イタコdeごはん
津月あおい
イタコdeごはん
疲れた体を引きずって、自宅の玄関を開ける。
壁の鏡を見ると、俺の頬はげっそりとこけていた。
もう二か月食欲がない。
食べられるのは、コンビニのおにぎりかサンドイッチ、あとはカップラーメンくらいだった。
原因はわかりきっている。
でも、どうしようもない。
キッチンに向かい、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。
そのままノートパソコンのあるリビングへと向かう。
プルトップを起こしながら、動画サイトをひととおりチェックする。
これは、ただの暇つぶしだ。
辛い現実から逃げ出すための。
若い男。若い女。どいつもこいつも能天気な顔をしている。
こいつらは毎日が楽しいんだろうな。俺とは違って……。
そう思っていると、ふとランキングにある「幽RASIAの怪談ちゃんねる」とかいうサムネが気になった。
怪談、か……。
いつもはオカルト系を避けるのに、なぜか今日だけは見てみたくなった。
クリックして、再生する。
『はいーどうもこんばんはー。【
『イタコの霊媒調理師、
なんだこいつら。
怪談師と、イタコの……霊媒、調理師?
イタコというのは降霊術、つまり「他人の霊を自分の体に乗り移らせて、死者の言葉を依頼者に聞かせる能力を持った者のこと」だ。しかし、それとこの「調理師」という言葉があまり結びつかない。
幽RASIAと名乗った男は怪談師らしく黒地の着物を着ていたが、この霞テル子という茶髪の若い女の方は、調理師らしく洋服の上に割烹着を着ていた。
なるほど。
いや、わかったようなわからんような。
だいたいオカルト系YOUTUBERなんてのはこんなうさんくさいナリをしているものだ。しかし、再生数を見ると馬鹿にできなかった。
なんと十万以上もある。
何でこんなのが注目されてるんだ?
調べてみると、過去の動画も軒並み再生数が多かった。
『いやあ、それにしても前回のコラボ動画もたくさん見ていただきましたねー! みなさん、ありがとうございまーす!』
『わたしからも、ありがとうございます』
『これもひとえにゲストに来ていただいた、テル子さんのおかげですね!』
『いえいえ……。わたしはただ、みなさんの思い出のお料理を作れて、それを召し上がっていただけるだけで満足なんです』
思い出の料理?
そういえば、とアイツの作った手料理を思い出す。
いまはもう二度と食べられない、あの料理……。
『さあさあ、ではテル子さんとのコラボ第三弾といきましょうか! みなさんには子の企画、もう一度ご説明しておきますね! えー、普段はゲストに怪談を語っていただくだけのこのチャンネルなんですが……霞テル子さんとのコラボでは、彼女がイタコとして依頼者さんの亡くなった身近な方の思い出の料理を、降霊させて作るという企画になっております』
司会の男いわく、霞テル子は、依頼者の思い出の料理(たとえばすでに他界している祖母の煮物等、いまでは絶対に食べられない料理)を、降霊術を使って作るらしかった。
なんとも信じがたい話だったが、俺はまさかという思いで画面を見つづける。
『名付けて【イタコdeごはん】! いやー、今回もまたすばらしい降霊術が見れそうで、楽しみですねー!』
『ありがとうございます。また依頼者さんが満足してくれるように頑張りますね。みなさんもぜひ応援していてください!』
『はいはい~。ではテル子さん、本日もよろしくお願いいたします』
『お願いいたします』
ふたりがお辞儀したところで、場面が変わる。
『というわけで、さっそく依頼者の元にやってきましたー!』
依頼者の家の前と思われる風景が映し出される。
モザイクがかかっているが、二人の背後はマンションの廊下のようだった。
とある玄関前に幽RASIAと霞テル子が立つ。
『えーではさっそくチャイムを鳴らしたいと思いまーす』
ピンポーンと小さく呼び鈴が鳴る。
あたりが暗いのでどうも夜らしかった。中から出てきたのは眼鏡をかけた私服の若い女性だ。
少々神経質そうな顔をしている。
『お待ち……してました。どうぞ……』
リビングに通されると、二人はさっそく依頼者へのインタビューを開始した。
お互いの自己紹介と、今回の依頼内容「母親の作ったオムライスが食べたい」ということを聞き出す。
そして、いよいよテル子の降霊術がはじまった。
幽RASIAという男性が、もう一人同行させていたカメラマンの方に向かって、実況をはじめる。
『さあついにテル子さんの降霊術がはじまりました! 果たしてAさんのお母さんは来てくれるんでしょうか……?』
様子を見守っていると、依頼者の前に座ったテル子が、突然ゆらゆらと体を揺らしはじめた。
そして一瞬白目になったかと思うと、すぐに真顔になる。
『……来ました。今、わたしの中にAさんのお母さんがいらしてます。主導権を……今すぐAさんのお母さんに明け渡すこともできますが、まずは買い物を……食料調達をしてこようと思います。ちょっと近場のスーパーまで、行ってきますね……』
そう言うとさっさと家を出ていく。
しばらくするとテル子は、二つのビニール袋を手に提げて帰ってきた。
『ではさっそくお台所をお借りします。ここからはAさんのお母さんに主導権を明け渡そうと……思います』
言うと、またガックリと首を前に倒し、そしてすぐに顔をあげる。
それは別段変化はなさそうだった。
しかし料理が始まると、依頼者がぶるぶると体を震わせはじめる。
『あっ、ああっ……!』
『Aさん? どうかしましたか?』
『あ、あの卵の割り方……それに野菜の切り方……あれは、母さんです!』
どうもテル子の手つきが、母親のそれと一致しているようだ。
本当か……?
演技している、という見方もできた。しかし、依頼者のAさんは本当に感激した様子でその光景を見つめている。
カメラマンはそれを克明に撮影していた。
やがて――亡き母親のオムライスが完成する。
テーブルの上に置かれたそれは、ほかほかとあたたかな湯気をたてていた。
依頼者のAさんはその黄色い山の一端をくずし、すくう。
半熟気味のスクランブルエッグの下には、赤いケチャップライスが見え隠れしていた。それをじっと見つめると、Aさんはおもむろに口に入れる。
『うっ……ううっ……!』
『Aさん?』
急にボロボロと泣き出すAさん。
俺はその表情にくぎづけになってしまった。それは、ようやく求めていたものに巡り合えて救われたような、そんな笑みだった……。
Aさんはゆっくり嚥下すると、とつとつと語り出す。
『いつも……いつも自分で作ってみても、全然母さんの味にならなかったんです。でもこれは、まぎれもなく母さんのオムライスでした。あ、ありがとうございます。ああ、母さん……!』
涙を流しながら、Aさんはオムライスを完食した。
その後、しばし雑談をしてから二人は元の部屋に戻る。
『それではまた、次回をお楽しみに~!』
『ありがとうございました~』
そんな言葉と共に配信が締めくくられる。
最後の画面には「テル子さんに直接依頼したい人はこちらへ」などと連絡先が表示されていた。
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
俺は床に寝転がって、天井を見つめた。
あんなもの、絶対インチキに決まってる。あの依頼者だって絶対仕込みだ。そうに決まってる。騙されるな……。
思えば思うほど、同時に違う感情も湧いてくる。
あの女は、本当に思い出の料理を作れるのか?
あのサヤカの手料理を……。
いやいや。何を考えてるんだ俺は。
そんなことをしたって、結局……。アイツは……。
――。
気が付くと、朝を迎えていた。
俺は重い体を起こして、シャワーを浴びにいく。
アイツの料理をまた食べられたら……だって?
あのイタコが「本物」とは限らないじゃないか。
一晩経っても消化しきれない思いが、身の内でくすぶっていた。
シャワーを止めて、もう一度ちゃんと考えてみる。
「本物じゃなかったら、別に金を払わなくったっていいんだよな……。ああ、嘘だったら、馬鹿にするなって追い返せばいい。そうだ……そう……」
希望なんか抱きたくない。
けれど、万が一ということもありえる。
もしあの女が本当に「本物」だったとしたら?
もう一度アイツに会えるかもしれない。
そうしたら、最後に伝えておきたかったことを、ちゃんと伝えられるかもしれない。
俺は体を拭いてリビングに行くと、昨日の動画の最後の部分を見て、電話をかけた。
※ ※ ※
一か月後。
俺の家に、あのイタコの霊媒調理師がやってきた。
人気が出たせいで、あれからたくさんの予約が入ってしまったらしい。
というわけで、俺の番は結局こんな後にされてしまった。
今日来たのはこいつ一人だけだった。
あの動画の男は一緒じゃない。
女はもともとひとりで仕事していたと言っていたから、あのコラボの方がイレギュラーだったようだ。
テル子をリビングに通し、さっそく依頼内容の打ち合わせをする。
「えー、この度は『霞テル子の出張霊媒クッキング』をご利用いただきましてありがとうございます。ええと、さっそくですが木村翔一さん、本日の依頼の確認なんですが……」
「ああ、三か月前に亡くなった俺の元恋人、サヤカの得意料理を作ってほしいんだ」
「わかりました。それで、料金の方なんですが……お代は見てのお帰り、といいますか、実際に木村さんに満足していただいてからお支払いを、ということでお願いいたします。あ、あと食材費も同様で。満足していただけなければお代はいりません。それで、よろしいでしょうか?」
「あ? 俺はいいが……そっちはそんな取り決めをしていいのか? たとえ俺が満足しても、ケチって金を払わなかったら……」
「それは、あなたの良心を信じるしかないです。わたしも一応、依頼人は選んでやってますので。いきなり襲ってきたりするような人とか、詐欺をしようと持ち掛けてくる人とか、そういう方とは仕事をしないって決めてるんです。木村さんはそう言う方ではないと判断したので仕事をお受けしました」
なんというお人良しだろう。
そもそもこんな男の家に女が一人でやってくるなんて、無警戒にもほどがある。
本来ならとても危険な行為だ。
こいつは人を見る目がある、と自負してるつもりなんだろうが、とんだ思い上がりだった。
実際、人はいつ豹変するかわからない。直前までわからないものなんだ。
俺にこいつを襲う気はこれっぽっちもないが――。
サヤカを、アイツを裏切るようなマネはしたくない。今も俺をどこかから見守ってくれているんだろうしな。
自分で頼んだくせして、それだけが少し不愉快だった。
それにしても……。
イタコってのはみんなこういうもんなのか?
他人の性格も霊能力で全部お見通しっていう……。
「ご心配、ありがとうございます。でも、ほんとに大丈夫なんです。木村さんもご承知の通り、わたしには霊感がありますので」
「……そうかよ」
まるで心の中を透視されていたように言い当てられ、俺は言葉を失った。
でも、期待外れだったらマジで払わなくてもいいかな?
そうしたとしても恨むなよ。
「では……あとひとつ、木村さんの彼女さん、サヤカさんの得意料理ですが」
「ああ」
「お電話では、たまごかけごはんって言ってましたよね。それで……合ってますか?」
「ああ、合ってる。得意料理、というか……アイツはもともとそんなに料理が上手くなかったんだ」
けど、唯一俺に作ってくれたのがそれだった。
何が入ってたのかわからないが、とにかくめちゃくちゃ美味かった。俺もあとで真似しようとしたけど、どうしても再現ができなくて。だから、
「今日はそれを……アンタに頼みたい」
「はい。ぜひお任せください!」
そう言うと、テル子はさっそく床に正座し、ゆらゆらと体を前後に揺らしはじめた。
これが噂の降霊術、か。
動画の時は尺の関係上早送りだったが、今は目の前でそれがゆっくり行われていた。
「サヤカ……」
本当に来てくれるだろうか。
緊張して見ていると、テル子はいきなり白目をむき、真顔になった。
「……来ました。今、わたしの中にサヤカさんがいらしてます。主導権を、彼女に明け渡す前に……まずは買い物をしてきます。少々お待ちくださいね」
そう言って、またひとりで外に行ってしまう。
ここから最寄りのスーパーへは片道十分ほどだった。
大人しく待っていると、テル子はバタバタと戻ってきた。
手には食材のつまったビニール袋が一つ。
まあ、そんなに多くの材料を使う料理じゃないからな……。
「では、木村さん。これから料理をはじめます。サヤカさん……お願いしますね」
そう言うとまたガックリと首を前に倒し、顔をあげる。
なんとなく、顔の印象が変わったように感じた。
柔らかな目元でちらっとこちらを見る。視線が合った。
「サヤカ……?」
まさかと思いながらそうつぶやくと、にこっと微笑む。
それはまさにサヤカの表情だった。
ちょっと困ったように眉尻を下げて、はにかむ、その笑み。
思わず目頭が熱くなってしまった。
嘘だ、嘘だ、と思いながら、彼女の動きをただ見つめる。
テル子は霊媒になっているときは声を出せないと言っていた。
だから調理が終わるまでは話すことはできない。
でも、俺は確信めいた直感を抱いていた。
あの女の中に今、サヤカがいると……。
霞テル子は、まるで自分の家のようにふるまっていた。
ずっと使っていなかった炊飯器の釜を洗い、どこにしまったか忘れかけていた米を戸棚の奥から引っ張り出した。
コメを研いだ後早炊きの予約ボタンを押し、その間に他の材料の下準備をはじめる。
それは何度もこの部屋にきたことがあるというような動きだった。
「やっぱり、サヤカ……なのか?」
驚きに目を見張っていると、スーパーの袋の中から福神漬けが取り出された。
それは色が茶色のものだ。
カレーを食べるときにいつも俺が入れているやつ。
台所の引き出しを開けて、テル子はまな板と包丁を取り出す。そして、福神漬けをリズミカルに切り刻みはじめた。
スプーン一杯ほどしか使わないようなので、残りはタッパーに詰められ冷蔵庫にしまわれる。
この動きも本当にサヤカみたいだった。
勝手知ったる彼氏の家で動き回る彼女、そのもの。
『ちょっと二人で使うには多すぎたねー』
なんて言いながら、サヤカがレトルトのカレーに大量にこれを乗せていたのを思い出す。
しかし、いくら好物だからって、まさかこれをあのたまごかけごはんに入れてたとは思わなかった。
なんかしゃきしゃきするなとは思っていたが……。
どうりで俺だけでは再現できなかったわけだ。
テル子は、次にネギを切りはじめた。
大部分が余るので切り口にラップをして、これも冷蔵庫にしまわれる。
サヤカはこういう食材を切るのだけは上手かった。
逆に火を入れたり、味付けは……かなり独特だったが。
六個入りの卵パックからひとつだけ取り出して、これもあとは冷蔵庫にしまわれる。
この卵は、きっとご飯が炊けてから割り入れられるのだろう。
そう、あとはご飯が炊けるのを待つだけだった。
しかし……まだ三十分ほどある。
買い物に行く前に仕込んでれば時短になったのに。
こういう段取りの悪いところもサヤカらしいなと思った。
「ショウイチ……」
ふと声がして、見るとテル子が俺を見ていた。
いや、テル子じゃない。
テル子の中にサヤカが入っているんだ。
「サヤカ、か?」
「うん。ご飯が炊けるまで、まだ時間があるから……その間話せるって。テル子さんが」
「そうか……」
サヤカは俺のいるリビングにやってくると、斜向かいのソファに座った。
本当なんだと、信じはじめていたが、やはり見た目がテル子なのでどうにも妙な感じがする。
「ごめんね。死んじゃって」
唐突にそう言われて、俺は歯噛みをする。
「お前の、せいじゃない」
「でも……仕事で夜遅くなって、それで……」
「お前のせいじゃない」
「わたしが、もっと周りに気を付けてたら……家に入る前に、誰か後ろに来てないか確認していたら……」
「お前のせいじゃない。犯人が、悪いんだ。お前はなにも悪くない」
「でもっ!」
今まで直視できなかったが、思い切って近くにいるサヤカの顔を見た。
そこにいるのはテル子だ。
だが、同時にサヤカだと思った。
サヤカは……泣いていた。そして、絞り出すようにつぶやく。
「もうすぐ、ショウイチと……結婚、できるはずだったのに……」
そう。今頃俺たちは、結婚式を挙げているはずだった。
でも、その前に……。サヤカは見知らぬ男に家をつけられ、そして……殺されてしまった。
犯人は捕まったが、それでも俺は……いまだに気持ちの整理がつけられずにいる。
「もうすぐあなたの……妻になって……。そして毎日、ご飯を作ってあげられてたはずなのに……」
「……サヤカの、せいじゃない」
「あなたと幸せに……あなたを幸せにできる、はずだったのに……。ごめん、ごめんなさい」
「謝るな。お前が一番、悲しいはずだ、悔しいはずだ……俺なんかよりよっぽど」
サヤカは強く首を振る。
「ううん。ショウイチが……この三か月、どんなに苦しんできたか知ってるから。わたしはもう死んじゃったから。なにもできないけど……でも」
「なあ、もういいよサヤカ。俺にとっちゃまだ全然良くないけど、でも……お互い悔やんでても、死んだことをなかったことになんか、できないだろ? だからさ……だから……。こういう機会が持てて、良かったって思うんだ……」
「うん……うん……」
サヤカは、号泣しながら、こちらを真剣なまなざしで見ていた。
俺は胸が苦しくて、何度も口を閉じそうになったが、言った。
「もう一度、お前の料理を食べられるなんて、思ってなかったから……嬉しいよ。ほら、前に何度も食べさせてもらっただろ。お前の、あのたまごかけごはん……あれがなによりも美味しくて。だから、その謎がわかって良かったよ」
「……もっと早く、教えておけばよかった」
「ほんとだな。そしたら俺がお前に、福神漬けたっぷりのたまごかけごはんも作ってあげられたかもしれないのに」
「ほんと。でも、あれは……わたしだけの企業秘密だったから。スペシャルじゃなくなっちゃうから。あんまり教えたくなかったの」
「そうか」
「うん。そう。ふふっ」
困ったような泣き笑い。
ああ、やっぱり……俺はサヤカが大好きだなって、思った。
「なあ、サヤカ」
「うん?」
「ちゃんと……言ってなかったことがあるんだが、今、それ言っていいか?」
「……うん。なあに」
俺はまっすぐサヤカを見つめて言った。
「お前を、生涯幸せにする。死ぬまで大事にするし、先に死なれたとしてもずっと、お前だけを愛するよ」
「ショウイチ……それ……」
「ああ、もうお前は死んじまったからな。前もって言ってなかったとしても、達成できてしまったことになる。でも、本題はこっからだ」
「うん? うん……?」
「お前が生まれ変わるまで……いや、また生まれ変わってもずっと、ずっと、お前を愛する。会えなくても、どこにいても、お前を想ってる。だから……お前は、死んでも幸せでいてくれ」
「ショウイチ……」
サヤカも、俺も、涙が止まらなかった。
ほんとは生きてずっと一緒にいたかった。でも、死んでしまったなら、こう言うしかない。
サヤカにあの世で悲しんでいられるのは辛いんだ。
「わたしも……わたしもっ……死んじゃったけど……どこにいたってショウイチを愛してるよ。想ってる。そして、あなたがずっと幸せな気持ちでいてくれることを願ってるわ」
「ああ……」
その時、ピーっと炊飯器の音が鳴った。
サヤカはさっそくどんぶりに炊きたてのご飯を盛り、先ほど作った刻み福神漬けとねぎをかけ、卵をそこに割り入れる。
今は行動しているので声は出せない。
でも、自信たっぷりに料理しているのを見てなんだか嬉しくなってきた。
あれは、俺がしてもらえる最後のカノジョらしいことだ。
最後に、めんつゆとポン酢をかけ、ブラックペッパーをふる。
これも全部うちの冷蔵庫にあったものだ。
テル子、ならぬサヤカがローテーブルにそれを運んできて、俺に差し出す。
「いただきます」
箸ではなく、スプーン。
それで卵液に濡れた白米を、大きめに掬い取る。
サヤカによってすでに良く混ぜられていたが、見ると、卵の一部が炊き立てご飯の熱で固まっているのがわかった。
それを口元に運び、舌の上に慎重に乗せる。
途端、口いっぱいにだしの香り、しょうゆの香り、そして柑橘系の香りが広がった。
ああ、美味い。
そこに卵のマイルドなあじわいと、白米の甘さが加わる。
ゆっくりと咀嚼すると、細かな福神漬けとねぎが、なんともいえない歯ごたえとなって存在を主張してきた。
ポリポリと音がするたびに、酸味や辛みも、わずかににじみ出てくる。
思わず次の、さらにその次のひとさじをかきこんだ。
この幸せな味のハーモニーはいつまでも味わっていたいほどの美味しさだ。
でも、それは十口と続かない。
俺はあっという間に、残りの数粒をかき集めていた。
それは、サヤカとの思い出をかき集める行為に似ていて。
まだ終わりたくない、と思った。
「それでは、これでわたしのお仕事は終わりになります。最後に、サヤカさんに言うことはありますか?」
向かいのサヤカ……じゃない。テル子はそのように俺に言い渡す。
そうだ。
これは、イタコの降霊術によって実現できている奇跡なんだ。
もう、お別れか。
「……ごちそうさま。お前はいつも、いつまでも、俺の、最高の女だ。ありがとう。ありがとう、サヤカ……」
「うん。ショウイチ、わたしこそありがとう。いつまでも元気でね。忘れないから、ずっと見守ってるから、あなたも幸せでいて……」
「ああ……お前もな、サヤカ」
そう告げると、がくんとテル子はまたうなだれた。
ややあって、顔をあげると、もうそこにサヤカの気配はなかった。
「ありがとう、テル子さん。報酬は……ちゃんと支払う。アンタも、最高の仕事をしてくれたな」
「ご満足していただけましたか」
「ああ。ありがとう」
こうして、俺はイタコの霊媒調理師、霞テル子にきっちり代金を支払ったのだった。
あとにはサヤカの秘密のレシピだけが残された。
明日も、明後日も、俺はこれからいつだって、サヤカのたまごかけごはんを食べることができる。
彼女の遺産を文字通り糧にして――生きていく。
完
イタコdeごはん 津月あおい @tsuzuki_aoi
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