第2話
スマホは着信することなく、メッセージも受信しない。
美沙緒からの言い訳や謝罪、説明は無し。
なぜ「会社の上司で既婚者である冴島」があの場所にいて、「まるで何回も来ているかのような口ぶりで挨拶をしてきて、普通にシャワーを使おうとしていた」のか。
(私が気づいていなかっただけで、冴島さんは今までうちに何回も来ていて、バスルームも使っていたってこと?)
考えたくはないが。
葉月は残業が多く、帰りが遅いこともままある。
さらには美沙緒の部署は外回りがあり、冴島と二人一緒の行動もよくしていたはず。たとえば、葉月の帰らぬ日、或いは外回りからの直帰のときなどに、家に……。
問題は、その家は美沙緒だけのものではなく、葉月も家賃を払っている二人共用の場ということだ。
美沙緒にとって冴島は恋人かもしれないが、葉月にとっては赤の他人。
なおかつ会社の知り合いという時点で、甚だしく迷惑。
しかも。
既婚者。
(不倫……)
気が重いまま、あてもなくうろうろと歩いていた。
金曜日。駅前はまだまだ賑わっていて、人通りも多い。ファーストフード店は意外なほどに混んでいて、二の足を踏んで入れなかった。
かといって、ひとりで飲み屋に入ったこともないのに、こんな精神状態のときはなおさらやめた方が良い。
どうしよう、どうしよう。
上の空だったせいか、どん、とすれ違いざまに肩がぶつかった。
「すみません」
おっかなびっくり、伏し目がちに相手の足元を見る。黒の革靴。サラリーマンかな、と思ったところで聞き覚えのある声が耳に届いた。
「大滝さん。さっきから挙動不審だけど、何してるの?」
名前を呼ばれて、慌てて視線を上向けて、相手の顔を確認する。
「
眼鏡をかけた、地味な風貌の男性。半袖のワイシャツ姿で、いかにも会社帰りと行った雰囲気。葉月はよく見知った相手で、直属の上司でもある。
「そんなに驚かれてもどうしたものか。駅から出てきて、大滝さんを見かけたんですけど、ずっと同じ場所をウロウロしているから、探しものかなと。どういうものか教えて頂ければ、俺も探しますが」
「違います。落とし物を探していたわけでは」
たしかに、裏道に入らないように明るいところを歩こうと、同じ場所を行ったり来たりしていた。
(いつから見られていたんだろう。そもそも立原さんはここで何をしているんですか)
曖昧に笑った葉月を、立原はじいっと見下ろしてきた。
それから、「晩ごはん食べていますか?」と藪から棒に聞いてきた。
「食べていないです。家に帰り着いたらどうにかしようと思っていて。ちょっと……帰れなくなっちゃった」
「わかりました。近くによく行く店があるので行きませんか。とはいっても、これは業務命令ではないので断ってくれて全然大丈夫です。セクハラを疑う場合は他に知り合いを呼んでも構いません。俺には大滝さんと二人きりの食事の席をもうけたい意図はなく、ただ食事がまだなら美味しいお店を知っていますが、という情報提供が主たる目的です。ご理解ください」
立て板に水の如く、社内コンプライアンス遵守的な話をされて、葉月はなんとか頷いてみせた。
「わかります。立原さんに個人的に誘われたなんて勘違いしたりしません。私が立原さんに媚びたところで、何一つ便宜を図って頂けないであろうことも存じ上げております。その上で、時間を潰せたら好都合だと考えています。ごはん、行ってもいいでしょうか」
「もちろん。こんなところで立ち話もないですし、行きましょう」
そっけなく感じるほどのさっぱりした態度で、立原はさっと歩き出した。
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