行き場をなくして上司の家に転がり込んだら、至れり尽くせりの愛され生活でした。

有沢真尋

第1話

 帰宅したら美紗緒みさおの部屋からくぐもった声が聞こえて、まさか、と耳を疑った。


(私のいない間に、誰か家に呼んでる? それはルームシェアのルール違反……)


 玄関に見慣れぬ靴があったときから、嫌な感覚はあったのだ。少しへたっている黒の革靴。明らかに、男物。

 それでも、何かやむにやまれぬ事情で知り合いを一時的に部屋に通したのか、と。

 かなり無理筋の展開を考えつつ、二人共用のリビングに来たところで。


「あ……あんっ……!」


 左右に二つある扉の左側。美紗緒の部屋から、途切れ途切れの艶っぽい声と、ギシギシとベッドの軋む音が聞こえてきた。

 さすがに、そういった方面に経験のない葉月はづきにも、それが何を意味しているかはわかった。

 血の気が引いて、頭の中が真っ白になる。


(ど……、どうする? 部屋にこもってふとんかぶっていれば、終わる? だけど、いつ?)


 水を飲みにキッチンに立ったり、トイレに行った時に鉢合わせしないだろうか。

 そもそも、クタクタの仕事帰り。さっさとバスルームを使いたかったのだが、使えば葉月が帰宅していることがバレる。

 相手が気を使って家から出て行ってくれればいいが、居直られたら? 

 誰だか知らない男が家の中にいる状態で、シャワーなんかできる?


(自分の、家なのに。なんでこんなことに)


 同期の笹原ささはら美沙緒とルームシェアを決めたのは、会社が社員寮を閉める方針を打ち出したとき。当時お互い彼氏はいなかったものの「知り合いと会うのは基本、外で。どうしてもひとを家に呼ぶときは、事前に相手に断ること」と取り決めた。

 いざ共同生活を開始して三ヶ月、平和にやってきたはずなのに。

 状況から見ても、美沙緒はあきらかに「男を連れ込んで」いる。

 事前の断りもなく。

 同じ会社で部署が違うとはいえ、葉月が帰ってくる時間帯もわかっていただろうに、堂々としたものだ。

 結果的に、ルール上では非がないはずの葉月がいたたまれない気持ちになり、立ち尽くしている。

 悪いのは美沙緒だとわかるものの、部屋に踏み込む気にはなれない。


(どうしよう。もう二十一時過ぎ……。駅前のファーストフードで時間を潰す? どうして? 疲れて帰ってきた自分の家なのに、私が出て行かなくちゃいけないの?)


 理不尽すぎる。

 被害感の中でも極めつけなのは、もうこのルームシェアは続けられないだろうということだ。

 引っ越し費用をざっと計算したが、痛すぎる。もはや小銭も惜しみたいのに、これから外に出て飲みたくもないコーヒーでも飲んでこないといけない。

 それでも、話し合いは後回しで今はさっさと出て行こう。そう心に決めていたというのに。

 ぎぃっとドアが開く音が聞こえて、足が凍りついてしまい、その場から動けなくなった。

「あれ……。大滝おおたきさん、帰っていたんだ。お邪魔してまーす」

 上半身は裸。かろうじて下着だけ身につけた男がリビングに顔を出して、にへらっと笑った。

冴島さえじまさん……!?」

 同じ会社だけに、名前と顔を知っている。美沙緒の上司。

 美沙緒がいつも褒めていた。


 ――カッコいいんだよね、冴島さん。普段意地悪っぽいのに、ここぞというときに優しくて。あーあ、既婚じゃなかったら絶対にアタックしていたのに。


「シャワー使わせてもらう。今まで会わなかったけど、そうだ、大滝さんもここに住んでいるんだもんね」


 情報量。

 多すぎて、言葉も出なくなり、ひとまず葉月は逃げ出すことにする。

 くるっと廊下に引き返し、玄関でバタバタとスニーカーを履いて、一目散に外へと飛び出した。

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