帰って行く。すべてのものが鳥居をくぐり出るまでみなもは優しく見守り、送り出していく。最後尾の蛙の神が出て行く頃には、日はもう落ちていた。フーッと息をつき、その場にペタリと腰を落とすと、みなもは空を見上げた。


「ああ・・・・・・今日はいったい、何じゃったんじゃ」

 

 呆気にとられ空を見つめるみなもを、火の神は強くそして柔らかい瞳で見つめていた。


 夕暮れの風がサーッとあたりに流れる。みなもの艶のある髪がゆるりとなびき、夕日の輝きを受けて光る。その姿はみずみずしく美しい女神のものであった。ただそれだけなのになぜか周りは潤い、安らいでいく。神も人も動物、植物までも。不思議な存在である。


 遠くから女の子がニッコリと笑みを浮かべて、二柱を見ていた。


「今日は動かないで大人しくしてくれて、ありがとう。おかげで私も良い子を見つけたよ。また来るね」


 女の子はフワリと宙に浮くと姿を消した。 

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